第367話 くっころ男騎士と蚊帳の外

 三日後、僕たちはアッダ村の野営地を引き払い蛮族たちと共にカルレラ市へと帰還した。とはいえ、帰ってきたと言ってもすぐにゆっくり休むわけにはいかない。なにしろ冬は日に日に深まっており、早急に冬営地を建設せねば疫病などが発生しかねないからだ。

 まずは蛮族どもを新エルフェニア・正統エルフェニア・アダン王国(アリンコ)の三グループに分割し、それぞれを貸与予定の土地に向かわせる。そして事前に準備していた建材や土木用品を分配して、越冬のための集落作りをスタートさせた。

 これは実際なかなか難儀な作業であった。なにしろ蛮族どもの総数は二千名オーバーだ。決して蛮族たちが反抗的なわけではないのだが、貧弱な幕僚組織と指揮系統しか持たぬリースベン軍の組織では統率するだけでも一苦労である。


「客人気取りでひとり遊んでいるのも申し訳ない。私に手伝えることがあったら言ってほしい」


 そこで助け舟を出してくれたのがスオラハティ辺境伯……もといカステヘルミだった。彼女はガレア王国屈指の大領地を治める領主である。新米領主の僕やブロンダン家の家臣団とは、持っているノウハウが大違いだった。

 カステヘルミは魔法のような手管でヒト・モノ・カネを巧みに差配し、我々だけならば三日はかかるであろう処理を僅か半日足らずで終わらせてしまった。もう、カステヘルミさまさまである。

 そんな中、驚いたことにソニアはずっと母親に付き従い、秘書のような仕事をしていた。どうやら、カステヘルミの手管を間近で見て勉強する腹積もりらしい。先日までは母の顔を見ることすら嫌がっていたことを思えば、大した心境の変化だ。それを見て、僕は密かに安どのため息をついていた。

 とにもかくにも、これでやっと冬営地の設営が軌道に乗った。僕は現場を配下の騎士に任せ、やっとのことでカルレラ市の領主屋敷に戻ったのだが……そこで僕を出迎えたのは、絶望的な表情をしたアデライドだった。


「大変に面倒なことになった」


 領主屋敷にいくつかある、応接室の一つ。そこへ僕たちを案内したアデライドは、開口一番にそう言った。ほんの数日会わなかっただけだというのに、彼女はひどくやつれ目の下にクマまで作っている。これは尋常ではない様子だぞと、僕とスオラハティ母娘は顔を見合わせた。

 ちなみにアデライドは僕の対面に座り、そしてスオラハティ母娘は僕の左右を固めている。またまたスオラハティサンドイッチの格好だ。僕の左右は、この頃この母娘の定位置になりつつあった。


「何やら……トラブルかな?」


「ああ……」


 カステヘルミの問いに、アデライドはため息じみた声で答えてから香草茶をすすった。そして、疲れたような笑みで僕たちを流し見る。


「……こっちは順調とは言えない状態だが、そちらのほうはバッチリのようだねぇ。どうなることかと心配していたが、安心してもよさそうだ」


「そ、そうだな。なんというか、その……雨が降って地が固まった、というか」


 僕と娘を交互に見ながら、カステヘルミがはにかむ。そんな母をチラリと見返してから、ソニアがため息をついた。


「それはいいとして……どうしてまた貴様はそうも憔悴しているのだ。貴様がそんな顔をするなど、そうそうあることではあるまい」


「どうもこうもない」


 顔をしかめながら、アデライドは首を左右に振った。


「あの妖怪婆のせいだ。まさか、あんな化け物がこのような辺境に隠れ住んでいるとは……アルくん、どうしてちゃんと警告してくれなかったのかね?」


 ああ……ダライヤ氏のことか。この頃忙しすぎてすっかり頭から吹っ飛んでいたが、そういえば宰相はあのロリババアを説得するとかなんとか言ってたな。で、その交渉が難航していると……。

 ま、冷静に考えれば当たり前か。アデライドは王国の政治家としては超一流の弁士だが、相手はあのロリババアである。一筋縄ではいかぬ相手なのは間違いない。


「マトモな事前準備も無しに、あの御老人を打ち負かすのはいくら私でも不可能だ。戦いを挑むのは、もう少し武器を集めてからにすべきだったな……」


 唇を尖らせながら、アデライドは不満そうな声を上げる。戦争は事前準備が九割、などという格言があるが、それは机上の戦いも同じことだ。交渉相手の情報すらマトモに知らぬ状態で交渉を挑めば、軽くあしらわれてしまうのも当然のことだろう。


「相手は齢千歳の年寄りですからね……知略の面で短命種が打ち勝つのは、なかなか」


「千歳? あの婆は、自分のことを五百歳だか六百歳だかと言っていたがねぇ?」


「時間の感覚があいまいなんですよ、あの人。おばあちゃんなので。……周囲の証言から見て、年齢四桁オーバーは間違いないようです」


「本物の妖怪じゃないか……」


 本気で嫌そうな顔をしながら、アデライドは香草茶のカップを指でつついた。そして小さく笑い、僕の方を見る。


「とにかく、私は妖怪婆との攻防で疲労困憊だ。ここは、新夫にいおっとのご奉仕で癒してもらいたいところだがねぇ? 具体的に言えば、香草茶の口移しとか」


「私のおらぬ間にアル様にコナをかけていた不埒なお義姉さまは口移しでのご奉仕をお望みですか! ここは義妹たるわたしにお任せを!」


 僕が何かを言うより早く、ソニアが立ち上がってアデライドのカップを奪い取った。そして、彼女の顔へぐいぐいと自分の顔を近づける。


「ウワーッ! ヤメローッ!!」


 女性同士でキスするような趣味のない宰相は、血相を変えて飛び逃げる。ソニアはフンと息を吐いて、僕の隣へと戻ってきた。……ソニアの前でセクハラなんか仕掛けるからそんなことになるんだよ。


「はぁ、まったく……冗談が通じないのは相変わらずだねぇ」


 トボトボと戻ってきたアデライドは、返してもらったカップで香草茶を飲みつつボヤいた。そして、皮肉げに笑いながら肩をすくめる。


「まあ……何にせよだ。状況を要約すれば、このままではあのダライヤとか言うババアに我らのアルくんを貸し与えねばならなくなる……ということだ。それに関してはお前も気に入らないだろう? ソニアくん」


「それは、まあ……」


 指摘を受けて、ソニアは目を逸らした。……よく考えれば、僕は一番にダライヤ氏から求婚を受けたというのに、いつの間にかこんなことになってるんだよな。流石にこれは不義理が過ぎないか? 僕の方から、しっかり説明したほうがいいだろ。

 ……しかし、ロリババアとの結婚か。正直、今でもかなり魅力的に感じちゃうんだよな。ソニアらの前では、もちろん言えないが。ダライヤ氏はなかなかの曲者だが、それが却って彼女の魅力になっている。むぅん、しかし現状から考えれば彼女の求婚はお断りせざるを得ない。……いや、いや。そもそもスオラハティ母娘に関しては僕の方から求婚したわけだから、今さらダライヤ氏に未練を感じる資格なんてないだろうに。

 というか、一応母娘双方から結婚の了承はもらちゃったわけだけど、コレどうなるんかね? どうやら、アデライドとの結婚も確定のようだし。三人と重婚? たしかに教会は重婚を禁じていないが、いくらなんでも母娘一緒というのはいい顔をしないかもなあ……。あとで、フィオレンツァ司教にでもいろいろ聞いてみるか。


「ダライヤ殿は、こちらで説得しましょう。僕には、その義務があると思いますし」


「アルくんが? やめておきたまえ」


 ところが、アデライドは僕の提案を即座に否定した。


「あの古老は本物の妖怪だ。君は実際の戦場ではたいへんに強いが、机上の戦いでは素人だからねぇ。むやみに説得しようとしたところで、却って言いくるめられるのは目に見えている。この戦いは、わたしが徒手空拳でフル装備のソニアくんに一騎討ち挑むのと同じくらいムチャだ」


「勝ち目無し、ということですか……」


「……万が一くらいの確率で勝てるかもしれないだろ」


「万が一どころか億が一もないだろうな」


 ソニアの言葉に、宰相がガクリとうなだれた。いやそりゃその条件で勝てる奴はネェルくらいだよ。僕でも絶対勝てねぇよ。


「……とにかくだ。私一人では、はっきりいって旗色がよろしくない。ここは、数を頼みにするほかないだろう。すまないがカステヘルミ、ソニアくん。私に手を貸してくれ」


「ははは……もちろん」


「致し方あるまい。これは貴様ひとりの問題でもないからな」


 スオラハティ母娘がコクリと頷くのを見て、アデライド宰相は安堵のため息をつく。


「……僕は?」


「このようなことに夫の手を煩わせたのでは妻の器量が問われるというものだよ、アルくん。君は心安らかに休んでいてくれたまえ」


「あ、そうですか」


 また僕は蚊帳の外かぁ……。密かにため息をつき、僕は視線を宙にさ迷わせた。この頃、こんなことばかり起きる。むろん、僕自身おのれが結婚云々の話題で役に立てるとは思っていないのだが、それにしても流石にひどくはないだろうか? 己の人生に関わるような選択に、能動的にかかわることができないとは……。

 ……まあでも、普通に考えるとこれがこの世界のスタンダードなんだよなぁ。世の御令息は、親の命じた相手に嫁ぐのが当然……という世界で生きているわけだし。好き合って結婚できるものなど、そうはいない。そういう意味では、どちらかといえば僕は恵まれている方だ。まあ、現代人としての感覚が残っている僕としては、それがわかっていても承服しがたいものはあるが……。


「アル、この頃君は働き過ぎだ。せっかくの機会だから、ここはわたしたちに任せて少しばかり休んでみてはどうかな? わたしとアデライド、それにソニアがいれば……執務の方も、ある程度代行できるだろうからね」


 ショボくれていると、カステヘルミが僕の肩を優しく叩いてそう言った。たしかに、辺境伯の言う通り最近の僕は明らかにオーバーワークだった。エルフの一件からこっち、ずっと働き詰めなのだ。疲労のせいで、余計に気分が沈んでいる可能性は十分にある。


「そうですね……お言葉に甘えさせていただきます」


 仕方が無いので、僕はみなに一礼してから部屋を後にした。これ以上この場に居ても、建設的な話には関われないだろう。ならば、カステヘルミの言う通りその時間を休憩に充てた方がマシだ。


「はぁ」


 応接室の扉を閉めるのと同時に、僕はため息をついた。なんとも、モヤモヤした気持ちが胸の中に充満している。思えば、この結婚騒動が始まって以降、僕は状況に流されるばかりだった。自分の準備不足が原因とは言え、やはり気分はよくない。なんとかリフレッシュしたいところだが……


「おや、アルベールさん。お疲れのようですね」


 などと考えていると、突然声をかけられて僕は飛び上がりかけた。見れば、声の主は天使のごとき純白の翼を背負った司教服の少女……フィオレンツァ司教である。


「あ、ああ、司教様……いや、フィオか」


 この場に居るのは、僕たちだけだ。他所向きのかしこまった口調で話す必要はない。幼馴染に対する口調に切り替えてから、僕は胸を撫でおろした。


「恥ずかしい所を見られたな。このごろ、なかなか大変でね……」


 まあ、大変といえば司教も大変なのだが。この頃の彼女は、カルレラ市やその周辺の農村の教会を巡りながら説法をする日々を続けていた。この説法のついでに、エルフら蛮族どもとの融和を説いていくのである。

 宗教的権威であるフィオレンツァ司教自らの説得は大変に有効で、この頃のリースベン領民の蛮族らに対する圧力は日に日に弱まっていっていた。市の郊外に冬営地を作る許可がカルレラ市参事会から降りたのも、フィオレンツァ司教の尽力あってのことだろう。


「ま、結婚前というのは大概そんなものですよ」


「……お耳が早いですね」


「坊主の耳は大きいと相場が決まっていますので」


 耳に手を当てて、フィオはくすくすと笑った。


「とはいえ、無理は禁物ですよ。辛い時ほど、気分を解放して……羽を伸ばす時間が必要です」


 その純白の羽根を実際にぐぐぐと伸ばして見せる司教の姿に、僕は思わず笑みを浮かべた。どうやら、彼女は僕を心配してくれているらしい。


「そうだね。時間もできたし……久しぶりにぱーっと飲んで気分でも晴らすかな」


 なにしろこの頃は忙しすぎるので、就寝前に睡眠剤代わりの寝酒を少し飲むだけ……という生活がしばらく続いていた。流石に、そろそろバカみたいな痛飲がしたくなってきている。


「フィオも一緒に飲むかい?」


 星導教では、聖職者の飲酒は禁じられていない。そしてフィオレンツァ司教はそのあどけない顔に見合わずなかなかの酒豪だった。一緒に飲む相手としては、大変に申し分ない。


「いえ、わたくしは遠慮させていただきます。……時には、一人でゆっくりする……というのも、精神安定上は重要なのですよ。今アルベールさんに必要なのは、心地の良い孤独ではないかと思います」


「……確かに」


 自分の部屋で一人鬱々と飲酒をするような真似は流石に精神に良いはずがないが、飲み屋の喧騒をBGM代わりに独りでゆっくり飲む……というのも案外オツなものである。言われてみれば、確かに今はそういう気分かもしれない。自分でも自覚できないような無意識の欲求にさえ気付くとは、流石はフィオレンツァ司教である。


「先日、よいお店を見つけましてね。あまり大きなお店ではありませんが、落ち着いた雰囲気で隠れ家のような良さがあります。あそこならば、正体を隠してひっそりと楽しむにはぴったりかと」


 ニッコリと笑って、フィオレンツァ司教はそう言った。……確かに、よく考えてみれば僕はこの街の領主だ。多少変装したところで、表で流行っているような店に顔を出すのはマズい。彼女の言う通り、遊びに行くなら隠れ家のような店の方が良かろう。僕はフィオの助言に従うことにした。

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