第33話

 私は温泉の支度を終えると、お土産屋さんでも見て回ろうかと立ち上がる。三十分ほど経ったら温泉に行こうかな。


 お土産屋さんで時間を潰していると、同じようにお土産を見ている客と目が合った。


「あ……」


 知ってる、この人。


「悠…?だよね?」


 そして見事に話しかけられる。今ここでは会いたくない人だった。


「ねえ、やっぱり悠だよね!久しぶり!」

「どうしてここに…?」

「彼氏と来てるの。悠は?」

「いや、べつに」

「なに、彼女と来てるの?」


 ニヤニヤした顔で話しかけてくるのは、私のことをよく知る親友、“井上すず”だった。でもコイツは本当に空気が読めなくて困る。これまでの面倒事はコイツが引き寄せたといっても過言ではないものが何件もある。広澄さんとは引き合わせたくないな…


「違うって。そういうのやめて」

「えーん、冷たい態度に泣いちゃうよ〜」


 私の腕に無駄に大きい胸を押し付けてくる。


「彼氏はどこにいるの?もう行きなよ」

「だって悠の彼女に会いたいじゃない?」

「だから違うって、会社の人だから。なんにもないよ」

「ふーん、それにしてはなんかキメてない?」


 私の変化にすぐ気付くやつだ。鋭い視点に一瞬ドキッとする。別にキメてるわけではないけれど、そりゃあ少しは見た目に気を遣わせて下さい。


「すずと一緒にいる時とは違うんだよ。会社の上司だし」


 そう言っておいたけど、納得はしてなさそうだ。


「上司待ってるから温泉いってくるね」

「えーーー、待ってよ悠。お願いがあるの」


 すずのお願いはろくな事にならない。


「彼氏に聞いてもらいなよ」

「ねえ、お願い。親友のお願い聞いてくれないの?」


 きゅるんとした瞳で見つめられても、私は騙されないぞ。


「いいから、彼氏に言いな?私には何にもできないから」

「ねえ、悠冷たいよ…」


 シュンとしてしまったすずが少し可哀想になってきた私は内容だけ聞くことにした。甘いな、私。


「で、どうしたの?」

「彼氏に今夜仕掛けたいんだけど、いい雰囲気になる方法教えてくれない?」


 いや、なんで私にそんなことを聞く。


「すずさ、もう何人とも付き合ってるじゃん。私に聞くまでもないって言うか、なんで私?」

「何百人の男女を虜にしてきた悠の意見が聞きたいわけ」

「話を盛らないでよ」

「無自覚なバカタレめ。…そんなことより、どうしたらドキドキしてもらえるかを一緒に考えて欲しいの!」

「そんなこと考えてる時点で十分可愛いと思うんだけど」

「う……ほらそうやってすぐに人をたらすのやめなさい」


 色んな人からタラシだかなんだか言われるけど、私にはよく分からない。素直に思ったことを言ってるだけなのに。


「じゃあ、私から彼氏に言ってあげようか?こんなこと気にして頑張ってますよって」

「バカなの?」

「ごめんなさい」


 話が止まらないすずの話を聞いていると、気付けば広澄さんが温泉に行ってから既に一時間以上経過していたようだ。


「やば、広澄さん待たせてるかも」

「広澄さん?上司の方?」

「そうそう、ごめんっ、あとは頑張って!」

「あっ、待ってよ。私も今から温泉行く!」

「いやいや着いてこなくていいから」

「いいじゃない、方角一緒なんだから」


 またデカい胸を私の腕に押し付けてきた。引き剥がそうとしても、怪力でピッタリ引っ付かれてしまっては、もう剥がせない。


「ちょっと、近いって」

「なーに、私の美しい顔にくらくらしちゃった?」


 無駄に顔も良いコイツはすぐ調子にのっていじってくるからやめて欲しい。引き剥がそうとしながら温泉に向かっていると、女湯の前の休憩スペースに人が集まってるのが見えた。


 一人の女性に群がっていたのは全員男。嫌な予感がした。しかし、そんな予感はしっかりと的中してしまう。


「ねえ、お姉さんかわいい。ひとり?」

「ここで何してるの?綺麗なお姉さん」

「人を待ってます」

「えー、じゃあ俺らの部屋に来ない?人も来ないし静かだよ」

「結構です」


 あれは、広澄さんだ。髪の毛が少し濡れているからもう温泉からあがったのだろう。私は遅かったみたいだ。私が彼女に気付くと彼女は既に私のことを見つけていたようだ。彼女の顔は温泉あがりだからか、頬がほんのり赤かった。私のことを見つけた彼女は、すぐに立ち上がって私の前に来た。


「ねえ、私待っていたんだけど?」


 かなり怒っている。

 でもそんなことより、浴衣姿の妖艶な広澄さんの姿にやけに心臓がうるさい。

 …かわいい。すっぴんも相まって、整った顔がさらに引き立つ。直視出来ないくらいに色気がむんむんだ。そりゃあ、男どもが群がるわけだ。


「すみません、少し用事が長引いてしまって…」


 広澄さんを一人にするべきじゃなかった。申し訳なさでいっぱいになる。


「用事ってこの女の人のこと?」


 怒っているけど、少し妬いてるようなそんな雰囲気だ。まあ、広澄さんが誰かに妬くなんてしないだろうから、勘違いかな。


「あ、いえ…その…偶然友人に会ってしまっただけで」

「はじめまして、悠の友達の井上です。悠がいつもお世話になってます」


 悪びれもせず、すずはゆったりとした空気を纏って挨拶をする。


「友達ねぇ…そんな距離感でいるものかしら」


 眉をぴくりと動かした広澄さんは、すずと私の関係を疑っているようだった。


「あぁ、これはすずが離れないだけで、本当になんにもないんですよ…あはは」


 そういって引き剥がそうとしても、すずは一向に離れる気はないらしい。それに空気が読めないすずは思ったことをそのまま口に出していた。


「あの、お姉さん…広澄さん、でしたっけ…すごくお綺麗ですね」


 何を言ってんだ、すず。本心で褒めているんだろうけど、今言うセリフじゃない。


「あら、そう?でも、そういうあなたもとても美人さんね」


 広澄さんの目に怒りの色が宿っている。待たせてしまったこと、そんなに怒らせてしまったのか。


「なんか、もろ悠のタイプって感じだね?」

「っげほ、げほっ」


 突然私に話を振ってきた。私のタイプというか…皆こんな綺麗な人好きでしょ…


「すみません、すずが変なこと言って。…人もいることですし、すぐに部屋に戻りましょう。ごめんすず、また今度な」


 いますぐこの場から逃げたかった。今度はガッと引き剥がすと、渋々離れてくれた。


「ふふっ、付き合ってくれてありがとね、悠。ごめんなさい、悠を引き止めてしまったみたいで」


 軽い会釈をしてから、すずは女湯に消えていった。


 口をひんまがらせている可愛い広澄さんの腕をとって、私は彼女と共に急いで部屋に戻る。



 部屋に戻ってくると、今の状況にハッと目が覚めて広澄さんを掴んでいた手を離す。


「ごめんなさい、広澄さん…」


 待たせてしまったこと、すずの件のことも含めて頭を下げた。


 広澄さんは何も言わない。せっかく二人で温泉旅行に来たのに、私のせいで台無しになってしまった。本当に申し訳ない。


 顔をゆっくりとあげると、広澄さんは私に背を向けていた。顔が見えない。何を考えているのだろう。


「広澄さん」


 名前を呼んでも振り向いてくれない。


「ひろすみ、さん…」


 やっぱり返事はない。

 どうしたらいいんだろうと考えあぐねていると、広澄さんが口を開いた。


「はやく、入ってきなさい。温泉に」


 私のほうを見ずに言った。私は今、広澄さんから離れたくないと思ってしまった。


「そばにいたら、だめですか?」


 そんな私の言葉にボソッと呟かれる。


「…なにそれ」


 私の知る広澄さんじゃなかった。なんだか余裕が無さそうに見える。初めての雰囲気に動揺が隠せない。


「いや、その…一人にさせたくないというか、自分勝手ですけど…夜に入りに行こうかな、なんて…」


 そう言うと、広澄さんはふぅ…とため息をついて、冷蔵庫のドアを開けた。サービスとして入ってあったらしいビールをプシュッとあけて、そのまま勢いよく飲んでいく。


「ぷはぁっ、」


 あまりにも豪快な姿に驚く。ふぅ、とひとつまた溜息をついて、広澄さんは私の方を見た。怒っているような、でも少し色っぽい目をしていた。


「せっかく温泉に来たのだから、入ってきなさい。私はここでお酒を飲んで待っているから」


 そういって微笑む。顔に浮かぶ怒りの色はほとんど無くなっていた。私はその言葉に甘えて、温泉に行くことにする。


「急いで入ってきます」

「ゆっくりしていいのよ」


 そう言って、ビールをあおっている。


「広澄さん、そんな勢いで飲んだら酔っちゃいますよ」


 意外にも広澄さんはお酒に強いのかもしれない。空にした缶ビールをカランッと机に置いて、また冷蔵庫に手を伸ばしている。


「また飲むんですか」


 このままではべろんべろんになってしまいそうな気がして、彼女を止めようとする。しかし、彼女は私に大人っぽい目で訴えかけてきた。


「酔っちゃだめなの?」


 酔ってはいけないことなんてないけれど…

 心配なのだ。


「悠ちゃんが早く出てきてくれたら、酔わずに済むわ」


 そう言ってまたプシュッと缶ビールを開けた。私が帰ってくるまでお酒を飲むのをやめる気はないらしい。


「分かりました、すぐに戻ります。絶対にそのまま部屋の外に出ないで下さいね」

「ええ、待ってるわ」

「絶対に部屋の外に出ないで下さいよ」


 念押ししておく。


「分かったから、早く行ってきなさい」


 酔っ払った広澄さんを他の誰にも見せたくはない。彼女が酔うなんてそんな確証もないけれど、ほんの少しでも可能性があるのなら、その道を断っておくべきだと思った。


 私は広澄さんを酔わせないためにも、ダッシュで温泉に向かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る