いったい、誰なんだ
いったい、誰なんだ。
孝士は拝殿の陰から動けずにいた。頭のなかに響く謎の声。ひと昔前のラノベか深夜アニメの様式美で自分を呼ぶのは、いったい誰なんだ。こういった場合のよくあるパターンとしては、ごく平凡な主人公がなにか未知の存在からものすごい
まさか。落ち着け、孝士よ。そんな夢みたいな話があるもんか。いやでも、それを言ったらいま現在、自分はすでにとんでもない非現実の最中にいる。
この〝時間の環〟では、なにが起こっても不思議じゃない。
既成概念は捨てたほうがよいのかもしれない。しかし、誘われるままに動くのも危険をはらんでいる。常識が歪んだ現状でひとつまちがえれば、またバッドエンドになる公算が大きい。大事なのは、その行動が正しいかどうかだ。
疑心暗鬼。のるかそるかの葛藤に戸惑う孝士だった。が、正体不明の声はそんな彼におかまいなしのようである。
『……アノ……チョット、ソコ…にいる……おニイさん……』
また、孝士の頭のなかに声が響いた。
『ハリムラ……さん、でしたっケ……?』
「うええっ!?」
名指ししてきた。思わず驚愕の呻きを漏らす孝士。どうやら向こうは、こちらのことを知っているらしい。
「ぼ、ぼくに、なにか?」
『ハイ。ていうか、遠いんデ……コッチ、モット近くへ……』
それを聞いて孝士は少しほっとした。正体不明の相手ながら、会話は成立する。意思の疎通は可能なようだ。ということはもしかすれば、いまの異状な状況についてなにか知っているかもしれない。
数舜、迷ったあと、孝士は意を決して拝殿の横手から身をさらした。なんにせよ、これは新展開だ。どうせこのままぐだぐだやっても、またどこかちがう世界の七時一四分に飛ばされるのだ。溺れる者は藁をも摑む。おそらく、きっと、たぶん──これが時間のループから脱け出す鍵なのだ。いいや、そうであってくれ。頼むから。
孝士は一歩一歩を慎重に進めて、臼山神社の本殿へと向かった。ざくり、ざくり。境内の玉砂利を踏む音があたりに響く。急に雲の切れ間から日が照ってきた。木々に囲まれた拝殿の裏へは木漏れ日が射してくる。暑い。全身にじっとりと汗が浮かぶ。緊張感が高まり、たまらず孝士は問うた。
「えっと、なんのご用ですかあ……?」
『……おねがいです。チカラ……チカラを、貸して、いただけませんか……』
ずしゃあっ。
砂利に足を滑らせ、コケそうになる孝士。
「はあっ!?」
想像していた展開を見事に裏切られ、孝士は半ばキレ気味である。なんなんだ。どういうことなんだ。いま力を貸してほしいのは、こっちなんだぞ。
拍子抜けした孝士が本殿の前へとたどり着いた。その小さな社殿、短い階段の上にある格子扉から、彼は訝しげに内を覗き込む。するとなかは二畳分もないほどに狭く、薄暗い。板張りの床にひとつ、古びた壺が置いてあるきりだ。
「あなた、もしかして百萬坊さん?」
『そう、そうです! さすがです、よくわかりましたね!』
本殿に近づいたせいか、謎の声は前より明瞭に孝士の頭のなかへ届いてくるようになった。
やっぱりそうか。孝士にさしたる驚きはなかった。だいたい、ここに封印されているのは天狗の百萬坊大権現だけじゃないか。ほかに誰がいるというのだ。
『いやあ、やはりわたしの見立てはまちがいなかった。最初に見たときから、聡明な方だと思っていましたよ』
と百萬坊。
なんか、やけに媚びているような言葉に聞こえるのは勘繰りだろうか。
「あのお、それで、どういった──」
『あっ、これは失礼。とりあえず、そこの扉、開けてもらえませんか』
言われた孝士は目の前の格子扉をじっと見つめる。だが、もちろん開けることはしない。
『あれ? もしかして、わたしのことを疑ってらっしゃる?』
「あたりまえですよ。あなた、悪さをしてここに封印されたはずでしょ」
『ええっ!? それは誤解。誤解ですよ』
「どういった誤解なんです?」
『んー、そりゃまあ、ずいぶん昔のことですからね。当時の原住民たちは、わたしが空を飛んだり、透明化したり、精神操作したりするのが理解できなかったんでしょう』
「そんなの、いまでも理解できませんが」
要するに百萬坊は、超自然的な力を持つゆえに人々から畏れられていたのだろう。いわゆる天狗の仕業じゃ、というやつだ。
『いやいや、決して悪気はなかったんですよ。わたしがやっていたのは、ただの調査活動ですから。実際、どなたにも危害を加えたことはないんですよ』
「くわしい経緯はどうであれ、それでもダメですよ。信用できません」
『そんな、困ったな。やっと封印が緩んで、壺の外とコンタクトが取れるようになったのに……』
孝士の脳裏へ届く百萬坊の声には、落胆した様子がにじんでいた。
たしか百萬坊が封印されたのは数百年前だ。以来、ずっと壺のなかに閉じ込められていたとなれば、たしかに気の毒な気もする。けれども、いまの孝士には他人にかまけている余裕がなかった。意気消沈し、彼は本殿の前にある階段に座り込んだ。がっかりだ。あてが外れた。絶対に、ここで時間のループを断ち切るようなイベントがあると思ったのに。
「お困りでしょうけど、ぼくだっていま大変なんですよ……」
『はいはい。存じておりますよ。アレでしょ、まれびどんでしょ?』
「えっ……」
百萬坊のその言葉に孝士は不意を衝かれた。彼はさっと首をねじ曲げ、背後の本殿を見やる。
『あいや、ハリムラさんが直面しているのは、時間がループしてるほうか』
「な、なんでそれを?」
『なんでって、わたしがハリムラさんの意識を送ってたんですもん。こことはちがうほかの世界へね』
絶句。
言いたいことが喉に詰まって、孝士はしばらく口をぱくぱくさせた。それから彼は勢いよく立ちあがると、
「あんたがやってたのかよ!!」
『ええ、そうですよ。これでもわたし、時間の秘密を解き明かした種族として有名ですので。それにハリムラさんの意識体は、肉体への固定が緩んでて操作しやすかったし。もう~、気づくのが遅すぎですよ』
いけしゃあしゃあと言ってのける百萬坊。
ちょっと整理しよう。孝士の非効率的な脳みそで処理するには、情報量が多すぎる。話をまとめると、天狗の百萬坊大権現はまれびどんと同じく地球外生命体だったようだ。それら数百年前に調伏された二体が、いまになって封印が緩んで復活を果たそうとしている。そして百萬坊は孝士の意識を何度も並行世界へと移動させるという、なんとも迷惑千万な方法で接触してきた──よし、ここまではなんとかわかった。
「……ぼくに、どうしろっていうんです?」
孝士は両手で格子扉をがっちり摑むと、詰め寄るように言った。
『ですから、さっき申したでしょう。ここの扉を開けて、それから壺のなかにいるわたしを解放してください』
「それをやったら、ぼくを並行世界に飛ばすのをやめてくれるんですね」
『お望みとあれば。でも、いいのかな? いまのままこの世界に留まると、大変なことになりますけど』
もったいつけた相手の口ぶりに孝士は眉をひそめる。
「なんですか、それ……」
『ハリムラさん、どうやら状況をおわかりでないようですね。よろしいですか、まれびどんが完全に覚醒してしまうと、それが呼び水となって、地球にいるほかの旧支配者たちも目覚めちゃうんですよ。あいつら、休眠中もテレパシーで相互監視してますから。で、そうなったら、なにが起きると思います?』
「そんなの、わかりませんよ」
『黙示録。最後の審判。神々の黄昏──呼び方はいろいろあれ、まあそんな感じですよ。旧支配者やら旧き神がぶわーって復活して、外なる神たちも巻き込んで、地球の覇権を懸けた最終戦争がはじまっちゃいます』
──なんですって?
うつろな目で宙の一点を見つめる孝士の動きが、ぴたりと止まった。いま彼の脳内では、百萬坊の言葉が映像として再生されていた。紅蓮の炎と立ちのぼる黒煙。それを背景にたくさんの邪神たちが、都市を破壊しつつくんずほぐれつ争っている。逃げ惑う人々。そのなかには孝士自身もいた。しぎゃーっとかいう特撮怪獣みたいな鳴き声も聞こえている。これが孝士の想像する世界の終焉。小学生レベルのイマジネーションといえよう。
それからふとして、孝士は現実へと戻ってきた。重大な問題点に気づいたからだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。まれびどん、いまもう覚醒してるじゃないですか!」
『はい。そうですね』
「てことは、ほかの旧支配者たちも?」
『じきに活動を開始するでしょうね』
「ダメじゃん! 終わりじゃん!」
『おっしゃるとおり。この世界は、もうあきらめるしかないですね』
孝士の目の前がすうっと暗くなった。よろめき、あやうくその場にへたりこむのをこらえた彼は、空を仰ぐ。
「じゃあ、外法古墳でまれびどんを撃退しても──」
『まったくのムダですね』
「はは……」
もう笑うしかない。
すべてが手遅れなのだ。いまごろ外法古墳へ向かった円島支社のみんなは、そうとは知らずにまれびどんと戦っている。いやしかしまさか、実家のあんな近所にメギドの丘があったとは。
『まあまあ、落ち着いてくださいよ。たしかにこの世界は終わりですが、別の異なる並行世界として存続させる方法は、まだ残されています』
茫然自失の孝士へ、まるで他人事のように百萬坊が言う。
『知りたいですか?』
「……方法があるんなら、はやく言ってください」
『では、交換条件とまいりましょう。わたしをこの壺から解放してください、そうしたら、お話しします』
そういうことか。百萬坊は、孝士が拒否できないのを最初からわかっていた。手を差しのべたのは自分が助かるためだ。おそらく壺から出たあと、彼はこの世界を捨てて、安全な異なる並行世界へ逃げるつもりなのだろう。
選択肢はひとつしかなかった。もはや話のスケールが大きすぎて、孝士は自分がこの先どうなるか見当もつかない。とはいえ、世界が終わる以上に最悪の事態などあるだろうか。
本殿の格子扉には凝った装飾の錠前が取りつけられ、錠が下ろされている。孝士はそれに近場で拾ってきた石を叩きつけて、破壊した。観音開きとなっている二枚の扉をゆっくり引くと、錆びた蝶番が擦れてきいと鳴いた。なかへ足を踏み入れる。すると足下には、高さが三〇センチほどの陶製の壺が。臼山神社の御神体。口には蓋がされており、さらに護符を貼り付けて封印してある。護符は長い年月を経て茶色く変色し、なにが記されていたもわからない。そのせいで封印が緩んだのだろうか。
朽ちかけた和紙の護符は指で引っぱると簡単に破れた。もう、どうにでもなれ。孝士は壺の蓋のでっぱりをつまんで、それを持ちあげた。
壺のなかは、空だった。なにも起こらない。が、百萬坊は自由の身となったようだ。
『ありがとうございます。あ、こちらの姿は見せませんよ。正気を失ってもらうと困りますので』
「それより、どうすればいいんです?」
孝士は姿の見えない百萬坊へと訊いた。
『ご安心ください。約束は守ります。世界を救う方法──それは、休眠状態のまれびどんに強力な打撃を与えることです。肉体を破壊できれば、倒すことはかなわずとも完全に復活するのを一時的に阻止できます。あれは等級的に低い神格ゆえ、休眠状態であれば不可能ではないでしょう』
「待ってくださいよ。まれびどんはいまの時点で、もう目を覚ましてるじゃないですか」
『はい。ですから、わたしがハリムラさんの意識を、まれびどんが眠っている過去へ送って差しあげます。そうですねえ、ざっと四〇〇〇時間ほど遡れば、封印の軛は緩んでおらず、まれびどんもまだ微睡みのなかにいるはずです。チャンスはそのときしかありませんよ』
「ぼ、ぼくがやるの!? いったい、どうやって?」
『そりゃ、ご自身で考えてくださいよ。わたしもそこまで面倒は見切れません』
「ちょっ……む、無責任だぞ!」
本堂から飛び出した孝士は周囲へ目を走らせる。だが、身近にはなんの気配もない。
うろたえる孝士。その姿を嘲笑うような忍び笑いが、どこかから漏れ聞こえてくる。
「おい百萬坊! どこにいったんだよ!」
怒りにまかせ、孝士は肩にかけていたリュックを地面に叩きつける。
「そんな面倒なことしなくても、ぼくをまれびどんのいない並行世界へ送ってくれよ! それですむことじゃないか!」
『いやいや、そんなんじゃぜんぜんおもしろくありませんよ』
さも愉快そうな百萬坊の声が頭のなかに響いた。
『せいぜいあがいて、未来を切り拓いてください。それでは、いってらっしゃいませ~』
直後、孝士の意識は、過去へとリープした。
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