夜も更けた深夜。

 夜も更けた深夜。分譲住宅が建ち並ぶ路地に、おなじみの軽四自動車が駐まっている。

 街灯の光が届かない暗がりに路上駐車した、その霊界データバンク円島支社の社用車内には、れのんと中田支社長の姿があった。

 運転席の中田は藍色の甚平を着て、車中からじっと一軒の住宅へと視線を注いでいた。前方の曲がり角の先、十数メートルほど離れた場所にあるのは、浮谷早苗の家だ。

 臼山町の北寄りに位置する住宅地は寝静まり、明かりが灯った家はほとんどない。と、ふいに中田の左肩へなにかが軽く押しつけられた。見ると、それはれのんの頭だ。彼女は少し前から助手席でうとうとと船を漕いでいたが、もう限界だったようである。

 薄手のパーカーにキュロットスカートを履いたれのんは、中田の肩によりかかって軽い寝息を立てている。

 大きくなったな。中田はしみじみそう思った。れのんと、その父方の伯父である中田がいっしょに暮らしはじめて、もう一〇年近くになる。れのんを引き取ることとなった当時、彼女はまだ小学生だった。中田夫妻のほうは子供がすでに家を出て自立していたし、れのんとの共同生活にさしたる問題はなかった。中田の妻は、家族が増えてまた家が賑やかになるとよろこんでいたほどだ。

 れのんは手のかからない子供だった。小さいころは遠慮しがちで、周りの反応を窺ってすぐに萎縮するところがあった。だが思春期を迎えてしばらく経ったとき、いちどだけ家のなかに波風を立てた。有り体にいえば、グレた。両親がいない自身の境遇から、世間に対し引け目のようなものを感じていたのかもしれない。または幽霊が視えるという特殊な体質に悩み、孤独だったのか。とにかく、れのんは悪い仲間と付き合いはじめて、あげくにそのグループから脱ける脱けないで揉めた。

 大人から見れば遊びのようなコミュニティだったが、そこに依存する少年少女は純粋で先鋭的である。れのんがけじめのリンチを受けると知った中田は、仲裁に乗り出した。結果的に、制裁の対象であるれのんの身代わりとなったのだ。ひどい暴行を受け、生傷だらけで家に帰ってきた中田を見てれのんは仰天した。そうして、彼女は中田夫妻の前で大泣きしながら、もう二度と悪いことはしませんと誓った。

 いまとなっては思い出のひとつだ。トラブルを抱えずにいる家庭など、ありはしない。それを乗り越えて家族は絆を深める。たとえ血のつながりが薄くとも。

 あのときのれのんを思い出して、中田は笑いがこみあげてきた。

「ふえ……?」

 中田の身体が揺れて、れのんが目を覚ました。

「あれ、あたし寝てた……」

「いいさ。まだなんの動きもない」

 と中田。

 れのんは眠い目をこすり、愛用のスクールバッグからサーモボトルを取り出した。なかには寺石が用意してくれたアイスコーヒーが入っている。中田の分を紙コップへ注ぎ、車のカップホルダーへ置いたれのんは、残りのコーヒーを眠気覚ましとばかりにぐいと呷る。

 真っ黒なシルエットになって見える早苗の家には、相変わらず変化がない。

 待つだけの時間というのは非常に退屈だ。そのうち、ふとれのんが中田に訊いた。

「ねえ伯父さん、パパとママのこと、まだ話してくれないの?」

「ん? まあ、そのうちな」

「またか。そうやって、いつもはぐらかすよね」

 いつ訊ねても返答はおなじ。今度も期待はしていなかったが、れのんは小さなため息をついた。

 れのんの父親、つまり中田支社長の弟である中田聡は、彼女が産まれてすぐに亡くなった。れのん本人は昔の写真でしか父親を知らないのだ。そしてそれから数年後、れのんが小学校の低学年のときに、母親の覆盆子原悠も亡くなった。

 正直、いつふたりのことをれのんに話すべきか、中田自身も考えあぐねていた。だが、いずれは真実を明かさねばならない。れのんの両親が、霊界データバンクで悪霊を祓う特殊な部署に配属されていたこと。そして、その業務中に殉職したことを。

 酷な話だ。あまつさえ、中田は両親とおなじ道にれのんを導こうとしている。霊界データバンクにとって、れのんは喉から手が出るほどの逸材である。とはいえ、弟と覆盆子原悠の末路を知る中田にとって、その心境が複雑となるのも無理はない。

「伯父さん!」

 狭い車内に、突然れのんの緊迫した声が響いた。

 顔をあげた中田もすぐに気づいた。

 青い炎が見える。浮谷早苗の家の屋根から、人の形をした陰火のようなものが立ちのぼった。

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