第368話 くっころ男騎士と騎士様

 現在、カルレラ市は空前の好景気に沸いている。リースベン戦争の結果、リースベン・ズューデンベルグ(カリーナの実家、ディーゼル家が治める領地)間の関税・通行税が完全に撤廃されたからだ。現在、ガレア王国と神聖帝国の間を無税で通行できる場所は少なく、交易商たちが群を成してリースベンに集まっているのである。

 税金は取らないとはいえ、通行量が多くなれば当然この地に落ちていくカネの量も増えていく。もともと数軒しかなかった表通りの酒場は夜中になっても満員御礼状態でほとんどパンク状態、あぶれた客をにわか作りの素人飯屋や屋台などが吸収している……という状態になっていた。当然、このような環境では流石に落ち着いてひとり飲みなどできるはずもない。


「ふぅ……」


 僕は酒杯のワインを飲み干してから、大きく息を吐いた。そして手酌でお代わりを注ぎつつ、周囲を見回す。狭い店内だが、客の数が少ないため圧迫感はあまりない。店の奥では、年老いた男吟遊詩人がこなれた手つきでリュート(日本で言うところの琵琶に近い楽器だ)を弾きつつ軍記物語などを吟じていた。

 フィオレンツァ司教がオススメするだけあって、なかなかに居心地の良い店だ。僕は上機嫌になりながら、ツマミのもつ煮込みを口の中に放り込む。濃いめの味付けだが、それがいい。塩味が疲れた体に染み渡る。

 料理もいいが、何より気に入っているのは客層だ。僕以外に何人かいる客はほとんどが落ち着いた雰囲気の中年女性で、酒をラッパ飲みしながら大騒ぎしているような馬鹿な若者など一人もいなかった。そういう学生街の居酒屋のような雑然とした雰囲気も嫌いではないが、今は静かに飲みたい気分なのである。

 ちなみに、当然のことではあるが僕は一般人に変装している。領主がそこらの酒場で酒飲んでるなんてバレたら大事だからな。そして、もちろん護衛も付けている。これまた一般人に変装した手練れの騎士が二名だ。……ちょっと飲みに行くだけで護衛を連れ歩かなきゃいけないなんて、なんとも大仰な話だ。はっきり言ってこういうのは趣味じゃないが、流石に本当に一人で出歩くわけにもいかん。偉くなるのも善しあしって感じだ。


「……」


 酒杯を傾けながら、吟遊詩人の声に耳を傾ける。王都の酒場でもよく聞いた、定番の演目だ。当時はアヴァロニア王国のいち諸侯でしか無かったヴァロワ王家が、大陸への出兵を期に主君に反旗を翻し一代で大王国を築く……ガレア王国の建国物語。何百年も前の話なので所詮は神話のようなものだが、物語としてはそれなりに面白い。

 ……何百年前の話とは言っても、ダライヤ氏などからすればほんのこの間のことなんだよなあ。むかしのエルフェニアはそこまで閉鎖的ではなかったようだし、詳しく聞いてみたら何か面白い話を聞けるかもしれないな。

 いやでも、そんなことを聞くタイミングって、あるんだろうか。今の僕は、彼女の求婚を断らねばならない立場であるわけだし。あのロリババアとは険悪な関係になりたくない。できれば円満に解決したいところだが……。


「はぁ……」


 思わずため息が出た。悩みは多いし、その割に僕に取れる選択肢は多くない。まったくままならないものだ。正直、現状に不満は多い。とはいえ、部下に向かって愚痴を垂れ流すようなダサい真似はできないだろ。ストレスは酒と一緒に飲み下してしまった方がマシだ。僕は酒杯のワインを一気に飲み干した。


「やあ、久しぶりだね」


 そんなことを考えていると、誰かから声をかけられた。顔を上げてみれば、そこにいたのは一人の若い竜人ドラゴニュートだ。顔つきは平凡だが、仕立ての良い服装や胸を張った独特の気品のある立ち方から、一目で貴人であるとわかる。……はて、久しぶりとな。僕の知り合いに、こんな女は居ただろうか――


「ああ、騎士様! あなた、王都の酒場で会った騎士様でしょう! これはこれは、お久しぶりです」


 僕は思わず立ち上がって、そう言った。そうだそうだ。王都の酒場で脱衣ゲームに興じ、パンツ一丁に剥かれかけていたときに助け舟を出してくれた騎士様である。あのあと僕は酔いつぶれ、この騎士様に家まで背負っていってもらったのだった。流石にそこまでの醜態をさらした経験はほとんどなかったので、よく覚えている。確かあの時も、僕は一般平民に変装して飲み屋に遊びに来ていたのだった……。


「ああ、よかった。覚えていてくれたようだね。忘れられていたらどうしようかと。――良かったら、相席しても?」


 ニコリと笑って、騎士様は僕の対面の席へと視線を向けた。さてどうしようかと一瞬考えてから、頷く。一人で鬱々と飲んでいるのも飽きてきたところだしな。この騎士様であれば、話し相手として申し分ない。前回の件で、この人が淑女的な人間であることは分かっているからな。


「ぜひぜひ」


「ありがたい」


 頷いた後、騎士様はちょっとまごつきながら自分の席の椅子を引いた。……これは、アレだな。この人、普段は他人に椅子を引いてもらう立場の人間っぽい。少なくとも、ヒラの宮廷騎士などではないだろうな。前に聞いた話では、とある貧乏貴族の三女という事だったが……。


「マスター、私にこの男性と同じものを」


「あいよぉ」


 やる気があるんだかないんだかわからない声で、店主が答える。一息ついてから、僕は彼女に話しかけた。


「しかし、奇遇ですね。あなたは、王都の騎士様でしょう? こんなドいな……王国の南端で再会するとは。偶然だとすれば、まさに極星のお導きですね」


 実際、一番気になるのはそこだ。このリースベンから王都までは、早馬でも半月はかかるほどの距離がある。辺境も辺境、ド辺境だ。王家に仕える普通の宮廷騎士ならば、普通こんなところまでやってくるような用事はないはずだ。

 そうなると、やはり作為を疑いたくなってしまう。ありていに言えば、こいつスパイじゃね? ということだ。まあ、スパイならスパイでいいけどね。相手がだれであれ、酒場の酔客相手に聞かれちゃマズイ話なんかしないし。むしろ、こっちを害する気がない程度のスパイならまったく罪悪感無くクダを巻ける貴重な相手だ。普段のストレス解消を兼ねて、さんざんにウザ絡みしてやる……。


「もちろん、その通り。我々のめぐり逢いは、極星の采配によるものさ。いわゆる、運命というヤツだな」


「はあ」


「……すまない、ちょっと大口を叩いた。残念ながら、偶然じゃあないんだ」


「そうでしょうね」


 まあ偶然だったらそっちのほうがビックリだわ。僕が鼻で笑うと、彼女は少し苦笑した。そこへ、店主が手づから酒と料理を持ってくる。代わり映えのしないワインと、これまた代わり映えしないモツ煮込み。僕は陶器製のワインボトルを手に取ると、彼女の酒杯に注いでやった。


「おっと、ありがとう。……じゃ、何に乾杯しようかな」


「では、再会に」


「うん、悪くない。では、再会を祝して、乾杯」


「かんぱーい」


 コツンと酒杯をぶつけ合い、お互いに一気に飲み干す。僕は満足げに、騎士様は不満げに息を吐いた。彼女の顔には、露骨な困惑が浮かんでいる。


「……なにやら、その……凄い酒を飲んでいるね?」


 騎士様は、だいぶオブラートに包んだ感想を述べた。ま、そりゃそうだろうね。このワイン、この店で提供されてる最低ランクのやつだし。味も薄けりゃ香りも薄い、そのくせ渋さだけは天下一品というひどい代物だ。少なくとも、貴族が呑むような酒ではないというのは間違いない。


「駄目になりたいときは駄目な酒を飲むべし。母の教えですよ」


「いったいどんな教育をしているんだ君のお母上は」


 思わず吹き出しそうにって、騎士様は思わず口元を押さえた。なかなかいい反応だ。……スパイかどうかはさておき、悪い人ではなさそうなんだよな。まあ相手が本物の諜報員だというのなら、ちょっと間抜けな善人を装うなんて簡単なことだろうが。単なる兵隊でしかない僕には、この辺の判別はつきかねる。難しい所だな……。

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