円島市の東部は

 円島市の東部は田園地帯となっており、人家も少ない田んぼばかりの場所である。その山間の平地には、ぽつんとそびえる鉄塔があった。携帯電話基地局の電波塔だ。ほっそりした鉄塔は高さが二〇メートル足らず。特に誰の目を引くものではないそれには、電話局の設備とは別に、霊界データバンクの霊子センサーが付設されていた。

 そろそろ陽が落ちる時刻だった。フェンスで囲われた鉄塔の横には、いま一台の軽四が駐車してある。円島支社の社用車。乗っているのは折戸とれのんである。

 折戸はめずらしく真剣な顔をして、車内に備え付けたタブレットPCの地図アプリで円島市周辺の道路網を調べている。その隣にいるれのんは退屈そうだ。ゆったりしたラグランTシャツにショートパンツ姿の彼女は、さきほどから口をぽかんと開けて車のなかから鉄塔の天辺を見あげていた。

 舗装されていない砂利道を進んできた白いバンが軽四に近づき、すぐ後ろで停車した。なかから降りてきた作業員が車の横に回ると、折戸はウィンドウを下ろした。

「うーっす」

 毎度の軽い調子であいさつする。相手は折戸と顔見知りの作業員だった。

「ごくろうさまです。臨時のピンを打つんですって?」

「そう。一回でいいんだ。これ指示書ね」

 言うと、折戸は作業員に一枚の書類を見せた。中田支社長が本社から取りつけた、霊子センサーを臨時に使用するための許可書である。作業員は折戸から書類を受け取ると、それに目を通した。

「はあ、動物霊ですか。めずらしいですね」

「すぐにできるよな?」

「ええ。インバーターの調整するだけですから」

 作業員はさっそく、もうひとりの助手らしき相棒といっしょに仕事へかかった。フェンスの扉を開けて内側に入ると、鉄塔の隣の配電盤を操作しはじめる。

 霊子センサーは、いってみればレーダーのようなものだ。ざっくりと説明すれば送信器から電波を飛ばし、それに反応を示した対象物の位置を測定する。霊子センサーの場合、発信するのは疑似霊子波という信号である。霊子波とは、霊子が発する電気的な波。いわゆる〝視える〟人たちはこれを受信することができる。そしてその霊子波を人為的に作り出したものが、疑似霊子波だ。

 通常は人間の幽霊を探知する目的で使用される霊子センサーだが、折戸はそれで動物霊を見つけ出そうというのだった。この世と呼ばれる物質界では、幽霊は霊子の集合体として存在する。とはいえ人間と動物ではその密度がちがう。今回は動物霊の希薄な反応を拾うために、強めの疑似霊子波を飛ばす必要があった。

 疑似霊子波を発信するには、ただでさえ大量の電力が必要だ。霊子センサーの稼働が日に数度と限られているのも、そのような理由があるからだった。配電盤で出力の調整をする作業員の様子を、車から降りた折戸がフェンスの外から見ている。その彼へ、作業員のひとりが言った。

「じゃ、いきますよ」

「おう」

 折戸は手に持ったスマホに目を落とした。その画面には、霊子センサーの情報を視覚的に読み取ることのできるルートナビが映っている。

 疑似霊子波が音もなく鉄塔から発せられた。数秒後、ルートナビの情報画面が更新される。

「あっ、出た出た」

 軽四のなかにいるれのんが、車内のタブレットPCを見て言う。折戸のスマホのルートナビにも、フィルターを通して人間の幽霊を除去した探知結果がマップに表示されていた。

 動物霊は予想よりも多かった。大なり小なりで、数十もの反応が示されている。折戸はそのうち、いちばん負のエネルギーが高まっているひとつに目星をつけた。位置は円島市の南東。天水町付近の山間。化猫はそこにいる公算が大きい。北室のくれた情報を鑑みると、やはりそのあたりへ逃走していると目される西浦を追っているようだ。

「オッケー、ごくろうさん」

 折戸は作業員に告げると軽四へ乗り込んだ。確認した場所は現在地から遠くない。すぐに車を出した。

 ここまでは上出来といえた。あと問題となるのは化猫が西浦を襲う前に、そのいずれかを発見できるかどうかだ。きわどいタイミングとなるかもしれない。

 天水町の近くまでは一五分ほどで着いた。この先は、れのんが頼みの綱である。彼女を人間霊子センサーとして、近傍を虱潰しに調べるしかない。

 陽が沈み、あたりは暗くなってきていた。とりあえず国道249号線からはじめて、折戸は周辺を車で流した。あてどもなくさまよううち、徐々に気が急いてくる。化猫はともかく、西浦はいったいどこへ逃げたのか。逃走する人間の心理とはどういうものなのだろう。そのへんのことは刑事である北室がくわしいはずだ。彼に訊いておけばよかったと折戸は思った。

 いまの時間、ほかに走行している車は多くない。国道とはいえ、この区間は道路照明もまばらだ。車のライトに照らされる以外はまっ暗な風景を見ていると、さすがに心細くなってくる。そこでふと思い立ち、折戸は助手席のれのんに訊いた。

「そういやおまえ、アレ持ってきたよな?」

「うん」

 と肯くれのん。彼女は膝の上に乗せていたスクールバッグを開けると、なかに手を入れた。

「今日はやばそうだったからさ、大きいやつ持ってきたよ」

 そうしてれのんがバッグより取り出したのは、大型の回転式拳銃である。スミス&ウェッソン社製のM29。銃身長は6・5インチ。使用する弾丸は・44マグナム。ただし、この銃から実弾は撃てない。代わりに霊子増幅器が組み込まれた通称「霊子ガン」からは、霊子力ビーム──圧縮した霊子波──を発射することができる。

 霊子ガンを使用するには資質が必要となる。れのんのような、あふれ出るほどの強い霊能力が。そして彼女が霊子ガンを拠り所として精神を集中させると、霊子力ビームの発生という現象が生まれる。いまれのんが持っている銃はいつも使っているものより大きい。機能的には大差ないが、彼女がでっかい銃だと認識すれば、より強力な霊子力ビームを撃つことができるのだ。霊子ガンはいわば霊能者の思念、想像力や思い込みを具現化させる代物である。冗談のようだが、これは本当だ。

「あ──」

 突然、れのんが誰かに呼ばれたように首を回した。

「どした?」

「いるかも」

 車はすでに天水町を抜け、さらに北上していた。折戸はハザードを点灯させて車を停めた。車内に備え付けたタブレットPCを見る。カーナビと同じ機能を備えたルートナビのマップによると、もうこのあたりは町から外れた場所で家並みが途絶えている。近場にあるのは、運送ドライバーを相手にする国道沿いの飲食店くらいだった。

「ん、まだはっきりしないな……でも近いよ」

 とれのん。

 ならば西浦も遠くないどこかに潜伏している可能性があった。折戸はゆっくりと車を進めた。ルートナビのマップに表示された飲食店の前に差しかかると、そこはうらぶれた廃屋となっている。やけに広い駐車スペースは雑草がのび放題で、店の看板らしきものは出ていない。商売が立ちゆかず、かなり前に店をたたんだあとのようだ。

 折戸は駐車スペースに車を入れた。店の母屋には入口となるガラス戸に、テナント募集と書かれた紙が貼り付けられていた。車のライトを向けて店内を照らしてみたが、なかはもぬけの殻だ。

「いねえか……」

 気落ちした声で折戸。

「ねえ、裏のとこ、車があるよ」

 ダッシュボード部分に顎を乗せるように身を乗り出し、れのんが言った。折戸もそのほうを見てみた。すると、黒っぽい車のテールらしき一部が目に入った。こちらのライトの光を受け、反射板が赤くきらめいている。

 ぞくりと寒気を感じたのはそのときだ。車中の折戸とれのんは、すぐになにが起こったのか理解した。強い負のエネルギーを持った悪霊が、間近にきている。

 言葉もなく顔を見合わせるふたり。と、急にれのんが表情をこわばらせ、折戸の着ているスーツの袖をぎゅっと摑んだ。折戸は彼女の視線の先、運転席側のサイドウィンドウから外へと目をやる。すると暗闇に、気配を感じた。

 まるで空から降ってきたように突然だった。車よりも大きな四足獣が横を通りすぎて、ライトの光芒のなかへその身を晒した。黒い靄をまとった巨大な姿。悠然と歩いている。ネコ科独特のしなやかな身のこなしで。が、それはふと車の正面で動きを止める。そして、いまさら折戸たちに気づいたかに振り返った。縦に長い瞳孔がすっと細くなり、軽四内のふたりへ向けられる。手を出すな、あれは自分の獲物だとでも言わんばかりに。

 カチリと小さな音が鳴った。れのんが霊子ガンの撃鉄を起こしたのだ。それとほぼ同時に、飲食店の裏に停めてあった車のエンジンがかかった。テールランプが灯り、急発進する。

 店の裏手から回り込んで車高の低いセダンが国道に飛び出した。それに化猫がつづく。やや遅れて、呆気にとられていた折戸も車を出した。

 前をゆくセダンのナンバーは確認できなかったが、まちがいなく西浦だ。潜伏していたところへ折戸たちが現れ、やむをえず逃走したのだ。彼にはいま、背後に迫る化猫が見えているのだろうか。

 三者の奇妙な追走劇がはじまる。だが空を飛ぶように駆ける化猫はともかく、普通車と折戸の軽四では馬力がちがいすぎた。徐々に距離が開いてゆく。

「おいれのん、おまえやれるか、あの化猫……?」

 折戸がれのんに訊いた。

「だ、大丈夫じゃない? たぶんだけど」

 と、心なしか固い声でれのん。この期におよんで強がりとは、なかなかどうして肝の据わった娘だ。折戸は思わず笑いがこみあげてきそうだった。

 西浦が急ブレーキを踏み、セダンが脇の農道へ逸れた。化猫と折戸もそれを追った。ばりばりと砂利を踏みしだく音を立てて、未舗装の道を車が猛スピードで走る。轍にハンドルが取られる。折戸がやばいと思った矢先、先頭の西浦の車が大きく体勢を崩した。暗くて行く手がよく見えなかったうえに、VIP仕様で操縦性も悪かったのだろう。緩いカーブで脱輪し、農道よりも低い位置を流れている用水へタイヤを落としてしまった。車は腹を地面にこすりながらしばらく走ったあと、そのまま幅のある用水にずり落ちた。そして派手に横転し、ようやく止まる。

 折戸の軽四が追いついたとき、用水のなかで斜めに傾いだ車から抜け出た西浦は、田んぼの稲のあいだを走って逃げてゆくところだった。身を低くした化猫が、いままさにそれへ襲いかかろうとしている。

「だめっ!!」

 軽四が停止したと同時に、霊子ガンを携え外へ跳び出したれのんが叫んだ。化猫はそれに一瞬、気を取られる。

 一条の青白い閃光が走った。しかし、れのんの放った霊子力ビームは狙いをたがえた。化猫が予想もせぬ動きで、先に彼女のほうへ襲いかかったのだ。数メートルを跳躍し、頭上からおおいかぶさるような攻撃をれのんは間一髪でかわした。その際、彼女は霊子ガンを取り落としてしまう。宙を舞った霊子ガンは軽四のボンネットにぶつかり、れのんとは反対側へ転がった。

「れのん!」

 ドアを開けて外に出た折戸は、地面に倒れてはいるが無事なれのんにほっとなる。そうして彼は足下の霊子ガンに気づいた。拾いあげ、車の後ろへ回った化猫へ向けて、構える。

 暗がりで毛を逆立てた巨大な猫が、鼻の上に皺を寄せ牙を剥いているのがわかる。一触即発の睨み合い。逃げ場はない。

「ハハ、追い詰められた鼠だぜ、こりゃ。おれにも、まだ撃てっかな……」

 冷や汗を浮かべた折戸がつぶやく。いやな過去が彼の脳裏に蘇っていた。自分が霊子ガンを振り回していた当時。あのころの折戸は、霊界データバンクの本社勤めでエリートコースを邁進していたのだ。社内政治、奸計、裏切り、そして挫折──

 化猫が威嚇する鋭い声を発し、身を屈ませた。それで折戸は我に返った。彼は狙いを定め、霊子ガンの引き金を絞った。

 幽霊を構成する要素として安定していた霊子は、霊子力ビームにぶつかると連鎖反応を引き起こす。結果、ほのかな光を放出後、霊子はこの世から消え失せる。塵も残さずに。あとは霊子から引き剥がされて依り代を失った魂が、霊界へと還ってゆくだけだ。これが霊子ガンによる強制成仏である。

 折戸はしばらく放心状態のように動かないでいたが、やがて細い息を吐くと霊子ガンを持った腕をだらりと下げた。そして、

「わりいな。おまえ、二度も死んじまったな……」

 折戸の見つめる暗がりには、もうなにもいなかった。

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