火曜日と金曜日は

 火曜日と金曜日は美術部の活動がある日だ。

 金曜の夕方、れのんはテニス部の練習が終わってから校庭の水飲み場を覗いてみた。が、浮谷早苗の姿はない。とすれば彼女は美術室だろう。

 Tシャツとトレパン姿のれのんは水飲み場の近くにある階段を使い、校舎の二階へあがった。円島女子商業高校の校舎は中庭を囲むようなコの字型をしている。美術室はその南側の角っこにあるのだ。

 れのんが早苗に会いにゆく理由は、もちろん姿のない幽霊に関して話を聞くためである。しかし、いきなり美術室へ押しかけるのはどうだろうか。ほかの部員がいる前で、幽霊の話などできるはずがない。いや、だいたいまだそれほど親しくはない早苗に、なんと言って核心に迫ればよいのだ。

 美術室の手前で立ち止まり、腕を組んでむーんと思案に暮れるれのん。彼女はとりあえず、くるりと方向転換して廊下の先を曲がった。そして中庭に面した廊下の窓のひとつへ近寄り、ガラスに顔を寄せる。そこからは同じ階の美術室内を窺うことができるのだ。すると、早苗がいた。彼女は窓際でイーゼルに向かい、筆を走らせている。タイミングよくひとりである。

 もう遅い時間であったし、ほかの部員はみな帰ったようだ。れのんはチャンスとばかりに美術室へ取って返した。ごろごろと鳴る戸を引き、なかに足を踏み入れる。

 学校の特別教室はどこも独特な匂いがする。美術室は絵の具と溶剤の匂いだ。戸が開く音を聞きつけ、作業に没頭していた早苗はふと手をとめた。戸口にいるれのんのほうを振り返り、そして案の定、ちょっとおどろいた顔になる。

「覆盆子原さん……どうしたんですか、美術室になにか?」

「あー、おっす。いまそこの廊下を歩いてたらさ、浮谷がいるの見えたから──」

 と、さりげないふうを装うれのん。

「はあ、そうなんですか……」

 困惑気味な早苗におかまいなしで、れのんはぎこちない笑顔を浮かべつつ彼女に歩み寄った。そうして早苗の前に立ててあるイーゼルの絵を、ひょいと横から覗き込む。

「うわっ、うま!」

 思わず声が出た。

 まだ下絵に彩色しはじめたばかりの段階だが、それでも早苗の絵は見事なものだった。描かれているのはどこかの川辺である。周囲は緑が多く、奥には切り立った崖。繊細なタッチで自然の風景がとてもよく表現されている。

 れのんにしてみれば、最後に絵を描いた記憶となると小学校の図工の時間まで遡らなければならない。当時はろくに水に溶いてない絵の具を画用紙にべた塗りして、先生におこられてばかりだった。写生大会など、ただの遠足だと思っていたクチである。

 そんな絵心のないれのんを惹きつけるのだから、早苗の絵はなかなかのレベルなのだ。

 れのんはあらためて、早苗の絵をじっくりと見る。あれ、ちょっと待ってよ。なんだか見覚えのある風景に、れのんはふと思いついて早苗に訊いた。

「これ、看取川じゃない?」

「よくわかりましたね。外法壁の近くです」

「やっぱり。あたし、あのへんたまに通るもん」

 看取川は円島市を流れる河川である。れのんは筋トレのメニューとして、よく川沿いをジョギングしているのだ。

 すぐ隣で感嘆を漏らすれのんに、早苗は気恥ずかしいのか顔を少し赤らめていた。

「すごお……こんなの、どうやったら描けるようになるんだろ。やっぱ才能?」

 とれのん。それを聞いた早苗は、なぜだか急に顔を伏せた。そして、

「いえ、これくらい、ふつうです」

 沈んだ声で言う。

 不思議に思ったれのんは早苗を見た。すると、あきらかに彼女の表情は翳っている。

 そのとき下校を促すチャイムが鳴った。早苗は我に返ったように顔をあげた。

「わたし、そろそろ帰らないと。あの、美術室の鍵も閉めますので──」

「あ、うん」

 ふたりは美術室から廊下に出ると、そのままそこで別れた。

 肝心の幽霊のことを聞きそびれたれのんだったが、あまりしつこくしても相手に悪い。仕方なくあきらめた。

 足早に遠ざかる早苗の姿に、れのんは違和感をおぼえる。ぶるっと身が震えた。無意識な身体の反射。といっても、この暑い盛りに寒さを感じたわけではない。

 れのんは確信した。やっぱり変だ。これって、まちがいなく幽霊の気配だ。

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