「ということは──」
「ということは──」
外回りから帰ったきたばかりの孝士が言った。ワイシャツの袖をまくり、腕を組んで考え込む彼は、頭のなかでれのんから聞いた話を整理した。
「その浮谷って子、幽霊の被害に遭ってるわけじゃなかったんだ」
「うん」
肯くれのん。
円島支社の事務所内では支社長の中田、孝士、寺石、そしてれのんの四人が神妙な顔をつきあわせていた。時刻は終業時刻を回った五時過ぎ。外はまだ明るい。
「これって、どういうことなのかな?」
俯いたままのれのんが、誰ともなしに訊いた。すると事務所の奥にあるデスクにいた中田支社長が、
「おそらく生霊だな。浮谷という少女の魂が、無意識のうちに身体を抜け出て、本人も知らないところで悪さをしているんだろう」
生霊とは、生きた人間の魂が幽霊となる現象のことである。他人に対して怨みや妬みなど、強い負の感情を抱くと、それにより生きたまま怨霊となり相手に害を為すのだ。概ね人の心に深く根付いた悪意が原因なので、生霊は非常に危険といえる。
伯父の言葉を聞いてれのんは肩を落とした。やっぱりそうか。
「でもあの子、誰かを怨むようには見えないよ。なんでそんな……」
「いっしょに絵画教室に通ってる男の子がコンクールで賞を獲ったのに、自分は落選した──そこなんじゃないかな」
と孝士。
「他人の才能に嫉妬したんだろ。一〇代かそこらの若いのが劣等感で悶々とするなんて、よくある話だぜ」
事務所の半分ほど開けた窓のところから、網戸越しにそう言ったのは折戸だ。彼はいま屋外に置いた竹の縁台に腰掛けて、仕事が終わったあとの一服をうまそうに喫っている。
「きっと神経が繊細なのよ、折戸くんとちがって」
と寺石。彼女は席から立ちあがると、給湯室の冷蔵庫から冷たい麦茶とコップを持ってきて、めいめいに配りはじめる。
「その子、絵を描いてるんでしょう? 感受性が強いのかな。創作がはかどらなかったり、将来の先行きが心配で、心が不安定になってるんだと思う」
「まあ、それもあるのだろう。とかく人の精神の奥底というのは、容易にわからんよ。本人でさえな」
感慨深そうに中田が言う。
自分の席に戻った寺石は隣にいるれのんへ身体を寄せた。そうして、彼女はれのんへ耳打ちするように、
「それに浮谷さん、もしかしたら話に出てた男の子のことがすきなのかも」
「どういうこと? なんですきな相手に嫌がらせみたいなことすんの?」
そのとき折戸が事務所のドアを開けてなかに入ってきた。
「なるほどねえ。アンビバレントってやつだな」
オフィスチェアをくるりと回し、それへ逆向きに跨がった折戸は訳知り顔だ。にやけている彼にれのんは眉をひそめた。
「は? 日本語で言ってくれる?」
「いわゆる二律背反」
「ん……もっとわかりやすく!」
「つまりだな、そいつのことがすきなんだけど、同時に絵で負けたっていう事実から認めたくない存在になってて、もう自分でもわけがわかんない状態に陥ってるってこと」
「な、なにそれ、あたしがわけわかんないよ」
ピュアなれのんには、まだ男と女の機微が理解できないようだ。たぶん女子高に通っているのに加え、中田支社長が箱入り娘として育てたせいだろう。
「でも、生霊なんてめずらしいケースですね。こういったとき、どう対処すればいいんですか?」
孝士がいかにも新人社員といったふうなことを言った。すると中田が、
「そうだな。さしあたっては、向こうさんの行動パターンを把握せんとな。麻里ちゃん、霊子センサーの探知ログからなにかわからんかな」
寺石は自分の事務机にあるパソコンを操作し、霊子センサーの記録にアクセスした。
霊界データバンクが幽霊を監視するため、日本各地に設置した霊子センサーのデータは膨大なものになる。オンラインで全国規模の検索もできるのだが、いまはローカルな臼山町に限定した地域を調べた。寺石がピックアップしたのは、そのうちの一貫性のないイレギュラーな反応だ。
「不定期に感知されている負のエネルギーなら、いくつかありますね」
事務所の隅にあるプリンター複合機が作動しはじめた。吐き出されたデータのハードコピー数枚を中田が取りあげる。そうして彼が目星をつけたのは、
「……おそらくこれだな。出没する時間帯は、深夜か」
浮谷早苗と、問題とされる男の子の住所──それらを結ぶ直線上に、微弱な反応が変則的に出ていた。日にちはまちまちだが、時間はいずれも深夜に霊子センサーの探知波が飛んだときだ。きっと早苗が就寝してから、彼女の生霊が活動しているということにちがいない。
「うむ。要対処として扱うに足りる件だな。れのん、おまえの出番だ」
と中田。それを聞いたれのんは意気込んで立ちあがった。
「いいよ、あたしやる。どうすればいいの?」
「規則性が見られないため、張り付いて監視するしかあるまい。これは少々、骨が折れそうだぞ」
「いまは夏休みだもん、夜更かしくらいかまわないよ」
「いやしかし、夜遅くに若い娘がひとりというのもな。とはいえ、うちに手の空いている者はほかにおらんし……仕方がない、ここはわたしがサポートしよう」
話がまとまった。浮谷早苗に関する要対処の案件は、さっそく今夜からはじめられることとなった。
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