第366話 盗撮魔副官と作戦会議(2)

 わたしは、友らにこれまでの経緯を語った。母との衝突の経緯、アル様の涙、そして和解……。なんとも恥ずかしい話だが、隠し立てをしても良いことなど何もない。なにしろ、わたしが求めているのは助言だからな。適切な助言をもらうには、正確な情報を提供せねばならん。


「なるほど」


 ナッツ類をつまみにホットワインを一杯やりつつ、ジルベルトが頷く。アル様もたいへん酒にお強い方だが、ジルベルトもなかなかだ。すでにボトル一本分のワインが彼女の腹の中に消えているというのに、その顔色に変化はない。

 ああもガバ飲みしているところを見ると自分もご相伴にあずかりたくなるのだが、手を出そうとするたびにあのカマキリ娘が牽制してくるのである。自分はガッツリ飲酒しているくせに、ケチなカマキリだ。仕方が無いので、わたしはカリーナと共にハチミツ入りの生姜湯を飲んでいた。


「状況は、理解しました。親子喧嘩の経緯に関する感想は差し控えるとして……。なんというか、主様……スオラハティ家に、振り回されっぱなしですね」


「そうだな……」


 深いため息とともに、わたしは頷いた。正直、愛想をつかされても仕方が無いような挙動をしている自覚はある。特に、家出以降のわたしを厚遇していただけたのは、本当にありがたい。下手をすれば、スオラハティ家そのものから睨まれかねないような行為だからだ。母さんが甘い人で良かった……。


「今から考えると、お情けとはいえよくわたしと結婚してくれる気になったな、という気がする」


「まあ、情け深いこと海のごとし、というのがお兄様なので」


「しかり、しかり」


 カリーナの言葉に、ジルベルトが腕組みをして頷く。彼女らは、もともとは敵だったわけだからな。ブロンダン家に受け入れてもらったことを、恩に感じているのだろう。


「まあでも、狩人としては、情けない、状況なのは、確か、ですね」


「うむ……」


 ネェルの指摘にわたしは頷いた。


「自分の、力で、追い詰めて、押さえつけて、トドメを、刺す。狩猟も、恋愛も、醍醐味は、同じ。違いますか?」


「物騒な例えだが、言いたいことはわかる。わたしも、自分の力でアル様を仕留めたかったよ」


「ソニアちゃんは、狩人を、気取れる、実力では、ありません、でした。現状を見るに、狩人は、アルベール君。獲物は、ソニアちゃん、ですね」


「主様は、好き好んでソニアを仕留めたわけではないですけどね。身が少なくて味も悪い小鳥だが、懐に飛び込んできたから仕方なく捕まえた……そういう状況が近いかもしれません」


 ネェルとジルベルトの連携攻撃を受け、わたしはガックリとカリーナの頭に突っ伏した。この牛義妹の髪は柔らかく、しかも良い匂いがする。傷心を癒すには最適の抱き枕だった。今度アル様と同衾するときは、こいつも連れて行ってやろうかな……。

 しかしまあ、今のわたしが必要としているのは、アル様や母さんの優しさではなく、彼女らの辛辣さだ。現状から脱却するには、遠慮のない指摘と助言が必須である。


「獲物がわたしで、猟師がアル様。それはまあ良い。しかしわたしは、アル様が『仕留めてよかった』と思えるような獲物でありたいんだ。しかしわたしは根っからの粗忽者で、どうすればアル様が喜んでくれるのやらさっぱりわからん。すまないが、皆の知恵を貸してほしい」


 そう言って、わたしは深々と頭を下げた。アゴがカリーナの頭に当たって、彼女が「ぴゃあ……」と困ったような鳴き声を上げる。本当に無駄に可愛いなコイツ。


「獲物として、美味しければ、良いわけですね?」


「ああ、そうだ」


「体に、塩を、塗り込んで、ネギを、抱えて、ください」


「獲物云々は比喩だぞ!?」


「でも、確実に、美味しく、なりますよ? とぉっても……」


「ひぇ」


 焚き火に照らされたネェルの笑みは、戦場慣れしているわたしでも背筋が凍り付くほど恐ろしかった。胸の中のカリーナなど、絶句してプルプルと震えることしかできなくなっている。おいやめろよ、お漏らしだけは勘弁しろよ!?


「冗談、冗談。マンティスジョークです。うふふ……。おっとヨダレが……じゅるり」


「……お前はこれでも食ってろ」


 わたしは焚き火で温めなおしていた羊肉の串焼きを、すべてネェルに押し付けた。彼女は満面の笑みで「わぁい」と喜び、その恐ろしい形状の鎌を器用に使って串を受け取る。ジルベルトが「わたしのツマミが……」などと呟いたが、お前自身がネェルのツマミにされるよりはマシだから我慢してほしい。


「はぁ……まったく。で、なんですか? 主様にとって、美味しい獲物になる? ふぅむ、存外難題ですね。それこそお金を貢ぐくらいしか思い浮かばないのですが……」


「発想がアデライド並じゃないか!」


 強欲宰相の顔を思い浮かべながら、わたしは叫んだ。……そう言えば、あの欲深宰相ともアル様を共有せねばならんのだよなあ、わたし。確かに、竜人ドラゴニュートであるわたしではブロンダン家の世継を産んで差し上げることはできないので、只人ヒュームの嫁を迎えるのは致し方のない話なのだが……しかしそれがまさか、アデライドになるとは。ああ、気が重い。


「し、しかしそんなことを言われても……」


 唇を尖らせるジルベルトに、わたしはため息をついた。わたしにしろジルベルトにしろ、二十代になってもいまだ処女の恋愛初心者だ。いくら考えても名案が湧いてこないのも、致し方のない話かもしれない……。


「というか、夫婦は夫婦でしょ? 狩人とか、獲物とか、そういう例えに拘る必要は無いと思うんですけど……」


 湯気の上がる生姜湯を舐めるように飲みつつ、カリーナが指摘した。むぅと小さく声を上げたネェルが、食べ終わった鉄串を地面に置く。


「言われて、見れば、その通り。ネェルの、父と、母も、狩人だの、獲物だの、という感じでは、無かった、ですね? 連理の枝、的な?」


「妙に難しい単語を知っているな、お前は……」


 連理の枝というのは、別々の木の枝同士が混ざり合って、一体となっている現象のことである。転じて、仲睦まじい夫婦にも使われる言葉だ。妙な思慮深さといい、語彙といい、このカマキリ娘はかなり蛮族離れしている。両親の内の片方か、あるいは両方がそうとうに高い教養をもった方だったのだろう。


「母は……夫婦は、お互い、支え合うもの。そう言って、いました。一人では、できない、事も、相方がいれば、出来る、みたいな? ……というわけで、ネェルは、一人では、新しい、お肉を、焼けません。おかわりを、要求、します」


「あぁい……」


 ジルベルトがやる気のない声で答えて、皿に乗った羊肉の串焼きを焚き火にくべる。


「ふぅむ。一理あるな」


 夫婦はお互い支え合うもの……か。確かにその通りだ。今までのわたしは、アル様に支えられるばかりだったのかもしれん。むろん、自分ではアル様の助けになっていたつもりだが……。


「……」


 そういえば、わたしはどれほどアル様をささえていたのだろうか? もちろん、仕事の手伝いはしている。現状のリースベンは、わたし無しには回らない。そういう自負は確かにある。だが、それはあくまで公的な面での支えだ。しかし、私的な部分は……わたしが、支えて貰うばかりになっていたような気がする。これでは、駄目だ。公私にわたって支え合うのが、夫婦の正しい形だろう。


「……むぅ」


 思い返してみれば、わたしにはアル様に愚痴をこぼした経験はあっても、愚痴を聞かされた経験はない。アル様が弱音を吐いているところも見たことがないし、アル様と怒りを共有したこともない。

 記憶を探れば探るほど、わたしは血の気が失せていった。こんな関係が、対等なものであるはずがない。一方的な、与えられるだけの関係。兄と妹、あるいは父と娘のような……。ああ、アル様がわたしを恋愛対象と認識していなかったのは、当然の事なのだ。


「そうか、そういう……ことだったのか。わたしは、アル様に寄り掛かることは出来ても……寄り掛かられるには、足りなかったと」


 わたしはカップに残っていた生姜湯を一気に飲み干した。食道がカーッと熱くなったが、しかし私の心根はむしろ冷え切っている。これでは、連理の枝どころかヤドリギではないか!


「ソニア……」


 気づかわしげに、ジルベルトがわたしの方を見る。


「笑えるな、これは。十数年も一緒にいて、わたしは昨日初めてアル様の涙を見たんだ」


 無理に笑顔を浮かべようとして、わたしは失敗した。ああ、しかしこれは笑い話だ。わたしは道化だ。しかも、かなりできの悪い道化である。


「あの方の弱い部分を、わたしは何も知らない……弱味を見せられるほど、信頼されていなかったのか……?」


「……弱い部分、ですか」


 手酌でホットワインを注いでいたジルベルトが、動きを止めた。酒杯があふれそうになり、慌てて「オットット」と口で迎えに行く。


「……ぷはっ。言われてみれば、確かにその通りですね。主様ほど他人に弱みを見せない方も、珍しい。まさに、常在戦場というか」


「むぅ……そういえばそうかも」


 すこしばかりしょげた声を出して、カリーナが身を固くする。そりゃあそうだろう。十年以上の付き合いであるわたしですら、この有様なのだ。出会ってまだ一年も立っていない彼女らにアル様のまだ見ぬ一面などを引き出された日には、わたしはいよいよ再起不能になってしまう。カリーナの頭を撫で繰り回しつつ、小さくため息を吐いた。


「あ。ネェルは、見たこと、ありますよ。アルベールくんの、弱ってるところ」


「えっ!? い、いったい、どんな……」


「ネェルが、アルベールくんを、誘拐して、森の中に、連れ込んだ、時です。アルベールくん、本気で、怖がりながら、話せばわかる! って。うふ、可愛かったなぁ」


「そのシチェーションで恐怖しない人間は人形か何かだよ!?」


 カリーナが大声で叫んだ。わたしもまったくの同感である。このカマキリ娘は、死ぬほど物騒な風体をしている。こんなヤツに捕まったら、わたしとて恐怖で腰を抜かしてしまうかもしれない。むしろ、出てくる発言が「助けてくれ!」ではなく「話せばわかる!」の時点でかなり肝が据わっている方だと思うが……。


「うふふふ……冗談。マンティスジョーク、ですよ。あの時の、アルベールくんは、大変に、勇敢で、優しかったです」


 ニコリと笑って、ネェルは鎌で掴んでいた徳利の中身を一気に飲み干した。


「そういう、大層、肝の据わった、人ですから。素の、アルベールくんを、見るのは、なかなか、難儀、するでしょう。地道に、頑張って、心を、開いてもらう。それが、吉だと、思います。急いては事を仕損じる、的な?」


「うむぅ……」


 わたしは小さく唸ってから、新しい生姜湯をカップに継ぎ足した。なかなか難しい問題だ。しかし、ネェルの言う事にも一理あるだろう。後れを取り返そうと無理をして、却ってひどいことになる。そういう事例は、戦史においても枚挙にいとまがない。慌てて行動するのは厳禁だ。


「アル様がわたしに本心を見せないのは、わたしが頼りないからだろう。今の私は、アル様の妻としても、母さんの娘としても、ふさわしくない女だ。アル様の隣に立つには、あまりにも実力不足……」


「それに加え、心理的な距離を縮める努力も必要でしょうね。これは実質、攻城戦ですよ。我らが挑むのは、無敵の大要塞アルベール……という訳ですね」


「面白い着眼点だな。たしかに、城攻めに置き換えてみれば考えやすいかもしれない……」


 カリーナの言うところの、「恋は戦争」というわけか。なるほど、わかりやすい。


「正直言って、この仕事はわたし一人では荷が重い。ジルベルト、ネェル、それにカリーナ。すまないが、手を貸してくれ」


 真剣な心地で周囲を見回すと、皆躊躇なくコクリと頷いてくれた。なんとも頼もしい仲間たちである。わたしはほっと安どのため息をついた。


「まずは、このたるみ切った未熟者を叩きなおすところから始める。是非とも、わたしの悪い点を指摘してほしい」


「そうですね……第一に――」


 食い気味に、ジルベルトが口を開いた。そのあまりのスピードに、わたしは思わずタジタジになってしまう。……結局この夜、わたしは五回ほど本気で泣く羽目になったのだった……。

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