不思議なともだち

 翌朝、私はおばあちゃんの家のすぐ前にある畑を案内された。畑と言っても、広めの家庭菜園といったサイズである。

「一夏にお願いする仕事は、このトウモコロシ畑のお手入れと、ごはんの支度のお手伝い。それからお掃除とお洗濯も手伝ってほしいし、あとキジ子さんのご飯と水ね」

「キジ子さん?」

「まだ会ってなかったかしら。うちの猫ちゃん」

 おばあちゃんの家は広いので、まだ入ってない部屋もあるし、同居の猫すら見つけられていなかった。

 家に戻って、私は荷解きを多少進めて、それからキジ子さんを捜しはじめた。会ってみたい。

 居間の壁沿いに置かれたキジ子さんのお皿はカラになっている。まず、居間から繋がっている台所を覗き込む。おばあちゃんは料理好きらしく、調理器具がよくあるものから珍しいものまでたくさんある。

 オーブンの上にカゴがあり、中にはたくさんのお菓子が詰まっていた。冷凍庫にはアイス。

 キジ子さんは見当たらないので、台所を出る。隣はお風呂で、人間用はもちろん、猫用のシャンプーまであった。

 廊下を歩いて、引き戸で区切られた他の部屋をひととおり開けてみた。

 私とおばあちゃんが寝る部屋を見る。畳が広がる室内はすっきりと片付いていて、布団や座椅子が押し入れにしまわれている。壁に向かって小さなローテーブルが立てかけられていて、これは私が宿題をやるときにでも使ってほしいとおばあちゃんが出してくれたものだ。

 部屋の奥の障子を開けると縁側に出た。おばあちゃんが彩った緑豊かな庭が、夏の陽射しの中でより緑を明るく魅せていた。軒先の風鈴が風を受けてチリンと歌う。

 昨日は暗くてよく見えなかったけど、一見するとやたらめったらに植えられているように見える木々はきちんと剪定されてきれいに整えられていた。

 木の向こうから見えるブロック塀で、道路と敷地を区切っている。

 縁側を歩いて地続きの隣の部屋を覗き、私は思わず息を呑んだ。

 ものすごい数の本が納められている部屋だった。壁に沿って置かれた本棚は、天井につくほど背が高い。その中にびっしり本が詰まっているのだ。それでも入り切らない本が床にも何冊も積まれている。学校の図書室をぎゅっと凝縮したような、本だらけの空間なのだ。どきっとするような圧迫感がある。まるで別の世界に足を踏み入れたみたいだ。

 本棚の中から自分の目の高さの本を見る。背表紙に「妖怪辞典」と書かれていた。その横の本は「百鬼夜行」、その隣は「あやかし伝記」。妖怪の本ばかりだ。

 本棚から一冊取ってみようと、手を添えたときだった。

「ごめんくださーい」

 廊下を突き抜けるように、玄関の方から声がした。

 おばあちゃんが返事をする声が遠くから聞こえて、直後、おばあちゃんが私を呼んだ。

「一夏、おいで」

「はーい!」

 引き戸を開け、廊下へ出た。

 ご近所さんが来たのだろうか。一本道の廊下から玄関の方を見ると、出迎えているおばあちゃんの背中とその向こうに小さな人影がふたつ見えた。

 私を手招きしたおばあちゃんの横に駆け寄ると、玄関口まで来ていたふたりと対面した。私と同じくらいの歳の、子供だった。片方は男の子で、もうひとりは女の子である。

 男の子の方は短髪に日焼けした仏頂面で、手には風呂敷に包んであるものを持っている。

 女の子は隣の少年の強気そうな表情とは真逆で、恥ずかしそうに縮こまっていた。肩までのショートカットに眉の下で切りそろえた前髪の、コケシみたいな丸い頭をしていた。

 おばあちゃんがふたりを紹介する。

「隣に住んでる晴樹と明奈よ」

「お隣さんだったんだ! おはよう、一夏です。夏休みの間だけこっちで過ごすからよろしくね、晴樹くん、明奈ちゃん」

 私はぺこっと頭を下げた。

「晴樹でいいよ。よろしくな、一夏」

 晴樹は私に会釈し、それからおばあちゃんに風呂敷を渡した。

「これ、お惣菜のお裾分け。お母さんが持ってけって」

「あら、ありがとう」

 おばあちゃんがにっこりして風呂敷を受け取った。

「晴樹は六年生だから、一夏と同い年ね。明奈は年子の妹なの」

 晴樹がちら、と明奈ちゃんに目をやる。

「ほら明奈、挨拶は」

「こ、こんにちは」

 明奈ちゃんははにかんでお辞儀した。おばあちゃんが彼女を見て微笑む。

「明奈はちょっと人見知りなの。優しい子だから、一夏もすぐに仲良くなれるわよ」

 おばあちゃんの言葉でまた照れて、明奈ちゃんはお兄ちゃんの晴樹の背中に隠れてしまった。

 彼女を一瞥し、晴樹がこちらを向く。

「なあ一夏、まだこっちに友達いないだろ? これから一緒に宿題やろうぜ」

 妹は恥ずかしがり屋でも、お兄ちゃんの方は気さくな性格みたいだ。同い年の子に誘ってもらえて、私は嬉しくなった。

「うん! 一緒にやろう」

「じゃ、宿題持ってまた来る」

 晴樹は明奈ちゃんの手を引いて引き返していった。私たちのやりとりを見ていたおばあちゃんが、お惣菜を持ってにこにこ微笑む。

「ふふ、早速お友達ができたわね」

「うん。あっ、お迎えする支度しないと!」

 私は寝室に戻って、おばあちゃんが立てかけておいてくれたテーブルを部屋の真ん中に置いた。押し入れを開けて、座椅子を三つ引きずり出す。

 荷解きが止まっていた荷物を開けて、中から算数ドリルと学習ノートを引っ張り出した。

 そうしているうちに、すぐに玄関から晴樹の声がした。私は出迎えに玄関に飛び出す。晴樹と明奈ちゃんが、それぞれ宿題を抱えて立っている。

 私は玄関を上がってくる晴樹と、晴樹のシャツの端を握ってついて来る明奈ちゃんを部屋に案内した。

 三人でテーブルに宿題を広げて、各々問題を解きはじめる。が、私は算数ドリルの最初のページで行き詰まった。晴樹と明奈ちゃんも、途中まで真面目にやっていたがすぐに飽きた。晴樹が鉛筆を止めて聞いてくる。

「一夏はどこから来たの?」

「隣の県。ふたりはもうずっとここに住んでるの?」

「うん。生まれたときから」

 そこへ、おばあちゃんがジュースを持ってきてくれた。兄妹たちと仲良さそうに話し、ジュースを置いて部屋を出ていく。部屋を出るおばあちゃんの後ろ姿を見送りながら、私は尋ねた。

「ふたりともよくここに来てるの?」

「うん。うちにいるより、楽しいから」

 明奈ちゃんが答えると、晴樹も続いた。

「うちだと、兄貴がいるしな」

「お兄さんがいるの?」

「うん、俺の上に中学生の兄貴がいてさ。健太って名前。受験でピリピリしてるから、俺らのこと追い払うんだよ」

「中学生かあ。この里に中学校あるんだね」

 私が言うと、兄妹は同時に首を横に振った。

「いや、月十蒔里分校だけ。全校六人の。中学生は兄貴含めて二人だけだから、小学校と一緒になってるんだ」

「六人じゃ、すぐに全員名前覚えられるね」

 それから私は、裸足で山道を歩き回るヤマザルみたいな少年を思い出した。

「あっ、そういえば昨日、ヨウって子に会った!」

 晴樹と明奈ちゃんと健太お兄さん以外にはあと三人しか、同じくらいの歳頃の子供がいないのなら、その三人のうちひとりはヨウなのだ。

 しかし、晴樹と明奈ちゃんは顔を見合わせて首を傾げた。

「……ヨウ?」

「うん、ヨウ。やんちゃそうな、ちょっと口の悪い男の子」

「……いたっけ、ヨウなんて」

 晴樹がぽつりと言った。

 おばあちゃんがまた、部屋に入ってきた。

「はい、おやつ持ってきたよ」

 お皿にお菓子をたくさん開けてきてくれた。

「わあっ、佳代子さんありがとう!」

 明奈ちゃんが目をきらきら輝かせた。

 この辺は同じ名字の人が多いから、下の名前で呼び合うことが多いらしい。私の名字である「葛葉」は全国的には多くはない名字だけれど、月十蒔里では珍しくないらしく、住民の二割くらいは葛葉姓だそうだ。私の家系のルーツはここにあるのだろう。

 おばあちゃんは持ってきたお菓子をつまみ食いしてから、部屋から出て言った。

 お昼ごはんは家で食べると言って、兄妹が帰っていった。結局、お喋りが楽しくて宿題は殆ど進まなかった。

 私はおばあちゃんとサンドイッチを作って、まったりテレビを観ながら昼食にした。昼のワイドショーが環境問題を報じている。どこだかの山を切り開いて、ゴミの埋立地にするという話を、賛成派と反対派に分かれて決着のつかない議論を白熱させていた。

「自然を壊して人間のものにするのもどうかと思うけど、反対するなら別の方法を考えないといけないよね」

 私はちゃぶ台に頬杖をついた。おばあちゃんがテレビの光を瞳に映してため息を洩らす。

「この月十蒔里も、山を切り開いて作った里なのよね」

 おばあちゃんはそう言い残して食器を片付けはじめた。私も手元の食器を持って台所に入った。

「洗い物は私がするから、一夏は宿題でもやりなさいな。さっき、全然やってなかったでしょ」

「うわあ、ばれてる」

 私は苦笑いをして、洗い物をおばあちゃんに任せ、宿題を広げたままの寝室に向かった。


 *


 部屋の真ん中に広げた宿題を一瞥する。やる気がおきない。

 外の空気を吸おうと、縁側に続く障子を開けた。明るい緑の庭がきらきらと私を出迎えた。外の空気ですっきりするつもりだったのに、もわっと暑い空気が肌にじっとりとしみて返ってやる気をなくした。

 ふと、木々の奥のブロック塀から子供が顔を出しているのに気づいた。茶色い髪に、鳶色のような緑色のような不思議な色の瞳。背伸びして何とか顔だけ覗かせて、こちらをじっと見つめているのは。

「ヨウ!」

 私は少年に向かって手を振った。山で会ったあの少年、ヨウだ。

「よっ!」

 ヨウもへらりと口角を上げて、私に向かって手を振った。

「そんなとこでなにしてるの?」

「こいつが迷子になってたから、連れてきた」

 ヨウがひょいっと塀の上に掲げたのは、太ったキジトラの猫だ。

「あっ、キジ子さん!?」

 捜すことも忘れてたけど、外で迷子になっていたのか。ヨウに大人しく抱かれて、まん丸の目で私を見ている。

「脱走しねえように気をつけろよな」

「ありがとう」

 縁側の下に置いてあったサンダルを足に突っかけて、ヨウとキジ子さんに駆け寄る。

 しかし、塀を挟んで向こうにいるので、上手く手が届かない。下手にキジ子さんを塀の上に置いても、逃げてしまいそうだ。

「イチカ、ちょっとどいてろ」

 背伸びをやめたヨウの顔は見えない。

「そこに降りるから」

 この塀を飛び越えて、庭に入ってくる気のようだ。でも塀の高さはこのとおり、ヨウの身長より高い。

「この塀の高さを越えるのは大変だよ、玄関から回ってきてよ。それかほら、手、貸すよ」

 手を差し出すと、塀を掴んでいたヨウの手がパッと離れて引っ込んだ。

「うわっ、いいから下がってろって!」

 思った以上に驚かれてしまい、私も面食らって後ずさりした。すごすごと縁側に座って、ヨウの行動を見守る。

 すると、タンッと軽快にアスファルトを蹴る音がして、次の瞬間には猫を抱えたヨウが私の前にふわりと降り立っていた。

「はい」

 そして、私の膝の上にキジ子さんを降ろした。

 え、今、なにが起こったの。

「嘘……あの塀、どうやって越えたの?」

 助走もつけずに、私たちの身長ほどもある塀を、跳び越えたというのだろうか。信じ難いが、実際に目の前で起こったことだった。

「すごい! ヨウって運動神経抜群なんだね!」

「まあな」

 ヨウがしたり顔をする。

 キジ子さんは私の膝から降りて、居間の方へと歩いていった。壁の向こうからおばあちゃんの声がする。その声を聞き、ヨウがやや、眉間に皺を寄せた。

「ここ、カヨコの家か。あんたカヨコの孫なの?」

「そうだよ。おばあちゃんのこと、知ってるんだね」

「知ってるもなにも……有名だよ」

 と、私はふいに、晴樹と明奈ちゃんもヨウのことを知らないと言っていたのを思い出した。

「そうだ、ヨウ算数得意? 宿題一緒にやろうよ」

 畳に放ってあったドリルを拾ってヨウに向ける。しかし彼は仰け反って遠慮した。

「やらない」

「どうして? もしかしてもう終わらせた?」

「宿題なんてないから。学校なんて、行ってないし」

「えっ?」

 私は思わずドリルを手から落とした。

 学校に行っていないということは、なにか事情があるのだろうか。だから晴樹と明奈ちゃんもヨウのことを知らなかったのだろうか。

「なら、自由研究。郷土伝説を調べてるんだ。そういえば、あのときあの暗い坂道にいたし、狐の呼坂に詳しかったりする?」

 漢字や算数の宿題がなくても、それなら一緒にできる。いい考えだと思ったのだが、ヨウはより怪訝な顔をした。

「あんた、おユキじゃないんだよな?」

 昨日もその名前で間違えられた。

「違うよ、一夏だって。そのおユキって人、捜してるんだっけ」

「狐の呼坂のこと気にしてるなんて、余計におユキっぽい。ほんっとーに、おユキのこと知らないのか?」

 ヨウがパーカーのポケットに手を突っ込んだまま、前屈みになって私の顔をまじまじ見つめた。顔が近い。

「全然似てはいないんだけど……。この家からおユキの気配がするんだよな」

 気配とは。ここには私とおばあちゃんとキジ子さんしかいないはずだ。

「なにそれ、そんなまるで幽霊でもいるみたいな言い方して」

「幽霊かあ」

 ヨウが空を見上げた。

「この際、幽霊でもいいから見つけたいんだよな」

 幽霊でもいいから会いたい人。どんな人なのだろう。

「幽霊だなんて、そのおユキさんて人、死んじゃったの?」

「もしかしたら、もう死んでるかもしれない」

 ヨウは虚空を見つめている。その姿がなんだか物悲しげで、胸が締め付けられた。私は明るい声を出した。

「大丈夫。生きてるよ」

「三百年前の人なんだ」

「じゃあ死んでる」

 確実に死んでいる。ヨウは真顔で続けた。

「だよな。多分死んでるよな」

「多分じゃなくて死んでる。人間の寿命を考えたら当たり前でしょ」

 呆れた。そんな冗談を真面目な顔で言わないでほしい。ヨウはまだ、難しい顔でおかしなことを言っている。

「イチカ、ほんっとーにおユキと関係ないのか? 自分がおユキだってことを忘れてるだけで、実はおユキだったりしないのか?」

「だから違うって」

「これ見ても、なにも思い出さないか?」

 彼がそう言った直後。突如、ヨウの背後に茶色いものがぴょこっと現れた。

 大きくてふわふわしていて左右にゆらゆら揺れる、それは。

「……尻尾?」

「うん。本物だぞ」

「嘘っ!」

 私はガタッと縁側を立ち上がった。

「さっきまでなかったのに。どんなトリックがあるの!?」

「トリックなんかない。本物だってば」

 呆れ顔で腕組みをするヨウに詰め寄って、ゆらゆら揺れる尻尾を触ろうとすると、ヨウがぴょんっと後ろに跳ねて逃げた。

「触んな。人間に触られちゃいけないんだ」

 そういえばおばあちゃんが、狐の呼坂の化け狐は人間に触れないように術をかけられていると話していた。

「てことは……ヨウは、化け狐?」

 まさか、そんなのいるはずないのに。

 私はまたヨウの尻尾に触ろうと詰め寄った。ヨウはさらに後ずさりした。

「やめろって! 触られちゃだめなんだよ」

「いや、絶対なんか仕掛けがある! ちょっと引っ張らせてよ」

「だめだって!」

 ヨウが後ろに向かって身軽にジャンプして私から逃げた。塀の上に座ってこちらを見下ろしている。

「そっか、尻尾見ても思い出さないなら、やっぱ心当たりないってことか。イチカはおユキとは関係ないのか……」

 真剣な顔で呟くヨウの背中では、相変わらず、尻尾はふよふよ揺れていた。

 信じられないが、何度目を擦っても、間違いなく尻尾がある。

 いやでもまさか。信じられない気持ちと信じる他ない状況とが頭の中でごちゃごちゃになって、私はついに、考えるのをやめて見たたままを受け止めた。

「だから、学校にも行ってないんだ」

 ぽかんと口を開けて、間抜けな呟きを洩らす。ヨウは大きな尻尾をくりんと揺らし、頷いた。

「まあな。実は里に下りてきたのは今日が初めてだ」

「普段は?」

「山で暮らしてる。今はこの場所に馴染むために人間の姿に化けてるけど、俺は狐だよ」

 目を擦ってもう一度見たが、たしかにヨウの尻尾は目の前でゆらゆら揺れている。

 にわかに信じられないが、それなら全て辻褄が合う。彼が頑なに触られるのを嫌がるのも、山にいたのも、ものすごく身軽なのも。転んだ私に手を差し伸べるのを嫌がって、棒を拾ってきたことも。

「ヨウ、尻尾隠せるの? 途中までなかったのに、急に出てきたでしょ」

 私が尋ねると、ヨウのヨウの尻尾がふっと消えた。

「隠せる」

 一度消えた尻尾がまた、ふわりと姿を現す。

「じゃあ、私以外には絶対に見せちゃだめだよ」

 私は揺れる茶色い尻尾を見つめながら言った。

「他の人に見つかったら大変。化け狐なんて実在してたら、大騒ぎになっちゃう」

「そうだな。この里の人たちは、化け狐は不幸をもたらすって狐を嫌ってるしな」

 ヨウが呟いて、尻尾がどこかへ消えた。私は念を押して言った。

「私はよその人間だからともかく、月十蒔里の人に見つかったらどうなっちゃうか。いい、これは私とヨウだけの秘密ね」

 とんでもない事実を知ってしまった。

 しかし動揺しているのは私だけで、ヨウはあっけらかんとしていた。

「信じてくれてよかったよ。妖怪信じない人間増えてるのに」

「私も妖怪なんていないと思ってたけど」

「流石、カヨコの孫。カヨコ、妖怪の間じゃ有名なんだぜ」

 ヨウはそう私に告げると、またひとっ跳びで塀を越えていなくなってしまった。


 *


 その夜、布団の上に身体を仰向けに投げ出して、天井を見上げながら考えた。

 妖怪なんているはずない。そんな、おばあちゃんじゃないんだから、信じられない。

 でも、あれはたしかに、作り物ではない尻尾だった。

 和風照明の柔らかな光が、天井の木目をもやもやと照らしている。部屋におばあちゃんが入ってきた。

「まだ起きてたの」

「うん」

 昨日は疲れてすぐに寝てしまったが、今日はヨウが見せた衝撃の事実のせいでとても眠れそうにない。

 おばあちゃんがパチン、と電気の紐を引っ張った。部屋が真っ暗になる。

 おばあちゃんが私の布団の隣に敷いた布団に潜る。私は枕に頭を擦るようにして、顔をおばあちゃんの方に向けた。

 おばあちゃんは妖怪マニアだ。おばあちゃんになら、ヨウのこと話してみようかな。

「おばあちゃん、妖怪って、いると思う?」

 おばあちゃんはゆっくり寝返りを打った。

「そうね。残念ながら見たことはないけど、絶対にいないっていう証拠もないでしょ。それに昔の人があれだけ『いる』って言うんだから、いるんじゃないかな」

 おばあちゃん。私、今日妖怪に会ったよ。なんとなく言葉にできずにいると、おばあちゃんが続けて言った。

「この月十蒔里に伝わる狐を、何度も探した。悪さしないよう退治しようと思ったの」

 ああ、だめだ。おばあちゃんには話せない。ヨウが妖怪だとばれたら、真っ先に退治しようとするだろう。

「きっといるよね、妖怪」

 私はごろんと身体の向きをかえた。おばあちゃんに背中を向けて、手足を胸に引き寄せる。目が冴えて仕方ない。

 寝つけずにいると、おばあちゃんがふふっと笑った。

「なあに。お昼寝でもしちゃったの?」

 ああ、そうか。 きっと、あのとき私は夢を見ていたんだ。そうだよね。ヨウが化け狐なんて。

「うん、寝ちゃったのかも」

 おばあちゃんに返事をして目をつぶる。おばあちゃんの手が、ぽんと私の布団を叩く。

「おやすみ」

 包み込むような声に、私はゆっくり、眠りに誘われていった。

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