第123話 秀才連隊長とくっころ男騎士

 わたし、ジルベルト・プレヴォは、ベッドに転がりながらため息をついた。アデライド宰相閣下の屋敷に連れてこられてから、すでにそれなりの時間がたっている。わたしは客室らしき部屋に案内され、そこに軟禁されていた。とはいっても、流石は宰相閣下の屋敷。わたしの家の自室よりも、よほど広くて過ごしやすい部屋だ。わたしは枕に頭を預けながら、壁際に設置された燭台の灯火を見る。


「……流石に、な」


 ポケットから煙草入れを出して、手の中で弄る。幸いにも、煙草は没収されなかった。吸おうと思えば、吸える。とはいえ、どうにもそんな気にはなれなかった。ケースに入っている煙草は、あと二本。節約しないと、あっという間になくなってしまう。


「いや、馬鹿らしい考えか。節約なんて……」


 ブロンダン卿は、部下たちの安全を保障すると明言した。彼は、約束を違える人ではないだろう。それについては、安心して良い。しかし……やはり、ここまで大それたことをしたのだから、誰かが責任を取らなくてはならない。つまり、わたしだ。近日中に、わたしは処刑されるだろう。

 反乱部隊はわたしの第三連隊の他にもいる。それらに対する見せしめとして、明日には斬首されてしまうのではないか。そんな不安がわたしの精神を炙っていた。ほとんど無意識に煙草入れから一本取り出し、口にくわえようとする。しかし、震える手ではうまく煙草をつまめない。結局途中で取り落とし、煙草はシーツの上に転がった。


「……寝煙草はよくないな」


 火事でも起こしたら大事だ。無理やり顔に笑みを張りつけながら、わたしは煙草を拾った。そこで、突然部屋の扉がノックされる。わたしの肩がびくりと震えた。死神が来た。そんな子供じみた錯覚を覚えるほど、わたしは自身に迫る死の運命に恐怖していた。あまりにも、情けない。こんな恐怖が長々と続くくらいなら、いっそ一思いに殺してほしい。そんな矛盾した想いすら湧いてくる。


「……はい」


「夜分遅くに申し訳ありません」


 なんとか表情を繕い、落ち着いた風を装って返事をする。返ってきた声は、聞き覚えのある男の者だった。


「アルベール、ブロンダンです。入れて頂いてもよろしいでしょうか?」


「どうぞ」


 まさか、自分の生殺与奪の権を握っている相手に否と言えるはずもない。わたしは自分から部屋のドアを開いた。


「失礼します……ちょっと待っててくれ。用事があったら呼ぶから」


 後半の発言は、お供の騎士(確か、ジョゼットとかいう名前だったか)に向けた言葉だった。彼は疲れたような笑顔を浮かべ、部屋に入ってくる。夜中に、見目麗しい男が自分の部屋を訪ねてくる……こんな状況でなければ、ワクワクしていたかもしれないな。思わず、乾いた笑みが出た。むろん、今の私の胸は悪い意味でドキドキしている。


「それで……どういったご用件で?」


 ブロンダン卿と共に椅子に座ると、わたしは開口一番そう聞いた。


「喫煙者とお聞きしたので、差し入れを持ってまいりました」


 そう言ってブロンダン卿が出してきたのは、木箱に入った煙草の束だった。一緒に、手のひらサイズの金属製の箱も添えられている。一瞬煙草入れかと思ったが、それにしては小さい。


「ああ、これはありがたい。助かります。……ところで、この道具はいったい?」


「オイルライターですよ。僕の部隊で手榴弾等の着火具として使用されている道具です」


 ブロンダン卿はそのライターとやらを手に取ると、蓋を開いた。中にはヒモで出来た灯芯が入っている。灯芯横に取り付けられた車輪状の部品を指ではじくと、火花が弾けて小さな火が灯った。……なるほど、オイルランプと同じような構造になっているわけだな。……こんな便利な道具を、ブロンダン卿の部隊は配備しているのか。


「喫煙のたびに火縄やらなにやらを用意するのは手間でしょうから、どうぞお使いください。これは差し上げますので」


「……かたじけない」


 わたしは深々と頭を下げた。すくなくとも、彼はわたしをすぐ処刑するつもりはないようだ。煙草の量はなかなかのもので、相当なヘビースモーカーでもない限りは一晩ではとても吸いきれないだろう。末期の煙草なら、一本二本あれば十分だからな。わたしは、密かに安堵した。


「それから、状況がひと段落しましたので……現状報告もしておきます」


「お願いします」


 わたしがこっくりと頷くと、ブロンダン卿は煙草を一本差し出してきた。有難く咥えると、先ほどのオイルライターで火までつけてくれた。紫煙を深く吸い込んで、吐き出す。緊張のあまり味などわからないが、少しは落ち着いた気分になった。


「第三連隊ですが、ほとんどの人員が滞りなく投降しました。一部、制止を振り切って逃走した部隊もありますが……」


「オレアン公爵家に縁の深い指揮官の部隊でしょう。そういう士官は、わたし以外にも何人か居ました」


「僕と言い、あなた達といい、王軍の病巣もなかなか根が深いですね」


 そういって、ブロンダン卿は苦笑する。……そういえば、彼も王軍に仕えながら実質的にはスオラハティ辺境伯の部下だったな。そういう意味では、わたしも彼も同じ立場なのだろう。


「それはともかく、投降した部隊に関してはおおむね問題ありません。兵や下士官に対しては、一切の処分なし。中隊長以下の士官たちも、せいぜい自宅謹慎。そういう処分になりそうです」


「……よかった」


 ほっと胸をなでおろす。ここで、彼が嘘を吐く理由もないだろう。この言葉は信用して構わないはずだ。わたしの大切な部下たちがこれ以上無駄に死ぬのは、耐えられない。だからこそ、投降したのだ。ブロンダン卿が約束を守ってくれる人で良かった。……しかし、そうするといよいよわたしの処分か。

 ああ、死にたくない。一人の男も抱かないまま死ぬなんて、いやだ。せめて娼館くらい行けばよかった。婚約者……あの金銀と宝石にしか興味を示さない、くだらない男。アレに義理立てする必要が、どこにあったというのか。所詮、家の都合だけで決まった婚約だというのに……。震える手で煙草を吸い、大きく息を吐く。いつの間にか、室内はひどく煙たい有様になっていた。窓を開けていないせいだ。換気をした方が良いのはわかるが、立ち上がる気力がなかった。


「……」


 そんな私の心境を察したのか、ブロンダン卿はなんとも言えない表情で黙り込んだ。気まずい沈黙が、薄暗い部屋の中に漂う。燭台のろうそくが燃えるジジジという音が、妙に耳障りだった。


「プレヴォ卿。指揮官は、自らの命令の責任を取る義務があります」


「……ええ、むろんそんなことは分かっております。今さら命が惜しいとは申しません。どうぞ、好きな時にこの首を落としてください」


 私はブロンダン卿を怒鳴りつけそうになったが、なんとか自分の気持ちを押さえつつそう答えた。指揮官の責任、それがわかっているからこそ、わたしはこうして大人しく捕まっているんだ。にもかかわらず、今さら確認を取るなんて……


「だったら、貴方が反乱の責任を取る必要はない。僕はそう考えています」


「……え?」


「反乱の命令を出したのは、オレアン公でしょう。あなたの家族が、オレアン皇国に居ることは調べがついています。命令を拒否すればどうなるか……考える必要もありません。実質的に、人質を取られていたようなものですからね」


「……」


 もしかして。もしかしてだが……ブロンダン卿はわたしを殺す気がないのだろうか? 彼の鳶色の瞳が、じっとわたしを見つめている。ひどく真剣な目つきだった。


「家を守らなくてはならない貴族としての義務と、命令を順守する軍人としての義務。あなたはその二つを、最後まで守り抜きました。誰にでもできることではありません」


「……」


「あなたを処刑すれば、確かに話は早い。反逆者は、皆殺しにするべき……そういう考え方も、理解できます。しかし、不本意な任務でも最善を尽くし、部下のために命を投げ出すこともいとわない……そんな軍人を政治の都合で殺してしまうなんて、認められるものではありません」


 ……どうやら、ブロンダン卿は本気のようだった。思わぬところから希望が見えてきて、わたしは大きく息を吐いた。すっかり短くなった煙草を灰皿でもみ消し、両手をぎゅっと握り締めて彼を見つめ返す。


「……つまり?」


「あなたの処刑は全力で阻止します。ご家族に関しても、救出計画を練っています。あとはこのアルベール・ブロンダンにお任せください」


「……」 


 ひどく情けない話だが、その言葉を聞いた途端わたしの目には涙が滲み始めた。わたしに無茶な命令を下したオレアン公とイザベル様は、姿すら見せない有様だというのに……このひとは、敵であるわたしにすらこれほどの慈悲を向けてくれている。そう思うと、自分の中で張り詰めていた糸がプツンと切れてしまったような感覚があった。

 涙はあとからあとからあふれ出してくる。それを堪えようと歯を食いしばったせいで、ブロンダン卿に返事をすることすらままならない。彼は椅子から立ち上がると、わたしの両肩に手を置いた。


「あなたは尊敬に値する軍人です、プレヴォ卿。次の戦場では、ぜひ味方としてあなたと共に戦いたい。そのためには、ここで死んでもらうわけにはいかないんですよ」


 悪戯っぽく笑う彼の顔を見て、とうとう私の精神は限界を迎えた。目からボロボロと涙が零れ落ち、思わずブロンダン卿に抱き着く。彼は驚いた様子だったが、優しい表情で抱きしめ返してくれた。彼の無骨な手がわたしの背中を優しく叩くと、もう我慢ができなくなる。硝煙の甘い香りの混ざった彼の体臭がわたしのささくれだった心を優しく包み込む。ブロンダン卿の胸を借りたまま、しばしの間わたしは声を上げて泣き続けた。

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