第100話 次期オレアン公と聖人司教

 わたし、イザベル・ドゥ・オレアンは憂鬱だった。我が母、現オレアン公アンナ・ドゥ・オレアンがひどく荒れていたからだ。


「アルベール・ブロンダンめ……」


 無意識に恨み節が口から洩れる。あのガレア唯一の男騎士は、母が仕掛けた罠を正面から打ち破り、挙句の果てにミスリル鉱脈という特大の財宝を我々から奪ってしまった。策士が策に溺れた、言ってしまえばそれだけのことだ。しかし、当事者からすればたまったものではない。

 アルベールにどう対処するかという問題で、オレアン家内部は激論が交わされていた。『ここまで我々の顔に泥を塗ったのだ、殺すしかあるまい』という者も居れば、『五倍の敵を打ち破るような人間に喧嘩を売るべきではない。ヤツにはこれ以上手を出さない方が良い』という者もいる。今に至るまで、結論は出ていない。


「はあ……」


「ご主人様、香草茶でございます」


 ため息を吐くわたしに、一人の少年がティーカップを差し出してきた。品の良い男性用給仕服を着用してはいるが、その首には奴隷身分を表す首輪型のイレズミがいれられている。わたしの飼っているペットの一人だった。声変わりの始まったばかりの甘美な声が、わたしのささくれだった心を癒してくれた。


「ああ。……貴様には、今夜の夜伽役を命じる。就寝時間になったら、身を清めてわたしの寝室に来い」


「……は」


 男奴隷は、表情を変えずに頷いた。しかし、その声には微かな屈辱が滲んでいる。それが、かえってわたしの獣欲を掻き立てた。

 ……とはいえ、今はまだお楽しみに興じるわけにはいかない。まだ対アルベールの会議が終わっていないからだ。あの男は、もうすぐ昇爵してしまう。それまでに、我々の対応を決めねばならない。

 陰謀でハメるのは、難しい。なにしろヤツにはアデライド宰相がついている。所詮は只人ヒュームだと舐める輩も多いが、あの女の頭はひどくよく回る。にわか作りの陰謀では逆にこちらが足元を掬われる。

 今回の一件でもそうだ。リースベンで起きた一連の事件や情報漏洩に関して、オレアン家は現在進行形で追及を受けている。迂闊な行動をすれば傷が深くなるばかりだろう。


「……」


 足元に侍る男奴隷の頭を猫のように撫でながら、わたしは考え込んだ。わたし個人としては、アルベールなどどうでもいい。しかし、音頭を取って彼を排除しようとしていた母、オレアン公はそうはいかない。

意気揚々と蹴り飛ばそうとした小石が思ったよりも大きく、足を痛めてしまったようなものだ。すっかりムキになってしまっている。しかし、下手に現実的な思考ができるせいで大ナタを振るうこともできない。ひどいジレンマだった。

 いっそのこと、辺境伯・、宰相そしてその腰ぎんちゃくのアルベール……この一派を一挙に排除してやろうと主張する人間も居た。たしかに、可能か不可能かで言えば可能だろう。しかし、そんなことをすれば間違いなくオレアン家は反逆者扱いされる。大手を振って彼女らを捕縛できるような大義名分はないからな。困ったものだ……。


「若様、ポンピリオ商会のヴィオラ様がお越しです」


「良い所に来たな。おい、出て行っていいぞ」


 虚無の表情でわたしの愛撫に耐えていた男奴隷に退出を命じる。ヴィオラはわたしの悪だくみ仲間で、なかなかに頭の切れる女だ。何かいいアイデアを出してくれるかもしれない。もちろん、それを周囲に知られるわけにはいかないので人払いはしておく。。


「どうも、夜分に申し訳ありません」


「とんでもない。いいタイミングだった」


 使用人に案内されてきたのは、フード付きのローブで全身を固めた不審な女だった。使用人たちが全員退出するのを確認してから、女はローブを脱ぐ。

 膝まで届く長いプラチナ・ブロンドに、黒い眼帯。折りたたんでいた背中の白い翼が、窮屈そうにパタパタ動いた。ポンピリオ商会のヴィオラなどという名前は、身分を偽るための隠れ蓑に過ぎない。その正体は星導教最年少の司教、フィオレンツァ・キアルージだった。


「どうやらお困りの様子でしたので、知恵をお貸ししようと……ね?」


「相変わらずの情報網だ」


 私が困っている時に限って、この女はこうして呼ばれてもいないのにやってくる。家中にスパイでも紛れ込ませているのだろうか?


「ところで、一杯頂きたいのですがよろしくて?」


「面の皮の厚い女だ」


 苦笑しながら、壁際のキャビネットからグラスを二つとワインボトルを取り出す。フィオレンツァが席に着くと、ワインを注いだグラスの一方を彼女に渡してやった。面倒くさいが、防諜面を考えると部屋に使用人を入れるわけにはいかないからな。私自らやるほかなかった。


「……貴様、臭うぞ」


 しかし、そこで私は顔をしかめた。フィオレンツァから濃厚な性の臭いが漂ってきたからだ。


「わたしにこんなことを言われたくはないだろうが、貴様は一応聖職者だろう。誤魔化す努力くらいしたらどうなのだ?」


「おっとり刀で駆け付けましたので、ご容赦を」


 聖職者にあるまじき艶めかしい微笑を浮かべつつ、フィオレンツァはワインを自分とわたしのグラスにそそいだ。そのまま一礼して、グラスに口をつける。


「あら美味しい」


「北イスパニアの最高級品だ。有難く味わえ」


 クスクス笑うフィオレンツァ。露骨な話題逸らしだな。


「お前が失脚したら困るんだよ。とにかく気をつけろ」


「大丈夫ですよ……別に、セックスをしていた訳ではありませんから」


「本当か?」


「ええ、もちろん。わたくしのパパ恋人は童貞のままですし、わたくしも処女のまま……清く正しいお付き合いというヤツです。情欲を鎮めるために、少しばかりハメは外しましたが」


「清く正しい、ね。大方、あの童貞狂いの淫獣……ユニコーンが怖いだけだろう?」


 童貞を判別する能力を持った変態生物、ユニコーン。こいつらは、貴族が令息の貞操を証明する際によく使われる。星導教の聖職者はセックス厳禁だからな。恋人とやらが童貞を失っていることが周囲に露見すれば、この女もタダでは済まないはずだ。


「ノーコメントで」


 すました顔でそんなことを言うフィオレンツァに、わたしは肩をすくめた。彼女の弱みをつつきまわしたい気分はあるが、今はそれどころではない。


「そうそう。時間は切迫しておりますから」


 こちらの心を読んだような発言に、わたしは少しだけ背筋が寒くなる。妙な不安感を払拭すべく口を開きかけたが……


「だから、さっさと本題に入るねぇ?」


 そう言うなり、フィオレンツァは右目の眼帯をむしり取った。真冬の満月のような冷たい光をたたえた金色の眼を直視したわたしは、わたしは……

……

…………



……

…………


 あれ、わたしは……いったい何を? 目の前には、ワインの入ったグラス? それから、ニコニコ顔のフィオレンツァ。こいつと……酒を飲んでいたのか? 頭がひどくふわふわする……飲み過ぎたのだろうか?

 

「そうだよぉ? 貴方はちょっと酔ってるだけ。でも、まだまだ全然大丈夫だよねぇ?」


 そうか、そうだな……うん……でも、何かおかしい気がする。私はまだ、一滴も酒を飲んでいないような……


「それより話を戻すねぇ? お母様、オレアン公を倒したい。そうでしょ?」


「え……」


 そんな……そんな話だっけ……? 確か、アルベールについて相談しようとしていたような……?


パパアルベールのことなんてぇ、貴方にはどうでもいいでしょお?」


「そう、かな……」


「そうだよ」


「うん……」


 よくわからないけど、そうだったかもしれない……


「肝心なのは、貴方の恨みを晴らすことだと思うなぁ」


「恨み……ああ、そうだ。あのクソ女……」


「オレアン公は、貴方から最愛の男を奪った。たかだか、血が半分繋がっている……それだけの理由でねぇ」


 そうだ……弟は、リシャールは……わたしの愛した唯一の男は……奪われてしまった。くだらない馬鹿貴族の婿に出されたんだ……我が母、アンナの命令で……許せない……。


「ふ・く・しゅ・う……したいでしょ?」


「する……当然する。わたしがオレアン家の当主になった暁には……あのクソ女……死ぬまで監禁してやる……」


 わたしは嫡女だし……待っているだけで復讐の機会は訪れる……母はもう老いさらばえている……


「気が長いねぇ? ワタシだったら、我慢できないなぁ……」


 ……確かに、そうだ。できることなら、今すぐあの女は殺してしまいたいくらいだ……。でも、そんなことをするわけには……


「母親に恨みを持ってるのはワタシも一緒だよぉ。親ってだけで偉そうな顔をしてた奴がぁ、媚びた笑顔で私の足を舐める……すっごーく、いい気分だったよぉ? トモダチである貴方にも、この気持ちを味わってほしいなぁ?」


 ……確かに、痛快だろうな……


「でも、そんなの無理だ……」


 母の味方は、あまりにも多い……腕のいい護衛も連れている……


「できるよぉ? 貴方が王様になればねぇ」


「王様……?」


「そうだよぉ。王様って、公爵より偉いんだよぉ? 足を舐めろって言えば舐めてくれるし、リシャールくんを返せと言えば返してくれる。そうじゃない?」


「そうかな……」


「そうだよぉ」


 そんな無茶な。そう思うと、フィオレンツァはぐいと顔を近づけた。奇妙な文様が微かに浮かぶ金色の瞳が視界に大写しになり……


「そうだな……」


 なんだかいける……気がしてきた。そうだ、リシャールを取り戻さなくては……


「ワタシはこうして愛する人としっぽりやってるのにさぁ……貴方は奴隷で無聊を慰めてるわけでしょう? ズルいよねぇ、うらやましいよねぇ?」


「……+-」


 フィオレンツァからは、相変わらず男の匂いしている……ああ、うらやましい。この乾きは、奴隷なんかじゃ潤せない……


「最大の邪魔ものであるスオラハティ辺境伯は、大した護衛も連れずに王都に滞在している。向こうは勝ったと思って油断してるよぉ? 貴方が強硬手段にでるなんて、思ってもいないんじゃないかなぁ?」


「……」


 ……言われてみれば、チャンスかもしれない。辺境伯、宰相……この二人を制圧してしまえば……。


「そうそう。貴方ならできるよぉ?」


「わかった……やってみる……」


「じゃあ、都合の悪いことは忘れようねぇ。覚えていていいのは、使命だけ。はーい、いち、にー、さーん」


 フィオレンツァがパチンと手を叩くと、私の視界はどんどん暗くなっていき、最後には完全に暗転した。


「悪いのは貴方たちだよぉ? 余計な情報漏らして、パパを危険にさらしちゃってさぁ……敵があの牛どもだけなら、完全にワタシの計画通りになったはずなのに……一族もろとも戦果スコアになって、パパにお詫びしなきゃねぇ?」


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