第364話 盗撮魔副官と女騎士即堕ち二コマ

 わたし、ソニア・スオラハティは……複雑な心境だった。母親と、そしてこの世で最も愛している男を泣かせてしまった。アル様の涙など、生まれて初めて見たかもしれない。この期に及んで、やっとわたしは己の愚かさに気付いた。わたしは、母とアル様の愛に甘えていただけのガキだったのだ。図体ばかり大きくなっても、中身は自己を客観的に見ることすらままならぬ未熟な子供に過ぎないのである……。

 ああ、だが……浅ましい話であるが、アル様と結婚できることになったのは、とても嬉しい。歓喜のあまり泣きそうになってしまうほど、嬉しいのだ。愛しい人と人生を共にする、これほど素晴らしいことはない。

 ……だが、勘違いをしてはならない。アル様がわたしとの結婚を了承してくれたのは、わたしと母さんとの関係を修復させるため……つまりは、お情けである。こんな理由で結婚してもらうなど、女としてはあまりにも情けない。アル様と結婚できるという歓喜とは別に、いますぐ穴があったら入りたいという心地にもなっていた。とにかく、複雑な心境だ。


「……」


 わたしは無言で、根菜のスープを口に運んだ。起床後、身支度を整えた我々は指揮用天幕で朝食をとっていた。対面の席には母上……いや、母さんが座り、その胸の中には人間湯たんぽとしてカリーナが収まっている。同じように、わたしの胸の中にはアル様がいた。南国リースベンとはいえ、やはり冬は冬。竜人ドラゴニュートの身には、この寒風は堪えるのだ。


「なるほど……これが燕麦のパン」


 スライスされた丸パンをかじりながら、母上が言った。リースベンで食べられている燕麦パンは硬くてもろくて酸っぱい。北部の庶民食、ライ麦パンも大概な代物なのだが……それよりもなおひどい。

 本来ならば貴族が口にするような食べ物ではないのだが、リースベンでは小麦は極めて貴重なのだ。白パンなど、我々であっても普段から食べられるようなモノではなかった。


「申し訳あり……申し訳ない。リースベンでは、小麦粉を調達するのがなかなか難しくて、貴族とはいえなかなか口に出来るものではないんだ」


 喋り方に四苦八苦しながら、アル様が答える。母上とフランクな口調で話すことに、まだ慣れていないのだろう。……そんな想い人の様子を見て、わたしの胸は何とも言えない痛みを発した。むろんわたしも、彼を独占できるなどとは思っていなかったのだが……まさか、実の母親と共有することになるとは。

 ……今回の一件で、わたしは母さんと和解することに決めた。昨日の久方ぶりの親子の会話は、愉快痛快とはいかずともなかなか有意義なものであったのは確かだ。母には母の事情があった。夜這い事件に関しては確かにいまだに許しがたいものがあるが、その後のわたしの対応を思えば母さんを責めてばかりもいられない。わたしにも、悪い所はいくらでもあったのだ。

 でも、それはそれ、これはこれ。母さんとアル様が仲良くしているところを見るのはやはり辛いし、ふたりがむつみ合う所を起き抜け早々に目にした時など心臓と頭が爆発しそうになった。……だが、慣れねば。わたしは、母とアル様と、三人で幸せになることに決めたのだ。二人がイチャイチャしていたら、自分も飛び込んでいくくらいの図太さが必要だろう。


「……」


 とはいえ、今すぐはムリだ。心に整理をつけなければ。わたしは母さんから視線を外し、代わりにカリーナを見た。彼女は、食べこぼしで母さんの服を汚さないよう、やたらと慎重な手つきでパンを食べていた。まだ、人間湯たんぽの二人羽織りスタイルに慣れていないのだろう。その手付きはたどたどしいものだった。

 そういえば、迷うアル様の背中を押したのは、この義妹とネェルらしいな。二人には、あとでキチンと礼を言っておかねばならないだろう。彼女らの援護がなければ、わたしは世界で一番大切な存在を失っていたかもしれん。

 ……まあカリーナの場合、ある程度の下心はあってのことだろうがな。こいつの計画については、すでに母さんからこっそりと事情を聞いている。まさか、騎士の愛ミンネなどという古臭い制度を持ち出すとは……まあいい、わたしには彼女を責める権利などないからな。いや、むしろ義妹の恋なのだから、応援してやらねば女がすたる。

 ……はあ、しかし……アル様の妻は、公式・非公式を合わせていったいどんな数になってしまうのだろうか? 今からだいぶ不安になってきたな。まあ、良い男には女が群がるのが自然の摂理、ある程度は仕方のない事なのだろうが。


「……土壌と気候の問題で、リースベンでは小麦がほとんど育ちませんから。思い切って小麦はすべて輸入品に切り替えて、余った畑はサツマエルフ芋と燕麦の栽培に切り替えようかと」


「なるほど……出来るだけ多くの領民の腹を満たしてやるには、それが一番だろうな。ただ、小麦の需要がなくなることはない。すべて輸入で賄うとなると、コスト増が……」


「そうですね、いくら大産地が近いとはいえ……。輸送コスト削減のためにも、街道の整備は急務ですね。ただでさえ、今ある未舗装の街道は行商人の増加でパンク寸前です。いっそ、新しい街道を増やすべきでしょう」


「うん、それも大切だが……せっかく海が近いのだから、港を作って海運に接続すべきだな。やはり、物流のすべてを荷馬車に頼るのでは無駄が多い。大規模輸送となると、やはり水上交通が一番だ」


 黙々と食事を続けるわたしとカリーナとは反対に、母さんとアルはいかにも貴族らしい"オトナ"な会話をしている。むろんわたしも帝王学を叩き込まれた人間だ。クチバシを突っ込もうと思えば、できないことはないのだが……自らの未熟を悟った今となっては、しゃしゃり出ようという気にはあまりなれない。

 今回の一件でわたしは己の未熟さを痛感した。今の今まで、わたしは自分がここまで母に愛されていることにも、これほどまで自分がアル様に甘えていたことにも気づいていなかったのだ。これで一人前を気取るなど片腹痛い。

 とにかくわたしの気の回らないことと言ったら、カリーナやネェルに教えを請わねばならぬほどの水準なのだ。このような有様では、アル様にふさわしい女とはとても言えない。そりゃあ、アル様がわたしを恋愛対象として見ていなかったのも当然のことだ。彼からすれば、私は手のかかる妹のようなものだったのだろう……。


「……よし」


 だが、いつまでもそんな状態に甘んじているわけにはいかない。わたしは小さく呟いてから、決意を込めて燕麦パンを嚙み締めた。経緯はどうあれ、わたしはアル様の婚約者になったのだ。彼にふさわしい女へと成長するのは最優先の急務である。そのための努力ならば、いかような労力も厭わぬ所存だった。

 それと、今まで親不孝をしたぶん、母さんにも恩返しをしなくてはならないな。幸いにも、母はこの冬は避寒をかねてこの地に滞在するらしい。親孝行の機会はいくらでもあるというわけだ。精神修行も兼ねて、せいぜい頑張ることにしよう。


「……」


 そこまで考えて、わたしの頭は動きを止めた。アル様にふさわしい女……冷静に考えてみれば、なかなかの難題だ。なにしろアル様はどこまでも規格外の男性で、それに釣り合う女となるともう神話の英傑クラスになってしまうのではないだろうか? ううむ、これは難しい。一体、どうしたものか……。

 ……黙考しても、なかなか答えはでなかった。ううーむ、これは難題だぞ。一人で考えていても、解決する気がしない。こういう時は……友人たちから知恵を借りるほかないか。

 幸いにも、我が親友にして義姉、ジルベルトが今日の午後にこのアッダ村野営地を訪れる予定となっている。夕食の後にでも、相談してみることにしようか。……ジルベルト以外にも、ネェルの奴も呼ぼうかな? あのカマキリ女、見た目と図体のわりに異様によく気が回る。わたしが師事する相手としては、もしかしたら一番良いかもしれん。……人付き合いの能力が人食いカマキリ以下とか、我ながらどうなってるんだ。情けない……。


「……ソニア? 大丈夫か」


 ウムムと唸っていると、わたしの胸の中に納まっていたアル様がこちらを振り向いて聞いてくる。その表情は、ひどく心配そうなものだ。……ああ、いけない! 気合を入れて早々、アル様に心労をおかけするとは!


「い、いえっ! たいしたことではありません! 自分を叩きなおすすべについて考えておりました!」


「……そうか。だが、あまり無理はするなよ? 張り詰め過ぎた糸というのは、かえって切れやすいものだ。人間の精神も同じこと、適度に緩めておいた方がいい」


「え、ええ! わかっております! ご心配なく」


 ああ、やはりアル様は優しいなぁ。わたしは思わず泣きそうになった。母もアル様も、とにかく優しい。そのやさしさに、わたしは甘えすぎていたのだ。今のわたしに必要なのは、ジルベルトやネェルのような辛辣な叱咤であろう。

 ……優しいと言えば、昨日のアル様の優しさは尋常ではなかったな。触るどころか、舐めることすら許してくれたし。さらに、自ら奉仕することまでやってくれた。あれはまさに、夢のような状況だった。母親同伴というのが、かなりの減点ポイントだが。

 あんなことを体験してしまったら、もう写真などでは満足できぬのではなかろうか? 少々……いや、かなり心配だ。……だがしかし、考えてみれば紆余曲折があったとはいえ一応我々は婚約者同士の身。手や口を使ったアレコレ程度なら、頼めば今後もやってくれるのではなかろうか? もちろん、子供が出来るような行為は初夜まで待つべきだろうが。しかしその程度でも、自分で自分を慰めるよりははるかに有意義……

 ……はっ! もう甘えないと決めた矢先に、またアル様に甘えようとしている!? いかん、いかんぞ、これは。流石にこらえ性がなさ過ぎる。このような有様では、夜這いをした母さんをまったく責められぬではないか!!


「ソニア、本当に大丈夫なのか?」


 悶々とするわたしに、アル様が心底心配したような目を向けている。やめてください、アル様! わたしにはあなたに心配されるような資格などないのです! ……ううっ、駄目だ駄目だ、真面目になろうと思えば思うほど、感覚が鋭敏になって……膝の上に乗ったアル様の尻の感触が! 全身から漂ってくる寝汗の香りが!

 う、うわああああっ! 駄目だ、絶対だめだ! こんな艶めかしい男性を胸に抱いて、真面目なことなんか考えていられるわけがないんだっ! 頭がスケベに支配されてしまう! 心を入れ替えると決めた矢先にコレかっ! 本当にわたしという女は……わたしと言う女はァーッ!!


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