第226話 くっころ男騎士と捕虜尋問(2)

 すきっ腹に酒を流し込めばどうなるか? 答えは簡単、あっというまにべろべろのぐでぐでになる……だ。


「年寄り衆はオイらんこっを若造にせ若造にせち呼んで馬鹿にすっどん、えーころ加減少しは認めてほしかど」


 結果、リケ氏は二十分もしないうちにすっかり泥酔状態になってしまっていた。エルフ族は一般的に酒に強いものが多いようだが(ただ、高アルコール飲料は口が慣れていないようだ)、こうなってしまえばもはやまな板の上のコイである。僕のように尋問官としての教育を受けていないズブの素人でも、容易に様々な情報を引き出すことができる。

 リケ氏本人の個人情報も、それなりに集まった。彼女は年齢七十歳で、ラナ火山噴火以後の生まれらしい。これは伝統的なエルフの価値観ではまだまだ若造の扱いをされるような年齢で、我々の感覚で言えば十代後半から二十代前半くらいの感覚のようだ。

 ところがここ百年ほどエルフは急激な人口減少の真っただ中にあり、百歳から二百歳くらいの現役世代の大半が戦死や餓死でいなくなってしまった。その結果、今のエルフェニアには年寄りと若者しかいないのだという。


「どうだろうねえ。僕にはエルフの年寄り衆の考え方は分からないが……君の戦いぶりは見事だったよ。年寄りたちが何と言おうと、君は胸を張っていいと思うよ」


 そういって、僕は鉄格子ごしにリケ氏の酒杯にワインを注いでやる。ワインボトルは、すでに二本目だ。僕も多少は飲んでいるが、大半はリケ氏の胃の中に消えてしまった。飢餓状態でいきなりこんな量のアルコールを摂取してもこの程度の乱れようですんでいるのだから、エルフの頑健性は尋常なものではない。只人ヒュームならとっくに意識を失ってるんじゃないだろうか?


「そ、そうか?」


「ああ。特に、あの樹上からの奇襲は見事だった。運よく僕は生き残ったが、一歩間違えればやられていただろうな」


 実際、エルフの戦士がやたらと手強いのは確かだ。流石に竜人ドラゴニュートや大型獣人には及ばないものの身体スペックはかなり高いし、魔力にも秀でている。それに技術や発想力も伴っているのだから手が付けられない。真面目に戦いたくないよ、こんな連中とは。

 まあ、だからこそこうしてガッツリ味方に引き込もうとしてるわけだからな。たとえエルフどもと全面対決することになっても、一部のエルフや鳥人はこちらの陣営に引き込みたいところだ。そうしない限り、平坦な地形以外で戦えばこちらが一方的に負けることになる。


「……そげんこっをゆてくれたんな、おはんが初めてじゃ」


 やや湿った声でそう言って、リケ氏はワインをがぶがぶと飲んだ。別に、お世辞のつもりで言ったわけじゃないんだがな。確かに、リケ氏の戦闘技術は感嘆に値するレベルだ。エルフにはあまり『褒めて伸ばす』みたいな文化は無いのかもな。


「人間の能力なんてものは、味方より敵の方が正しく評価できるものさ」


「そんたそうかもしれん……」


 唸るリケ氏に、ツマミの炒り豆の入った布袋を手渡す。最初はこちらからモノを貰うことに抵抗感を示していた彼女だが、気付けばすっかり抵抗なく受け入れてくれるようになっていた。いやー、助かるね。ハンガーストライキとかされたら普通に困るし、今後もぜひキチンと食事の類は受け取ってもらいたいところだ。

 彼女は腹を切ると言っているが、無論僕としてはそんな真似を許す気はない。エルフ対策を考えるにあたって、手元に一般的なエルフのサンプルが居るといないのでは大違いだからな。情報を制する者は戦も制するのだ。


「しかし、残念だな」


 そういう訳で、僕は彼女の自決の意志を挫くことにした。


「ないがじゃ」


「君のような優れた戦士が、自ら命を絶つことがだ」


 僕はため息を吐いて、ワインを一口飲む。実際これは僕の本音でもあったから、意識して演技する必要もない。


「名誉と誇りを守るための自決に、ケチをつけるつもりはもちろんない。無様な生よりも美しい死を、という考えも理解できる。だが……」


「……」


「残念だ。ただただ残念だ。君と一緒に酒を飲むのは、なかなかに楽しい。友達になれるかもしれない相手が、明日には冷たくなっているというんだ。こんなに残念なことがあるか?」


「じゃ、じゃっどん、オイは……」


「手を、出してくれないか」


 リケ氏の言葉を遮って、僕は彼女の目をまっすぐに見つめながらそう言った。彼女は少し躊躇してから、鉄格子の隙間から左手を突き出してくる。幻想的な容姿に似合わない、剣ダコまみれの手だった。

 僕はその手を、両手を使ってぎゅっと握る。リケ氏は肩を震わせたが、手を引っ込めるような真似はしない。その頬は、酒気のせいだけではない赤みがさしていた。


「この体温が、温かさが、世界から永遠に失われるんだ。それはとてもとても悲しい事だと、僕は思う」


「……」


「これまで、僕は何人もの戦友を見送ってきた。かつては暖かく、力強かった手が……だんだん、冷たく固くなっていくだ。こんなにひどい気分になることは、他にはない。きっと君が死んでも、僕は同じ心地を味わうことになるだろう」


「……そうじゃな」


 震える声で、リケ氏はそう答えた。気づけば、彼女のヒスイ色の瞳から涙がこぼれだしている。


けしんちゅうこっは、冷たっなっちゅうこっだ。オイん父親も、けしんだときはひどっ冷たかった」


「……」


オイん両親はな、餓死したんじゃ。身体が動かんくなって、びんたも回らんくなって、最後は寝ちょっどか起きちょっどかわからん状態になって、そんまま逝ってしもた」


 ぼろぼろと涙を流しながら、リケ氏は湿った声でそう語る。まったく、悲惨な話だ。聞いている僕の方まで、気付けば涙が滲んでいた。

 僕の前世のひい爺さんは、戦地で餓死したと聞いている。太平洋戦争の時分の話だ。僕は小さいころから、祖母にその話を何度も聞かされて育ってきた。だからこそ、飢えというものをひどく嫌悪している。腹ペコの人間を見ると、我慢ならなくなるんだ。


「あげんもんな、人のけしみ方じゃなか。オイは、あげん死にけしみ方をすっとが怖いおじかど。じゃ、じゃっで、戦死や切腹に逃げようとしちょっど。オイは臆病者やっせんぼじゃ、若造にせ嘲笑わらわれても仕方なか……」


 僕の手を強く握りながら、リケ氏が慟哭どうこくする。……なるほどな、ある程度分かって来たぞ。エルフたち……特にその若者の心の根底にあるものは、飢えに対する恐怖だ。飢え死にするくらいなら他の死に方のほうがマシ。そういう意識が、彼女らに捨て鉢じみた行動を促している可能性が高い。

 やはり、エルフたちに対する食糧支援は必要だな。彼女らを腹ペコのまま放置していたら、まともに交渉すらできない。"新"も"正統"もだ。食料の調達や輸送法について、しっかりと計画を立ててみることにしよう。


「勇者とは、恐れを知らぬ者のことではない。恐怖を乗り越えるすべを知っている者のことだ」


 僕は、勤めて優しい声でリケ氏に話しかけた。


「恐怖を覚えることを恥じる必要はない。人生は長いんだ、生きていれば……きっとその恐れを乗りこなすことが出来るようになるはずだ」


「……」


「なあ、リケくん。死ぬのは少し待ってくれないか? 僕は君にひもじい思いをさせる気はさらさらない。腹を一杯にして、身体と頭を休ませて……それから、ゆっくりと考えてみてほしい。死というのは、人生の結論だからな。そして結論というものは、性急に出してよいものではない。そうだろ?」


「……わかった」


 リケ氏は微かに、だが確実に首を縦に振った。どうやら、説得は成功した様子だ。僕は思わず、ほっと安堵のため息を吐いた。

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