どーんという大きな音が

 どーんという大きな音が鳴った。

 自宅の二階にある部屋で目覚めた孝士は、布団の上で横になった体勢のまま、ごろごろと横に転がった。まもなく地震で部屋が揺れはじめる。ぐらりと本棚が傾き、さっきまで孝士の寝ていた場所に倒れた。

「はあ……」

 揺れがおさまったころ、仰向けの孝士は深いため息をついた。首をねじ曲げ、枕元に置いてあった目覚まし時計を見る。

 午前七時一四分。また、戻ってきてしまった。

 階下より、母親の昌代が自分を呼ぶ声が聞こえた。孝士はだるそうに起きあがる。そうしてTシャツとステテコを脱いで、ハンガーラックに吊した仕事用のスーツに着替えはじめた。

 いったい何度、同じことをくり返せばよいのだろう。

 そう、これは時間のループ。孝士はその怪現象にずっと囚われている。簾頭鬼と臼山霊園を訪れた翌朝、彼は午前七時一四分から午前八時五七分までのあいだを、幾度となく経験しているのだった。

 もうリピードの回数を数えるのもやめてしまった。原因は不明だ。まれびどんが本格的に復活する朝ということなので、おそらくそこに理由があるのにちがいない。最初は夢でも見ているのかと思った。もしくは自分の頭がどうにかなってしまったのかと。時間がループするなど、どう考えてもばかげている。荒唐無稽にもほどがある。しかし、この現象に孝士の思惑が入り込む余地はなかった。いまの孝士にとって、それはまぎれもない現実なのだ。

 一階へ降り、昌代と会話して、家を出る。お決まりのルーチン。

 紙パックの野菜ジュースをストローでちゅうちゅう吸いながら、片手運転で自転車を漕ぐ。臼山町の様子はいつも同じ。海のほうへ目をやると、例の赤いオーロラが見える。もうそれを目の当たりにしても、最初のころのようにうろたえることはなくなった。むしろそっちが平常運転のように感じてしまう気さえする。

 もはや現在の状況を、諦めに似た心境で受け入れはじめた孝士。だが、彼もずっと手をこまねいていたわけではない。いちおう、いろいろやってみたのだ。

 最初に試みたのは、もちろん他力本願である。とりあえず人に頼るのは孝士の常套手段だ。中田支社長や折戸、簾頭鬼にも事実を話してみたが、ダメだった。精神状態を心配されたり、あげくにはあきれた相手が怒ってしまった。まあ常軌を逸した話なので、無理もないと思う。

 となれば、やはり自分でなんとかするしかない。たとえば映画や小説などのフィクションでは、こういった状況を打開する方法が必ずある。具体的には、未来が正しく進行する方向へ、事態を修正すればよいのだ。物語を構築するパターンというだけかもしれない。けれど、どうせ黙っていても時間は巻き戻るのだ。やってみる価値はある。

 とはいえ、肝心のなにをすればよいのかが、さっぱりわからなかった。

 道路脇に自転車を停めて、孝士は考え込んだ。自動車のクラクションが鳴り、寺石麻里の車がその横を通り過ぎてゆく。孝士はちらりとそっちへ視線を送ってから、ふたたび思索に耽った。

 まず、条件はなんなのだ。時間がリセットされる条件は。おおよそのタイムリミットは午前八時五七分前後だ。それが過ぎると時間が巻き戻る。しかし、ほかの条件でも七時一四分へ飛ばされることに孝士は気づいていた。自分自身に重大な危機が訪れた場合だ。前にいちど、外法古墳でのまれびどんとの最終決戦で、孝士は流れ弾に当たったことがある。銃弾の飛び交う最中で素人が下手に立ち回ったせいだったろうが、それで死んだはずの孝士は、またもや自室の布団で目覚めた。

 ほかにも、海のオーロラをよく調べてみようと臼山町の西にある漁港へひとりで向かったとき、妙な出来事に出くわした。海からあがってきた怪物の群れに襲われたのだ。あとで折戸に訊ねたところ、それはFTDSフロムザディープシーと呼称されるまれびどんの眷属だったらしい。深海魚と人間をミックスしたかの外見だったが、白くて不気味な姿はどうりでまれびどんに似ていた。これもまれびどん復活に関係する影響なのだろう。とにかく、わけがわからぬまま孝士はFTDSの大群に襲われて命を落としたのだが、そのあともやはり七時一四分に戻るといった結果だった。

 まるでゲームオーバーからのコンティニューのようだ。

 あまりにも理不尽で納得がゆかなかったが、孝士自身の生死がなんらかのキーになっているのは、まちがいない。だが、なぜ自分なのだろう。

 考えをめぐらせる孝士だったが、心当たりは見つからない。たしかに一回は死んで生き返った身ゆえ、自分が他人と比べれば異質だという自覚はあった。しかし、時間を操るなんて異能チカラを身につけた覚えはない。

 そもそも、時間が戻るといっても世界全体、まさか宇宙まるごとの時間が巻き戻るのか。おそらく、そうではあるまい。時間の矢が戻ることはなく、エントロピーは増大しつづけるからだ。この場合の時間のループとは、時の流れが逆方向へ遡っているのではなく、孝士の意識が記憶を保ったまま、別の世界の七時一四分に存在する自分へ乗り移っていると捉えたほうがしっくりくる。

 いわゆる並行世界。多元宇宙論や多世界解釈というやつだ。これらは量子力学や論理物理学で提唱されており、まだ信ずるに値する余地があった。

 オカルトの一説として個人、または複数の人々が事実と異なった記憶を持つ事例が、世界各所で報告されている。マンデラ効果と呼ばれるそれが起きるのは、対象者が並行世界どうしを移動した可能性のひとつと考えらている。まさにいまの孝士は、何者かの手によって無限に近い並行世界を飛び回り、マンデラ効果を体現しているのではないだろうか。

 なるほど。で、その何者とは誰だ? どうやってループから抜け出すの──?

 断片的な手がかりを繋いでみたものの、謎が氷解するどころかもっとややこしくなってしまった。もとより、どれも仮説にすぎない。机上の空論。孝士は落胆し、肩を落とした。

 考えてばかりいても仕方がなかった。孝士は自転車のペダルに足を置くと、今回もとりあえず臼山神社の霊界データバンク・円島支社へと向かうことにした。

 神社の裏にある駐車場へ着いた。が、そこにはいつも駐めてあるはずの社用車がない。

 時間を確かめると午前八時二〇分を回っている。折戸や中田支社長たちは、孝士を置いて外法古墳へと出発したあとのようだ。

 駐車場から階段を登って境内に入った孝士は、念のため事務所を調べたが誰もいなかった。彼はそれから社務所の横を抜けて、神社の正面へとなにげなく足を向けた。

 臼山神社の南側には大きな鳥居がある。孝士はどっと疲労感に襲われ、鳥居の下にある石段で座り込んだ。そこからは臼山町全体が見下ろせる。孝士はぼんやりと、家々が寄り添いあう町並みを見つめた。

 一見、平和な田舎町の風景。臼山町に住む大勢の人々はまだ、外法壁に封印された古代の邪神が復活したとは知るはずもない。いまここで、ひとりの男が途方に暮れていることも。

 孝士は孤独感に苛まれた。まるで世界から切り離された気分だった。というか、実際そうだ。

 いったいなにがダメなのか。どうすれば時間が先に進むのか。もしかしてこの先、自分はずっと永遠に時間のループに閉じ込められたままなのか──

 脳裏でさまざまな思惟がわきあがり、千々に乱れる。

 膝を抱え、うなだれて背を丸める孝士。と、そのとき、

『………………カ……ラ…………』

 なにかが聞こえた。

 ──なんだ?

 ゆっくりと顔をあげた孝士は、あたりを見回した。しかし、周囲には自分以外の誰もいない。

『……チ……カ…ラ…………』

 まただ。もういちど、囁くような声がたしかに聞こえた。

 気のせいではない。孝士は立ちあがり、耳をそばだてる。が、先の声は耳に入ったというより、直に頭のなかへ響いた感じだった。

 振り返ると、孝士の背後には臼山神社の拝殿がある。ごくりと喉を鳴らして、彼は唾を飲み込んだ。

 いや、ちがう。あの声は拝殿からじゃない。もっと、離れたどこか。

 足が自然と動いた。拝殿の横を回り、孝士はその裏手へと進む。すると途中の通り道に、赤ん坊の頭くらいの丸い石を紐で縛ったものが、ぽつんと置いてあった。関守石。神社仏閣などで、その先への立ち入り無用を促すために置く目印である。拝殿の裏には神社の本殿があるため、余人の進入を制限する目的で中田支社長が置いたものだった。

 関守石の横を通り抜けた孝士は、拝殿の側面から頭だけを出して先の様子を窺った。

 拝殿の裏は臼山神社を囲む鎮守の森がすぐ近くまで迫っており、日当たりがわるい。じめっとした湿気が満ちるそこに、人の姿はなかった。ついこの前、簾頭鬼といっしょに訪れた臼山神社の本殿があるだけだ。

『……チカラ……ヲ……』

 今度は、よりはっきりと声を感じた。

 孝士は確信した。この謎の声は、やはり本殿のほうから発せられている。そして、自分を呼んでいるのだと。

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