第163話 ナンパ王太子と酒場

 余、フランセット・ドゥ・ヴァロワは困惑していた。内乱が終結した今、王家の最大の懸案事項はアルベール・ブロンダンだ。

 オレアン公の失脚・戦死により名実ともに国内最大の領邦貴族となったスオラハティ辺境伯から厚い寵愛を受け、我が宮廷の宰相とも愛人関係にあると噂される。さらには指揮官としても極めて優秀で、おまけにどこからか強力な新兵器まで調達してくるのだからどうかしている。

 当然、ガレア王国の王太子たる余は彼をひどく警戒していた。穏当な手段としてはこちらの陣営に取り込みを図るか、あるいは無力化を図る。それが無理なら最悪殺害。そういう計画を考えていた。彼を放置していれば、必ずや王国に災いをもたらす。なんとか対処する必要があった。


「いけませんよ、殿下!」


 アルベール・ブロンダンがどんな人間なのかを調べるのは急務だ。休暇を与えていた彼がどこぞへ出かけると聞いて、余は即座に尾行を試みることにした。内乱の直後である。処理すべき政務は天を突く山のように積みあがっていた。しかし、最優先すべきなのはアルベールだ。余は半泣きで縋りつく腹心を振り払い、街へ出かけた。

 もちろん、本来このような仕事は部下に任せるべきだ。しかし、彼に対する対処を部下に一任した結果が、余の現状である。ひどく出遅れている自覚は、余にもあった。なんとかアルベールの人となりを調べ上げ、弱味なりなんなりを見つける必要がある。

 もちろん、余は諜報員としての訓練など受けてはいない。普通に尾行すれば、あっという間にバレてしまうだろう。しかし、対処法はある。わが王家の所有する秘宝の中には、このような状況にピッタリの魔法具マジックアイテムがあった。気配を遮断するマントや、幻術で外見を変化させるブローチなどだ。余はそれらを用いて、丸一日アルベールを尾行し続けた。


「くそぅ……くそぅ……猫札さえ来ていれば僕の勝ちだったのに……」


 その結果がこれだ。アルベールは今、ならず者たちの手にかかり裸にされかかっていた。ひどく悔しそうな表情でズボンを脱ごうとしている。あのズボンがなくなってしまえば、彼の身体を守るものはパンツだけになってしまう。

 うら若き青年のナマ脱衣である。卓を囲むならず者共は大盛り上がりだ。店内の他の客たちも、口笛を吹いたり歓声を上げたりとひどく騒がしい。


「何やってるんだ彼は……」


 酔客たちに紛れてその姿を見つつ、余は思わずそんなことを口走った。頭が痛くなって来た。我が王家最大の脅威と言っていい男が、そこらのならず者とのゲームに負けて全裸に剥かれつつある。認めたくない現実だった。

 ちなみに、彼と同じ卓で札並べに興じている女どもも無傷ではなかった。すでにほとんど全裸になっている輩も居る。見苦しいことこの上ない。


「脱ーげ! 脱ーげ!」


「やれーっ! すっぽんぽんだーッ!」


 酔客バカどもの歓声に、頭が痛く成ってくる。政務を丸一日投げ捨てた結果がこれか。酒場の件だけではない。昼間も大概だった。アルベールが獣人の子供二人を連れ王都巡りをした、ただそれだけ。見るべきものなど何もなかった。

 スオラハティ辺境伯がやってきたときは若干緊張したが、これも肩透かしだった。彼女とアルベールは、当たり障りのない会話しかしていない。間諜スパイの技術としては定番の、隠語を用いた会話ですらないようだった。

 しかしあの辺境伯、自分の年齢と立場を理解しているんだろうか? 二十歳は年下であろう見習い騎士と猥談に興じるなど、正気の沙汰ではない。宰相派閥には色ボケしかいないのか。


「と、止めなくてよろしいのですか、殿……若様」


 お供の騎士が、そう耳打ちしてくる。……確かに、これ以上は見ていられない。男性が公衆の面前で下着だけになるなど、あってはならないことだ。流石にこれは座視しているわけにはいかない。

 幸いにも、幻術ブローチの効果で、今の余はどこにでもいる平凡な竜人ドラゴニュートの姿になっている。魔法のチョーカーで声まで変えている徹底ぶりだ。アルベールの前に姿を現しても、余がフランセットであるとは気付かれまい。


「やめないか、貴様ら!」


 余は声を張り上げつつ、椅子から立ち上がった。酒場中の視線が余に集まる。


「男性の裸体を見世物にするなぞ、淑女の行いではない!」


 ならず者どものテーブルにずんずいと歩み寄った余は、着ていた上着をアルベールに投げ渡した。彼はまだズボンこそ吐いているものの、上半身は裸だ。紳士の自覚があるんだろうか、この男は。


「……何言ってるんスか、騎士様。合意の上でやってるゲームッスよ? 別にいいじゃあありませんか」


 不満の表情で、連中のリーダーらしきハイエナ女が反論の声を上げる。彼女の視線は、私の腰に向けられていた。今の私は、平服に護身用の剣を吊っただけの簡素な服装だ。傍目から見れば、休暇中の下級騎士に見えることだろう。喧嘩慣れしたならず者とはいえ、喧嘩を売りたいとは思わないはずだ。


「合意? 酒を飲ませてか」


 実際、アルベールはずいぶんと酔っぱらっているようである。顔は真っ赤で、目の焦点は微妙にズレている。とはいえ、完全な泥酔状態というわけではないようだ。困ったような表情で、余を見つめていた。


「あの、騎士様。僕は……」


「君は黙っていなさい」


 余はピシャリとアルベールの言葉を制止した。先日まで、余は彼をとんでもない毒夫だと認識していた。しかし、今日一日の行動を見るに、どうもその印象は間違っているように思えてならない。普通に考えて、そんな狡猾な人間がならず者どもと脱衣ゲームに興じた挙句全裸に剥かれるなどという事態はまずあり得ないだろう。いくら何でも間抜けすぎる。

 こいつ、実は途方のない軍才を持ってるだけのチャランポランなのでは? そういう疑いが、余の頭の中にムクムクと湧き上がっていた。海千山千の貴族たちを手のひらの上で踊らせる策謀家にしては、あまりに行動がアホっぽすぎる。


「へっ、お高く留まりやがって。騎士さんよお、アンタだって内心見たいんだろ? この男の裸がさ」


 狐獣人の女が、ニヤニヤ笑いながらそんなことを言ってくる。……確かに、正直に言えば見たい! アルベールの体は鍛え上げられており、よく見ればあちこちに大小の傷跡があった。まぎれもない戦士の身体だ。その癖、決して男らしさを失っているわけではない。

 そのギャップには、妙な色気があった。背徳的な魅力である。余の好みは、紅顔の美少年だったはずだ。しかし、彼を見ていると妙な性癖に開眼してしまいそうだ。

 ……が、しかし。男性の裸体というものは、薄暗い寝室で眺めてこそのものだ。こんな公衆の面前で晒していいものではない。とくに彼は、一応貴族の令息なのである。


「確かに彼は魅力的だ。……が、だからこそ貴様らのような連中のオモチャにさせるわけには行かないのだ」


「……おいおい、騎士様。そりゃああんまりじゃないか? まるでアタシらを悪党みたいに扱ってさ」


「騎士だからってナメやがって。剣を抜けば、こっちがビビって退いてくれるとでもおもってんのか、ええっ!」


 ならず者たちは、殺気立った様子で立ち上がる。すでに、腰からこん棒を抜いている者もいた。……正体を隠しているとはいえ、こうもナメられると多少は腹が立つ。少しばかり、身の程を教えてやる必要がありそうだな。


「……ふん、痛い目が見たいらしい。良いだろう、相手に――」


「やめろッ!」


 剣を抜こうとした余を止めたのは、アルベールの大声だった。その声音は、まるで見習いを叱責する教導騎士のようだった。ガレア騎士の習いで、余も幼い頃は幼年騎士団に参加している。反射的に背筋が伸び、敬礼の姿勢になった。これはもう、条件反射だ。


「酒の席での喧嘩はよくあることとはいえ、刃傷沙汰はよろしくない。わかるね?」


「は、ハイ」


 アルベールの決然とした声に、ハイエナ女が困惑した様子で頷く。


「暴力を振るうのは、最後の手段だ。対話による解決を諦めてはいけない……という訳で飲みながら話し合いをしようじゃないか! 大将、芋焼酎持ってきてくれ!」


「ええっ!?」


 突然呼び止められた店主が、妙な声を上げた。


「い、イモジョーチュー? なんです、それ」


「あ、無いのか芋焼酎……そらそうか……」


 ふわふわした声音で、アルベールが呟いた。イモジョーチュー……聞いたことのない言葉だ。よその国の酒だろうか? 外国の物品に詳しい余ですら知らないような代物が、こんな普通の酒場にあるはずもない。彼は相当酔っぱらっているようだな。


「じゃっ、ジンでいいや。それならあるだろ?」


「え、ええ……ありますけども。一杯でよろしいですか?」


「ボトルで二、三本!」


「ま、毎度あり……」


 すごすごと裏に引っ込んでいく店主を見送ってから、アルベールは余の方を見てニコリとほほ笑んだ。


「さあさ、騎士様。どうぞ席についてください。一緒に吞みましょうよ」


「あ、うん」


 出鼻をくじかれた余は、ほとんど強引に着席させられてしまった。そして彼はニヤリと笑い、卓上に散らばった木札を集め始める。


「それでは、新メンバーに騎士様を加えまして第二回脱衣札並べ大会を始めたいと思います」


「やらないよ!?」

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