心地よい振動が身体に

 心地よい振動が身体に響いている。

 孝士はうっすら目を開けた。暗い。どこかから、低い唸りが聞こえている。

 ──ああ、エンジンの音だ。

 それで自分が車に乗っているのだと気づいた。目の前で律動的に動いているのはワイパーだろう。右へ、左へ。細長いワイパーブレードが車のフロントガラスについた水滴を拭っている。

「どうした、針村?」

 孝士は声のほうへ首を回した。

 それが誰なのか、すぐにはわからなかった。見覚えのある顔。孝士はややのあと思い出す。

 宮城さんだ。霊バンの前に勤めていた建設会社の、だいぶ年齢の離れた先輩。正社員ではない契約社員で、建設用重機のオペレーターをやっている人だった。

「おまえ、寝てただろ」

 ハンドルを握っている宮城が笑いながら言う。

「え、いや……」

 孝士は曖昧に応じながら、左手のサイドウインドウから車外を見た。夜の町並みがするすると横に流れている。ずいぶん視点が高い。ふつうの乗用車ではないのだ。いま孝士が乗っているのは、重機を運搬するセルフローダーだった。

 意識がはっきりしてきた。これまでの経緯が、孝士の頭のなかで順を追って組み立てられてゆく。

 ──そうか。百萬坊は、ぼくを〝あの日〟に送ったのか。

 六月の某日。忘れもしない、それは孝士が外法壁の崖崩れで命を落とした日である。

 カーラジオが円島市へ近づきつつあった台風の情報を報じている。孝士は腕時計で時間を確かめた。午後七時、少し前。たしか、あの日は通常の現場作業を終えたあと、宮城に残業に付き合うよう頼まれたのだ。九日市の現場でバックホー──いわゆる油圧ショベル──を回収して、ついでに外法壁の様子を見てくる予定だった。

 時刻からすれば、もう九日市の現場からは重機を回収したあとのはずだ。孝士はローダーのキャビン後部にある小さなリアウインドウから荷台を見た。するとそこにはやはり、6トンクラスの標準的なバックホーが、すでに積まれていた。

 では、これから自分たちは外法壁へ向かうのだ。あそこは山間で、大雨による崖崩れが起きる危険があったので、現場に異状がないかを確認するために。

「やべえ。本降りになってきたな」

 と宮城。

 視界のよい大きなフロントガラスにたたきつけられる雨粒の勢いが、にわかに激しくなってきた。円島市ではここ数日、長雨がつづいていた。

 どうするか。孝士は平静を装いつつ、必死に考えた。このまま外法壁へゆくのはまずい。自分には、重大な使命があるのだ。なんとかして、ひとりにならないと。

「宮城さん」

「あん?」

「ちょっと、コンビニ寄りません?」

「コンビニか……おう、いくか」

 宮城は作業服の胸ポケットを手で探りながらそう言った。たばこが切れそうなのだろう。彼はチェーンスモーカーだ。おかげで、宮城がよく使うこのローダーの運転席内はヤニ臭い。

 うまくいった。孝士はほっとした。いまローダーは九日市町の住宅密集地を抜けようとしている。しばらく走ると前方の交差点のところに、大きな駐車場のあるコンビニが見えてきた。

 ローダーを駐車場の端に駐めると、ふたりはそこから降りた。宮城はエンジンを切り、ドアもロックしてしまった。雨がひどい。彼と孝士は並んで走って、店の入口へと向かう。

 店へ入る寸前、ふと孝士がしまったという顔になった。

「あっ……」

「なんだ?」

 と宮城。

「財布、車のなかに忘れてきちゃいました」

 苦笑いする孝士がそう言うと、宮城はやれやれというふうに鼻を鳴らした。それから孝士へローダーのキーを差し出す。

 キーを手にした孝士はローダーへ取って返す。ちらりと後ろを振り返ると、宮城の姿はもうコンビニ内へ消えていた。心の内で彼に謝りつつ、孝士は運転席側のドアを開け、なかへ乗り込んだ。

 この大きさの車輌を運転するには中型自動車免許が要る。孝士は持っていなかったが、現場でちょっと移動させたりしたことがあったので、動かし方はわかった。エンジンをかけ、慎重にアクセルを踏み込む。運搬車なので割と馬力があるのだ。

 無事に駐車場から道路へ出ることができた。孝士の胸の鼓動は早鐘のように鳴っている。

 やった。やってしまった。これでもう、あと戻りはできないぞ──

 孝士のプランはこうだった。まず、いまから霊界データバンクの円島支社へと向かう。百萬坊の話では、まれびどんの復活を阻止するには、無防備な休眠状態のうちに強力な打撃を与えればよいのだという。そのためには、なにか武器が必要だ。しかし生半なものでは通用しまい。できれば爆弾か、それに近いもの。そのくらいでないと、あの化物をどうにかするのは到底無理だろう。

 時間のループで何度もまれびどんとの決戦を経験していた孝士は、円島支社のみんながどこから武器を調達してきたのか不思議に思っていた。で、あるとき中田支社長に訊ねたところ、円島支社の地下に武器庫があるらしいのだ。給湯室の奥にある階段を降りた先。孝士が見たときはドアに鍵がかけられて入れなかったが、あそこであれば、なにか役立つ武器が手に入るはずだ。

 九日市町から臼山町は目と鼻の先だった。逸る気持ちを抑えながらも、孝士は円島支社へ急いだ。

 臼山神社の正面の道路にローダーを駐めると、孝士は石段を登って境内を目指した。土砂降りの雨。石段を登り切るころにはずぶ濡れである。孝士は念のため鳥居の陰に隠れて、そろりと社務所のほうを確認する。

 平屋の建物に明かりは見えなかった。雨に打たれる孝士は社務所の裏へと回った。そちら側が円島支社の事務所となっている。が、裏手にある窓は暗く、どうやら誰もいないようだ。

 胸を撫で下ろす孝士。好都合だ。いっときは、円島支社の誰かに真実を打ち明けて助けを求めようかとも考えた。だが、望みは薄い。並行世界から世界を救うためにやってきたなど、信じてもらえるわけがない。それにあまり時間を無駄にすれば、まれびどんの目覚めるときが迫ってくる。

 思えばこの日の夜、外法壁で崖崩れが起こったのも、まれびどんが目覚める兆候だったのだ。となれば、タイムリミットまではもう長くない。チャンスはいちどだけ。失敗すればあとはない。なぜなら現在の百萬坊は、まだ封印により壺の外へ干渉できないからだ。もっとも、この時点で孝士にとって百萬坊はもう信用のならない存在となっている。仮に孝士が封印を解いたとしても、今度はなにをされるかわからない。

 時間が惜しい。孝士は、事務所の入口の横に置いてある朝顔の植木鉢を持ちあげた。事務所の鍵がその下に隠してあった。鍵を開け、なかへ入る。ドアを閉めると、外の雨音が静かになった。

「びえーっくしょいい!」

 くしゃみが出た。作業着姿の孝士は全身からぽたぽたと水の滴を垂らしている。

 暗闇のなかで鼻をすすりながら、靴を脱いでスリッパに履き替えた。電気のスイッチを探して壁に手をのばす。蛍光灯が瞬き、室内が明るくなる。

 見慣れた事務所内の風景。しかし、孝士が使っている事務机はやけにすっきりしていて、PCや事務用品といったものが置かれていない。あたりまえだ。この世界では、彼はまだ霊バンの社員ではないのだ。

 急ごう。まずは武器庫の鍵を探さねばならない。

 ふつうに考えれば、事務所のキーボックスにあるだろう。あれには社用車や神社関係の鍵をまとめて収めてある。

 ところが、キーボックスを開けるための鍵が、どこにもなかった。本末転倒とはこのことだ。壁に固定されているキーボックスはスチール製。防犯を考慮され頑丈に作られているため、簡単には開けることができなかった。バールでもあれば無理矢理こじ開けられそうだったが、いまの孝士はそんなものを持ってない。事務所にも、たぶん乗ってきたセルフローダーにもないだろう。

 鍵開けのスキルでもあればと悔やんだが、それは無い物ねだりだ。円島支社のキーボックスは孝士が出勤したときはいつも開いていた。では、その鍵は自分以外の誰かが管理しているのだ。孝士は中田支社長や折戸が使っている事務机をくまなく探してみた。が、鍵は見つからない。気ばかりがあせる。事務員の寺石麻里の机を探っているとき、なんだかとてもいけないことをしている気分になって胸がときめいたが、いまはそんな場合か。鎮まれ、孝士。

 結局、鍵はどこにもなかった。だが、孝士にはさほど落胆した様子がない。

「しょうがない、あれをやるか……」

 意を決したように独りごち、孝士は給湯室へと向かう。

 給湯室の奥のドアを開けると、そこは分電盤とスロップシンクがある小さな部屋となっていた。ごく狭いランドリールームといった感じだ。さらに地下へ降りる階段がのびており、問題の武器庫はその先だ。

 階段の明かりを灯し、孝士は下へ降りた。すると地下には短い通路があり、すぐに武器庫のドアに突き当たった。

 金属製の、見るからに頑丈なドア。孝士はその前に立つと、すうっと息を吸った。そして、

 ドガアン!

 いきなりドアに体当たりをかました。二度、三度。どれだけその身を阻まれようとも、孝士は体当たりをやめなかった。もちろん、そんなことで金属製のドアを破ることなど不可能である。

 かわいそうに。こいつ、とうとうおかしくなったか──

 いや、そうではない。孝士はいま、自身が持つ異能チカラを発揮しようとしていた。以前、覆盆子原れのんの霊子ガンで撃たれた経験がある彼は、肉体と魂が分離しやすくなっている。なんらかの強い衝撃を身体に受けると、魂がすぽーんと抜けてしまうのだ。百萬坊も、その不安定な特性を利用して孝士の意識を抜き出し並行世界へと移動させていた。ということは、いまの自分でも、条件が整えば幽体離脱できるはずだった。

 霊体は基本的に物質界の影響を受けない。重力を無視して浮遊できたり、壁なども素通りできる。それを利用すれば、もちろん武器庫のなかへの侵入も可能だ。

 しかし、いざやろうと思うと意外とできないのである。おかしい。いつだったか、れのんと女子高の寮へ忍び込んだときには、あっさり肉体と魂が分離したはずなのに。

 何回も体当たりしているうち、ドアにぶつけた肩口が痛くなってきた。ひどい痣になっているかもしれない。くそ、なんで自分がこんな目に。孝士の胸の内で、ふつふつと怒りがわいてくる。誰に頼まれたわけでもない。特別な報酬が与えられるのでもない。正義のヒーローじゃあるまいし、人知れず世界を救うなんて、自分のガラじゃない。

 半分やけくそになった孝士は、力加減をまちがえた。あまりに勢いよくぶつかったため、彼はその拍子に側頭部を金属製のドアで強打してしまった。

 あっ、これやばいやつだ──

 そう思ったときには、もう遅い。頭がくらっとして、意識が遠のく。

 失神していたのは、ほんの数秒だったろう。そうしてふたたび気がついたとき、孝士はまっ暗ななかにいた。

 床に倒れている自分の周囲が、ぼんやり青白く光っている。それは孝士自身が、ほのかに発光しているのだった。

「や、やった……成功だ!」

 立ちあがろうとした孝士のその身が、ふわりと宙に浮いた。

 あわてるな、幽体離脱は前にも経験している。この状態では、精神で身体をコントロールするのだ。孝士はそれを思い出して、なんとか霊体であるいまの自分の身体を安定させた。そうして、あらためて周りを見渡す。

 暗くてよくわからなかったが、ここは武器庫内のはずだ。体当たりした勢いで、魂だけがなかへ入り込んだのだ。外の通路には魂の抜けた孝士の本体が残っているだろう。まずはドアの鍵を開けて、そっちへ戻らないと。

 孝士は不慣れな霊体でふわふわ漂いつつ武器庫のドアへ近づく。すると、ドアノブのところに内鍵を見つけた。回転式のツマミに手をのばして操作するが、手応えはない。すり抜けてしまう。実体がないのだから、こうなるのは想定済みだった。ならば、霊体の特性である超自然的な力を使うしかない。

 孝士は精神を集中させ、自分の指先がドアロックのサムターンを回すように念じる。

 たとえば仏壇でご先祖に手を合わせているとき、位牌がころりと転がったなどという怪奇体験をされた方がいると思う。いや、いないか。だがしかし、一般的にあれは幽霊の仕業だと考えると納得がゆく。そういうことなのだ。霊体とて、その気になれば娑婆の物体へ影響を及ぼすことができるのだ。実際、いま孝士が念ずることによって、ドアの内鍵がカチリと解錠されたのが疑う余地のない証拠である。

 よっしゃ。あとは通路にいる孝士自身の本体へ戻れば、武器庫のなかへ入ることができる。

 さっそく霊体の孝士はドアをすり抜けて通路に出た。そこにある孝士の本体は、白目を剥いて死んだように床で横たわっていた。まあ魂が抜けているのだから、ほぼそんな状態である。霊体の孝士は取りも直さず、車に轢かれたカエルの死体みたいになってる本体へ、いまの身体を重ねた。

「いだああっ!!」

 いきなりの悲鳴。孝士が本体に戻って蘇生したと同時に、頭部で激痛が走ったからだった。頭に手をやると、血は出ていなかったが、右のこめかみの上あたりに大きなたんこぶができていた。

 しばし激痛に耐え、歯を食いしばる孝士。

 ようやく痛みが和らぎ、ゆっくりと身を起こす。あぶなかった。下手をすれば、脳挫傷で本当に死んでしまうところだったぞ。世界を救いたいのはやまやまだが、犠牲になるのはごめんだ。孝士がなにより救いたいのは自分自身である。

 さて、いよいよだ。かなり時間を食ってしまった。孝士は武器庫のドアを開けると、なかへ踏み入った。

 明かりを点けると、そこは狭苦しく簡素な一室だった。白い壁紙の部屋には、いくつかのロッカーとガラス戸付きのキャビネット、そして安っぽいテーブルしか置かれてない。

 孝士はまず手近なロッカーに手をかけた。背の高いその扉を開けると、なかには架台のようなものがあり、数丁のさまざまな銃器が立てかけられたり、直に置かれたりしていた。

 ハンドガン、アサルトライフル、ショットガン、エトセトラ──これらが、いずれも本物だというのがおそろしい。本来、日本で銃器類を保管するには然るべき行政委員会に申請し、専用のガンロッカーが必要なのだが、そもそも霊バンはそんな手続をしていないのだろう。有事の際の備えとはいえ、完全に犯罪行為である。ちなむと銃砲刀剣類所持等取締法を違反すれば、場合によっては最高で一五年以下の懲役、または三〇〇〇万円以下の罰金となる。

 孝士がざっと調べた限り、武器庫の品揃えは申し分なかった。しかし、どれもまれびどんへ対抗するには心許なく思えた。ロッカーにあったのは小口径の銃器ばかりだ。いま孝士がほしいのは、一撃で敵を葬るような強力な武器なのだ。

「くそ、なんで対戦車ミサイルとか、ロケットランチャーがないんだよ……」

 勝手なことをほざきつつ、孝士はつぎにロッカーの隣にあるキャビネットの前に立った。それはどこの事務所にもあるような、ふつうの戸棚に見えた。ガラス戸の棚には銃器の口径に応じた何種類もの弾薬の箱が、ぎっしり詰まっている。孝士が求めるものは見あたらない。キャビネットは上下二段になっていた。孝士は膝を折ってしゃがみ込むと、その下側の引き戸を開けてみた。

 大きな段ボール箱があった。側面に五郎島金時と書いてあるが、中身はさつまいもじゃないだろう。内を覗いてみようとするものの、下の棚はスペースが狭くてうまくゆかない。孝士は棚の奥へ手を差し入れ、段ボール箱を引っぱり出そうとする。

 やけに重い。いったい、なにが入ってるんだ。

 ずるずると引きずられて、ようやく箱が外に出てきた。なかを確認する。モスグリーンの不透明なビニールで密閉された、細長いなにかがたくさん詰め込まれていた。ひとつを取り出してみると、形状は平たい直方体で、長さが三〇センチほど。柔らかく、指で押すとへこむ。粘土のようだ。孝士はそれの表面に書かれてある英字を読んだ。


  CHARGE DEMOLITION

  WITH TAGGANT 1-1/4LBS

  COMPOSITION C-4


 プラスチック爆薬だ。そのなかでも高性能な、軍隊などでも使用されているC-4爆薬。1.25lbsとあったので、ひとつが一・二五ポンド。およそ五六六グラムとなる。段ボール箱のなかには、小分けにされた爆薬の塊が、全部で四〇個あった。

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