表通りから外れた路地に
表通りから外れた路地にパトカーがあふれている。
行列をなす路上駐車の最後尾に軽四を並べた折戸は、事件現場まで五〇メートルほど歩かねばならなかった。古い家が密集する裏路地を進み、ひとつ角を曲がると、行く手に野次馬が群れていた。朝早くから興味に駆られた人々の隙間から、立ち入り禁止と書かれた黄色い規制テープがちらちらと見える。その向こう側には制服姿の警官が二名、立っていた。
野次馬はほとんどが近所の住人だったが、報道関係者らしき姿もわずかながらいた。折戸はそれらの人垣にまぎれると、規制テープの先の様子を窺った。玄関から警察の捜査員が頻繁に出入りしている家が現場のようだ。昨日、自分が会った笠井という少年の自宅。そこで、いまから数時間前の深夜に事件は起こった。
おそらくは円島警察署の北室も臨場しているにちがいない。彼になんとか話を聞けないものか。
折戸は近くにいた制服の警官に目をつけた。野次馬のあいだを縫って、相手に近づく。そうして折戸は、本人にすればこのうえなく自然なつもりで警官へ微笑みかけた。
「……なにか?」
あやしい風貌のにやけた一般人を見て、制帽を目深にかぶった警官は眉をひそめた。
「円島署の北室さん、どちらですか?」
と折戸。
「あなたは?」
「身内です。ちょっと話がしたいんですけど」
「ご用なら自分が伺います」
「あー、呼んできてくれません?」
「無理ですね。失礼ですが、お名前は?」
「折戸。ご心配なく、警察の協力者です」
言うと、折戸はもはや手慣れた感じで警官にニセ名刺を差し出す。
ニューエイジのビジネスパーソンにソリューションとイノベーションをフィードバックするリーディングなリサーチカンパニー、ゼネラル・データバンク機構──なんのことやらさっぱりわからない文句が刷ってある会社の名刺に、警官はやや戸惑ったようだ。
「所轄署の方々は、いまお忙しいと思いますが……」
「北さんに耳寄りな情報があるんですよ。事件のことで」
もちろん口からでまかせである。それどころか、いま情報が欲しいのは折戸のほうだ。しかし、渋々といった様子ではあったが、警官は家のなかへ北室を呼びにいってくれた。この名刺すげえな、大事にとっておこうと折戸は思った。
しばらくして、さっきの警官を伴い北室が家から出てきた。くたびれたグレーのスーツに開襟シャツ。ノータイの北室は、どこか時代錯誤なセンスである。折戸の姿を見た途端、彼は眉間に皺を刻んだ。
「なんだ、あんたかい。勝手に身内を名乗るんじゃないよ、ったく」
折戸のところまで歩いてきた北室は、しかめっ面をして口を開いた。
「ニュース見て飛んできたんすよ」
「いいよ、こなくて」
「家のなか、どんな様子でした?」
北室はすぐに答えず、規制テープをくぐると折戸の腕をとった。そうして、彼を物見遊山の野次馬から離れた場所まで引っぱってゆく。
深刻な表情の北室はスーツの胸ポケットからロングピースを一本取り出して、口にくわえた。するとすかさず、折戸が自分のガスライターで火を貸す。礼ともつかぬ呻き声を漏らして北室が紫煙をくゆらすと、あたりには甘い香りが漂った。
この刑事と会うのは二度目だが、それでも冴えない顔色だとすぐに感じた。少し背を丸めた折戸は、相手の顔を覗き込むようにして、
「顔色わるいっすね。現場、そんなにひどかったんすか?」
「ひどいなんてもんじゃないよ。肉片があっちゃこっちゃに飛び散っててな。ありゃあ、まるで──」
「まるで、猛獣かなにかに襲われたみたいだった?」
それを聞いた北室ははっとなり、咎めるような目を折戸へ向けた。
「……あんた、いったい何者だよ。どこまで摑んでるんだ?」
「いやいや、いま必死こいて調べてる最中ですよ。昨日だって、笠井って子のところまで出向いて、話を聞こうとしたんすけど──」
「知ってるよ」
「あ、やっぱり張り込みとかしてました? 絶対どっかから見てると思ったんだよなあ」
あくまで飄々とする折戸に北室はあきれた。
「軽いねえ、あんた。リサーチ会社かなんだか知らないけど、あんまり妙な動きしてると、しょっぴかれるよ。気をつけな」
北室のは警告や脅しではなく、言葉どおりの心遣いのように聞こえた。無愛想だが声音に本人の人柄がにじみ出ている。ノンキャリアで出世コースからは外れていそうだったが、彼は見たところ実直な刑事だ。おそらく口が硬く、筋は通す男に思えた。
警察の強みは組織力だ。人海戦術で事件の捜査にあたることができる。その情報が欲しい。霊界データバンクの業務内容を外部へ漏らすのは、社内規定に反する。が、北室にならばあるていど話してもよいだろうと折戸は判断した。
「北室さん、ここらで情報交換しません? お互い手詰まりみたいだし」
「そっちが警察になにを教えるってんだよ」
「犯人っす」
北室の目の色が変わった。
「まさか──自分がやりました、とか言うんじゃないだろうな?」
「ハハ、ないない」
手を振って笑いながら否定した折戸は、表情を一変させて語を継いだ。
「火事で亡くなった被害者の少年、なんかペット飼ってたでしょ? 火災現場に小さい死体があったって話、聞いたんすよ」
思わぬ質問を投げかけられた北室は、ちょっとの間、記憶をたどった。
「ああ、猫だよ。かわいそうになあ。赤猫ってのは、まさにこのことだ」
「あかねこ?」
「放火魔。警察の符丁」
「へえ。にしても、猫だったか……」
無精髭の生えた顎に手をやり、難しそうな顔をする折戸。北室はわけがわからず、じれったそうだ。
「で、それがなんだって?」
「じゃあ犯人、その猫っすよ。正確には、猫の幽霊」
沈黙。北室は口を半開きにしたうつろな表情のまま、折戸の顔を真正面からひとしきり見つめた。それから鼻を鳴らして、低く笑いはじめる。
「あんたさ、本気で言ってんの?」
「マジもマジマジ。大マジっす」
「ならこの事件は、火事の巻き添えをくったペットの猫が、化け猫になって悪ガキ四人を殺して回ってるってことか? 怨みを晴らすために? んなばかな──」
だが、そこでふと言葉を切った北室は、しばらく考え込んだ。たったいま自分が口にした言葉を反芻するように。そして、短くなったたばこを足下に捨てて靴で踏むと、
「いや、あながちそうでもねえか……」
「死体調べた時点でわかってたでしょ。人間の仕業じゃないって」
「どの仏にも妙な外傷があったからな。こっちでも動物に襲われたんじゃないかって話は出てたよ。でも鑑識が言うには、よっぽどでかい爪と牙を持った獣だぜ。ライオンやトラよりも大きな、化物みたいなやつだってよ」
到底、信じられなかった。だが、折戸の話と合致させると妙に辻褄が合う。いまの事件もそうだ。被害者である笠井は、父親とふたり暮らしだった。その父親が遺体の第一発見者である。深夜、息子の部屋で激しく争うような物音を聞いて目を覚ました彼は、すぐに様子を見にいった。そして凄惨な殺害現場を目にしたのだ。血の海にあった息子の遺体は、もはや人の形をとどめていなかった。取り乱した父親からはまだ詳しい話を聞けていないが、当時、家にはふたりしかいなかったという。いまほど警察が調べた結果、侵入された形跡などは見つかっていない。犯人はなんの痕跡も残さず家のなかへ侵入し、そして犯行後、煙のように消え去ったのだ。それこそ幽霊でもなければ、ほぼ不可能な芸当だ。
認めざるをえない状況に陥り、北室は口を閉ざした。
「じゃ、今度はそっちの番」
と折戸。その彼に北室はぶすっとした顔を向ける。
「なにが知りたい?」
「最後のひとり、西浦くんの居場所」
「そいつはまだわからん。車を使ってどこかへ逃げたってことしかな」
「車か、まじいな。あんまり遠くまで逃げられたら、こっちは打つ手がねえや」
「いや、たぶん県外には出ちゃいない。最後の足取りは国道249号線のNシステムだ。天水町方面へ向かってたな」
「お、有力な情報ゲット。あざっす」
北室は折戸に、西浦が乗っている車の車種と登録ナンバーも教えた。これはおれの独り言だと念を押して。
「で、あんたこれから、どうする気だい?」
と北室。
「とりあえず西浦って子を捜しますよ」
「それから?」
「その先は企業秘密っす」
「企業秘密って、なんだよそりゃ。あんた、さっき言ったような化物を、どうにかできるのかよ?」
「まあ、こういうの初めてじゃないんでね。北室さんのほうは?」
「おれのほうは、報告書に犯人は幽霊でした、なんて書けるかよ。いちおう捜査はつづけるが、この件は御宮入りだろうな」
「それでいいんじゃないすか。世の中にゃ、警察の手に負えない事件もあるってことで」
「チッ、生意気なことぬかしやがって」
それでふたりは別れた。北室はしばらくその場に残り、去ってゆく謎めいた男の背をじっと見ていたが、
「なあ、あんた──」
少し離れた折戸へ、声を高くして呼びかけた。
「終わったら、おれのところに顔出しにこいよ。いいな?」
足を止めて振り返った折戸は、にやりと笑って見せた。それから、おどけた様子で北室に敬礼した。
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