第365話 盗撮魔副官と作戦会議(1)
朝食を終えた後、わたしとアル様は激務の波に飲まれることになった。結婚云々のアレコレだけでも大変だというのに、それ以外の仕事も山のようにあるのだから大変だ。ゆっくり物思いにふける時間など、どこにもなかった。
今のわたしの仕事は、この野営地の管理と監督である。これがまあ、なかなかに大変だ。なにしろ今でこそひと塊になっている蛮族どもだが、元はと言えば対立関係にあった複数のグループの寄り合いである。"新"と"正統"などはほんの少し前までは戦争状態にあったわけだし、アリンコ共も歴史的な経緯からエルフどもとは相性が良くない。
そういう有様だから、一まとめにして管理するのは困難を極めた。毎日のようにトラブルが起きるし、流血沙汰も珍しくない。その仲裁をしているだけで、一日があっという間に過ぎていくほどだ。さらにそれに加え食料の配給やら傷病者の世話やら現地の村人との軋轢の回避やら、いくらでも仕事があるのだからたまったものではない。
まあ、それもあと数日の辛抱だ。もう少ししたら、蛮族どもはいくつかのグループに分割してカルレラ市の郊外へ引っ越しさせ、冬を乗り越えるための冬営地の設営に当たらせる予定だった。市の参事会はもちろんかなり嫌な顔をしたそうだが、アル様とあの腐れ婆の尽力によりなんとか首を縦に振らせることに成功したのである。
蛮族どもの集落をカルレラ市の近くへ引っ越しさせれば、物資の輸送や人員のやり取りが遥かに楽になる。むろんこれで何もかも解決! というわけにはいかないだろうが、労力をかなり削減することができるのは確かだ。
「ふぅ……」
そんな苛烈な執務をなんとか終わらせ、夕食を取ったわたしは野営地のはずれで体を休めていた。焚き火を挟んだ対面には、ジルベルトとネェルが。そしてわたしの胸の中には、人間湯たんぽと化したカリーナがいる。くしくも、先日と全く同じ布陣であった。
「お疲れですね」
スパイス入りのホットワインをちびりちびりと飲みつつ、ジルベルトが言う。カルレラ市のほうで働いていた彼女だが、野営地の移設の件でこのアッダ村を訪れていた。お互いに忙しい中、せっかくの機会である。母さんやアル様などの件について相談に乗ってもらおうと、時間を作ってもらったのだ。
「まあ、な。何しろいろいろあった……」
アル様がわたしとの結婚を了承してくれた件については、すでに彼女らには話してある。なにしろ、わたしが嫁入りするからにはジルベルトも一緒にくっついてくる手はずになっているからな。我々はほとんど運命共同体のようなものだから、この手の重大事に関しては即座に情報共有をするようにしている。
「ま、上手く行ったようで、何より、です」
物騒な形状の鎌をこすり合わせてギチギチと音を立てながら、ネェルが笑った。何しろ時刻はすでに夜で、灯りは焚き火の光のみ。そのボンヤリとした光に照らされた異形の亜人がそのようなことをしているのだから、本気で怖い。知り合いでなければ即座に逃げ出しているレベルだ。
「ああ……お前とカリーナの援護のおかげだ。この借りは、決して忘れん。ありがとう」
なにしろ、母娘に対して同時に愛を告げるなど尋常ではない。アル様も、そうとう躊躇があったことだろう。そんな彼の背中を押してくれたのが、カリーナとネェルだ。アル様との結婚、そして母さんとの和解……そのどちらも、二人の協力がなければ達成できていなかった可能性が高い。わたしとしては、いくら感謝してもしきれない……というのが正直なところだ。
「なぁに、大したことでは、ありませんよ。ねぇ、カリーナちゃん」
「も、もちろん! ソニアお義姉様にも、辺境伯様にも御恩がありますから! お手伝いさせていただくのは当然ですよ!」
わたしと二人羽織状態になっているカリーナが元気な声でそんなことをのたまうものだから、わたしは思わず笑ってしまった。お前の魂胆は知っているんだからな、格好をつけたことを言っても無駄だ。……まあ、援護が有難かったのは確かだが。
わたしは無言で義妹の頭をグリグリと乱暴に撫でまわした。カリーナは目を回しながら、「ウワーッ!!」と叫ぶ。……しかし、やっぱりいいな。カワイイ妹ってヤツは。一応わたしにも二人妹がいるのだが、どちらも全然可愛くない。片方はわたしは病的に信奉しているし、もう片方はわたしの短所を倍にして自制心を半分にしたような極端な性格をしている。どちらも正直なところ苦手だ。しかもデカくて冷たいので抱っこのし甲斐がないと来ている。まあ
それに比べて、カリーナは良い。ちっちゃいし、あったかいし、カイロにぴったりだ。髪の毛の手触りも良い。ちょっと生意気なところもあるが、初対面の頃からくらべれば、大した成長ぶりを見せてくれているしな。実の妹のほうとアル様を共有するのは勘弁したいが(まあ上の妹のほうはアル様を嫌っているのだが)、カリーナならばまあいいかという気分になってくる。
「そうそう。お友達の、恋路を、応援するのは、当然の、ことです」
「ネェル……」
優しい声でそう言うカマキリ娘に、おもわず胸の奥がジンと熱くなった。見た目は怖いが、本当にこいつはいい奴だ。……ん? いや、待てよ。「友達の恋路を応援するのは当然」……?
つまり自分の恋路も応援しろと言う事か! このカマキリ娘が誰を狙っているかなど、考えるまでもない。く、なんということだ。無視するわけにはいかない貸しを作っておいてから、しっかりと釘を刺す……! このカマキリ娘は、気だけではなく頭も本当によく回るな。これで戦闘力もわたしより高いのだから、本気でどうかしている。
……コイツ、軍学を収めたらわたしの上位互換になれるんじゃないか? ……じょ、冗談じゃない。友達になるのはイイが、後塵を拝すのは認められない。下位互換に堕したりせぬよう、せいぜい頑張らねば……。
「こ、こほん。まあ、それはさておき……本題に入ろう」
とにかく、こちらはネェルらに助けてもらった身の上だ。これ以上この話題を続ければ、わたしの不利は避けられない。ここは戦略的撤退をすべき盤面だな。わたしは話を逸らすことにした。
「先ほども説明した通り、紆余曲折はあったがなんとかわたしはアル様との結婚にこぎつけることができた。ただ、これは己の力で成し遂げたことではない。母の慈悲と、アル様の情けによるものだ」
「母の情け、ね……」
焚き火の中で湯気を上げる足つきの鉄鍋から徳利を引き上げつつ、ジルベルトは難しい顔で呟いた。
「母娘仲が修復されたのは、たいへん結構なことです。ただ、その……わたしはスオラハティ家の臣下ではなく、ブロンダン家の臣下ですから。いろいろと、気になる部分はあります。なんというか、大変に失礼なことをお聞きしますが……」
「わたしの母にアル様を任せて、大丈夫なのか。そう聞きたいわけだな、義姉上は」
確かに、ジルベルトの立場からすれば、聞きづらくとも必ず聞いておかねばならぬことだろう。一人の男を母娘で共有するなど、正気の沙汰ではない。外部から見れば、我が母はどうしようもない色ボケババアに見えるに違いない。そんな女に、尊敬する主君の人生をゆだねられるはずもなく……。
「……卿の懸念ももっともだが、それに関しては心配せずとも良い。母は、その……性癖に関しては、少々風変りだが。しかし、人柄は信頼しても大丈夫だ。わたしよりも、よほど善良で思慮深い方だよ」
「あれほど母親を嫌っていたというのに、ずいぶんと意見が変わりましたね……」
ジルベルトは、ジトーッとした目をこちらに向けながら徳利のホットワインを酒杯に注いだ。そして残りの分を、おずおずとネェルに手渡す。満面の笑みで徳利を受け取ったカマキリ娘は、わずか一口で入っているワインをすべて飲み干してしまった。……巨人族ばりの飲みっぷりだが、コイツに酒を飲まして大丈夫なのだろうか? 暴れだしたりしないだろうな……。
「うん、まあ……いろいろあったからな」
……ジルベルトはわたしの義姉妹で、ブロンダン家の筆頭家臣だ。おまけに、おそらくはアル様の"本命"でもあるように思える。下手な隠し事はすべきではない。ここは、恥を忍んで事の次第について説明しておくべきだろう。わたしはため息をついてから、今回の件の経過について話し始めた……。
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