第164話 ナンパ王太子と帰路
飲み会に巻き込まれてから、しばらくの時がたった。「そろそろ店じまいだから出て行ってくれ」と酒場を追い出された余は、共の騎士たちと夜の街を歩いていた。すでに通行人がいるような時間ではない。閑散とした街並みを、満月の青白い光がぼんやりと照らし出していた。
「あのう、若様。お代わりいたしましょうか……?」
供の騎士の一人が、余の背中をチラチラと見ながら聞いてくる。しかし、余は首を左右に振った。
「酔いつぶれた男性一人も背負えないような人間に、国を背負う大任は果たせないだろう?」
余の背中では、アルベールがスヤスヤと寝息を立てていた。彼はあの後もずっと、浴びるように酒を飲み続けていたのだ。とんでもない酒豪ぶりだったが流石に限界が来たようである。
もっとも、本人は最初から酔いつぶれる気満々で飲みに来ていたようだ。いつの間にか店主に小銭を握らせ、店内の一角で一夜を明かす許可を得ていたのである。
しかし、余にも淑女としての自負がある。まさか、うら若い男性を酒場の隅に放置して帰宅するわけにはいかない。すっかり酔っぱらった彼から何とか自宅の住所を聞き出し(もちろん実際は彼の自宅の場所などとっくに把握しているが)、送り届けてやることとなったのである。
「しかし、殿下、その……足元が危ういと言いますか」
「だいじょうぶだ! この程度なんということはない」
確かに、余の足取りは若干蛇行気味だ。しかし、これは決して千鳥足などではない。アルベールが重いのだ。彼は、男にしては背が高いし筋肉もついている。それなり長身である余ですら、油断すると地面に彼の足を引きずりかけるくらいだ。だから余がフラフラしているのは、この男のせいである。きっとそうだ。
まあ実際のところ、わざわざ余が背負わずとも馬車でも出してくれば早いのだが……夜半に馬車を調達してくるなど、大貴族か相当な大商人にしか許されない贅沢だ。一応、今の余は貧乏貴族の三女ということになっている。今さら設定を崩すのも面白くないので、人力で運搬することにした次第である。
「さ、左様で……」
供の騎士は、あきれた様子で頷いた。……たしかに、余が深酒しすぎたのは事実だった。何しろ、アルベールはびっくりするようなペースで酒杯を干していくのだ。見ているこちらまで、自然と飲酒ペースが上がっていくのも仕方のない事だろう。最終的には、あの獣人どもの一団もすっかり酔いつぶれて全滅してしまった。最後まで無事だったのは余だけだ。
……しかし、悪い時間ではなかった。アルベールの話は愉快だったし、皆が酩酊した状態でふわふわしながらプレイする札並べも思った以上に面白かった。もちろん、脱衣ルールは全力で拒否したが。
気取ったパーティーや夜会しか知らない余としては、とても新鮮な体験だったのは事実である。あの獣人どもも、膝をつき合わせて話してみれば存外に悪い連中ではなかった。最終的には、肩などを組んで大声で歌を歌っていたような記憶もある。当初の険悪な空気など、いつの間にかすっかり霧散していた。
「しかし、まったく……この男は度し難い。自分を女だと勘違いしているんじゃないだろうね?」
ぼそりと独り言をつぶやく。彼の今日一日の行動は、まさに下っ端騎士の休日そのものだ。昼間は家族や従卒の子供たちと遊んでやり、夜は酒場に繰り出して痛飲する。同じような一日を送った騎士は、王都だけでもかなりの数がいるだろう。
なんとなく、アルベールの人となりが理解できたような気がする。彼は、騎士・兵士としての自任が強いタイプだ。酒を飲んでいる最中も、行動や言動の端々からそれをうかがうことが出来た。
よくよく考えてみれば、この男は貧乏騎士家の出身である。しかもブロンダン夫妻には子供が彼しかいないわけだから、幼い頃から騎士にするつもりで教育していたものと思われる。現在のような人格が形成されるのも、ある意味当然のことだろう。
「……杞憂だったのかもしれないな」
アルベールの小市民的な一日を見ていると、そんな気分になってくる。馬鹿なゲームに興じながら酒を飲む彼はひどく楽しそうだった。とてもじゃないが、国家転覆や権力掌握などの大それたことを目論んでいる人間には見えない。すくなくとも、強烈な上昇志向を持っているタイプの人間でないのは確かだろう。
「だとすれば……」
脳裏に浮かんでくるのは、昼間のスオラハティ辺境伯と牛獣人の小娘の会話だ。連中がアルベールを性的に狙っているのは明白である。余には、どうもそれがおぞましいものに思えてならない。
奴らがやっていることは、囲っている妾を武装させて前線に投げているのと同じことだ。騎士ならば騎士らしい扱いという物があるし、男として扱うならキチンと庇護してやるべきだ。そのどちらの義務も果たさずに、美味しい所だけしゃぶり尽くそうというのは……あまりにも醜悪すぎる。
アルベール・ブロンダンという人間は、彼女らに取ってさぞ都合の良い人間だろう。戦場においての彼は、まさに軍神といっていい存在だ。それを囲い込めば、権力闘争でも非常に有利になる。
それに加えて、夜になればベッドに招くこともできるのだ! 昼も夜も自分のために健気に働いてくれる男だ、さぞ可愛かろうな。権勢欲と性欲を同時に満たせるなど、まさに一挙両得というほかない。
「許せないな……」
自然とそんな言葉が口を突いて出た。慌てて、背中のアルベールの様子をうかがう。その寝息は穏やかで、目覚めるような兆候はなかった。余はほっと安堵の息を吐く。
余は、なぜこれほど苛立っているのだろうか? この男と過ごした時間は、決して長いものではない。この程度の付き合いで、人ひとりの人格をすべて理解できるはずがないではないか。
もしかしたら、これまでの態度はすべて演技という可能性もある。実は最初の予想通り、狡知に長け女を手のひらで転がす傾国の毒夫だった……という可能性もまだ捨てきれないのだ。余がこのような感情を抱くのも、アルベールの作戦のうちなのかも……。
「……ああ、まったく」
酔っぱらっているせいか、思考がうまくまとまらない。余は、どうすれば良いのだろうか?先ほどの自分の言葉が頭の中でリフレインする。『男性一人も背負えないような人間に、国を背負う大任は果たせない』……たしかにその通りだ。しかし、その男一人が、なんと重いことだろうか。
正直に言えば、彼の正体は悪の権化のような毒夫でした……というのが、余にとっては一番都合がいいかもしれない。しかし、もし彼が驚異的な軍才を持て余しているだけのイチ騎士だったりすれば……。
……ああ、考えたくもない。余は、そんな人間を排除することができるだろうか? あくどい色ボケ貴族どもに、ただ利用されているだけの哀れな男を? 嫌だ、本当に嫌だ。しかし、王家や王国に対して害をなす人間がいるのであれば、それを排除するのは王太子たる余の義務である。
「……」
余は無言で、夜空を見上げた。青白い満月が、妙に滲んで見えた。ぐっと拳を握り締め、余は考えるのをやめた。今の余の仕事は、この男を無事に家まで送り届けることだ。それ以上のことは考えたくない。背中に感じる重さと温かさが、余の心の女の部分を妙に刺激していた。この時間が永遠に続けばいいのに。そんな益体のない考えが、頭の中に浮かんで消えていく……。
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