第10話
片付けを手伝ったのでアイスをくれるという服部の言葉に従って冷凍庫を開けると、あずきバーや練乳氷などの懐かしいものがいくつも入っていた。
服部は自分もあずきバーを取り、シンクにもたれて食べだした。
せっかくなのでホームランバーを見つけたので「これにする」と言って食べた。甘いミルクの匂いが口に広がる。しばし無言で食べていると、服部も酔いが幾分醒めたのか目つきはしっかりとしていた。
食べながら、視線を感じるなと思ったら、服部がこちらをじっと見つめていた。「なに」と尋ねると、
「弟がさ、それ好きだったんだよな。だからつい買ってしまう。俺はあんまり好きじゃないんだよ」
と言った。
「あずきバーはじいさんが好きだったし、モナカはばあさんが好きだったやつ。なんでだろうなあ、お供え感覚なんだよな。死んだ人の好きだったものをつい懐かしいような気がして買っちゃう。まあ、俺が食べなくても今みたいにしてみんなが食うからいいんだけど」
アイスは仏壇にお供えできないし。服部はそう付け加えて笑った。
故人を懐かしむのは服部の寂しさのようで、なんと言っていいのか分からなかった。
「だいたい、菓子とか仏壇にお供えする為に買ってるんだけど、俺そこまで甘いもの食べるわけじゃないから、みんなが来るとさあ食べろ食べろってなる。そういうのって、おばちゃんぽいよな」
確かに言われてみると服部が世話焼きなのは「おかん」ぽい。ちょっと笑うと服部は「笑うなよ」と言って、でも、自分でも笑った。
服部が自分の抱える闇や孤独について話すことは、ほとんどない。だから仲間たちも知らない奴の方が多い。おかんスピリットでみんなの面倒をみてくれる服部の、その向こう側。
食べ終わったアイスの棒をごみ箱に入れようとして、ふと見るとホームランバーに「あたり」が出ていた。
服部にそれを告げると「マジで!」と目を瞠り、「お前、もってるねえ」と感心したように頷いた。そして棒を取り上げると流しですすいで寄越し「よかったな」と言った。その目があんまり優しいので、今、服部は「弟」の姿を重ねて見ているのかもしれない。そんな気がした。
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それから、かな。エリザベスのとこに通うようになったの。
アモーレ広場での歌も、毎週聞きに行くようになった。いつ歌うのか、その法則性みたいなのも分かったし。本人が「いつ」って教えてくれる時もあったし。
だから俺はエリザベスの歌のレパートリーはほとんど全部といっていいぐらい知るようになった。どれも上手かった。
エリザベスは俺がアモーレ広場にいるのを見ると、いつも決まって優雅にお辞儀してくれて、歌の最後には投げキスをしてくれんの。
恥ずかしかったよ。だって、人が見るじゃん。なんで? 誰だお前?って顔、みんながする。今なら平気かもしれないけど、ガキにはある種の苦行だったね。俺、本当に女に免疫なかったし。
だからといってエリザベスに冷たくすることもできなかった。
俺ね、アモーレ広場での歌が終わると、決まってエリザベスにくっついてあのボロ家に行ってたから。そんで、彼女の話を聞いてたんだ。
うーん、これはどこまでが本当なのか自信ないんだけど、彼女の若い頃の話。華麗な経歴とでもいうか、お嬢様として何不自由なく育ったことや、贅沢な暮らしのこと……。浮世離れしたような、それまでのこと。
東京で見たコンサートや歌舞伎、高級なレストランや料亭のこと、京都のお茶屋でのお座敷のこと。
まあ、別に妙だとは思わないんだけども、なんて言ったらいいのかな……。ギャップ。とにかくギャップが激しいから。今の生活とは。そうなると嘘じゃないかと思いたくなるじゃん。
でも本当かどうかなんて重要じゃないと思うんだよね。少なくともその時はそう思ってた。彼女の言ってることの何が、どこまでが本当のことなのかって思ってたけど、エリザベスの歌が本物だってことだけは分かったし、なにより彼女がさ、俺に優しかったんだよ。いつも。
そもそもなんで俺にそういう話しをするのかなって考えたけど、単純に話したかっただけなんだよな。思い出を。もう年齢もいってさ、家族や友達がいるわけじゃないだろうし。思い出って誰かに話さないと忘れて行く一方じゃん。それで昔のことを話してたんだと思う。美しい思い出、忘れたくない思い出をね。
俺はそうやって毎日のようにぶらぶらして、エリザベスに会いに行ってたわけなんだけど、エリザベスにも生活があるだろ。うーん、ようするに、仕事な。俺がアモーレ広場で彼女が歌うのを聴いてる時や、直接あのボロ屋に行った時、エリザベスは「ごめんなさい、これからお客様がいらっしゃるの」とか言ってはっきりと俺を拒絶することがあった。お客様って言葉に思わず「えっ」ってなったけど、まあ、ようするに「客」だよな。友達がお茶飲みに来るとかじゃなくて。
そうしたら俺は「ああ、そう」って言うしかないじゃん。「じゃ、また」って。そしたらエリザベスは本当に申し訳なさそうに「ごめんなさいね」って言うんだよ。
でもさ、俺、その次に彼女のうちに行く時はいつも決まって初めて行った時みたいに気持ち悪くなるんだよ。想像しちゃうんだよなあ。おえって感じ。一体どこのどいつがこのばあさんを金で買って抱くんだって考えちゃって。まあ、世の中にはそういう趣味の人もいるって、今でこそ分かるけど……。
けど、何が不思議って、俺ね、そのエリザベスが言うところの「お客様」ってのを実際には一回も見たことがないし、あのボロ屋でニアミスとかしそうなもんなのに、一回もそんなことなかったよ。だからどんな人がエリザベスを一万円で買ってんのか、それは時間にしたらどのぐらいのことで、どんなサービスがあるのかなんてのはまったく知らなかった。未だに謎だよ。……知らなくてもいいことってのは世の中にいくらでもある。そのうちの一つなんだろうな、これって。そう考えるとエリザベスの存在はものすごく遠いものに思えて、ちょっとせつなくなったりもしたよ。
けどそれ以外の時はだいたいいつも嫌な顔ひとつせず迎えてくれて、やっぱり紅茶をいれて、他愛もない話をするんだ。音楽や美術の話もよくしたな。
そういうのを聞いてると「彼女の昔の話は本当なんだな」って思えたね。なんだろう、知識とか知性がね。あったわけよ、ちゃんと。彼女は本当にちゃんと勉強して、芸術の素養があるんだって信じられた。俺って単純? でも、まあ、そういう感じ。
昼間でも俺は「思いついたらエリザベス」だから、ボロ屋の格子戸をがんがん叩く。インターフォンとかないから。そしたら寝起きの、すっぴんのエリザベスが出てくるんだよ! エリザベスは浴衣着て、普通のおばあさんの格好で格子戸の隙間から顔覗かせて「あら」ってちょっとびっくりすんの。「あら、いやだ。ちょっとまって。お化粧してないわ」って。
その化粧が問題なんだってこと、本人は全然分かってないんだよな。あれだけはどういうセンスなのか今でも分からない。あそこまで白塗りにする理由あるのかね。芸妓さん? うーん、そう言われるとそうなのかなあ。俺はむしろ中世ヨーロッパ貴族のイメージじゃないのかと思うんだけどね。もしくは、タカラヅカ。どっちにしても非日常だし、現代的ではないな。
俺は化粧なんていいからって言ってずかずか上がりこんで、素早くベッドを見る。見れば昨晩客があったのかどうか分かるから。
エリザベスは「早起きなのねえ」って言いながら、いつもそうするように紅茶を入れてくれて、それで二人でお茶飲みながら話すの。浴衣のちょっとゆるんだ襟からたるんで皺々になった胸元の肌が見えて、自分の死んだばあさんのこと思い出したりしながらさ。
時々、紅茶と一緒にビスケットが出てくることもあった。エリザベスってあんまり食べないんだよ。ちゃんと飯食ってるとこなんて数えるぐらいしか見たことない。だからかな、台所も汚れてないのは。炊飯器なんかもなかったし。
料理できないってわけじゃないと思うよ。だって食べなきゃ死ぬじゃん、人間は。だから何かしら食べてはいたんだろうけど、量は少ないだろうし、ほら、めちゃくちゃ痩せてたって言ったろ? あとは、まあ、金がなかった……ってこともあるのかもしれないけど。
いや、本人は「お金がない」なんてことは一言も言わないよ。でもそれは聞かなくても分かるじゃん。こんなボロ屋に住んでんだからさあ。
ここお風呂ないけど、どうしてんの?って聞いたら「お風呂屋さんに行くのよ」って言うし、洗濯はどうするのって聞いたら「手洗いできるものは手で洗うし、お鍋でぐつぐつ煮洗いもするし、大きなものならコインランドリーがあるから」って。至極当然の、普通の回答だろ。別に謎はないし、都市伝説から面白おかしく推測されるような正体不明な不気味さもない。
あのドレスと化粧のせいで頭がおかしい女みたいに見えるけど、そんなことはない。彼女は今でも、俺が知る中では最も常識的な人だよ。
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