第23話

 土曜日、私はショッピングモールに来ていた。近くでは有名らしい。あまり外に出なかったから、知らなかった。


「ああいう店、はる好きそうだよな」


 そう話すのは涼平だ。

 昨日の夜、電話がかかってきて、様子が変だと気づいた彼は、私を気分転換に連れ出してくれたのだ。


「そう?あんまり好きじゃないよ」

「えぇ…難しいな」


 本当はかなり好みだった。本当によく私のことを知っていると思う。けれど、意地っ張りの私はぶっきらぼうにあしらってしまった。それでも涼平は気にしていない様子だ。申し訳ないと思いつつも、そんなのんきな性格に甘えてしまうのだ。


 涼平には今恋人がいるらしい。二歳年上でイケメンだとついさっきにこやかに話してきた。それならいっそう私なんかに構っている場合じゃないだろうに。


「じゃあ、あっちか?」


 テンションが低い私を盛り上げようと、一生懸命になって話しかけてくれる。ありがたいようで、少しだけ面倒だ。


「おい、また余計なこと考えてるだろ」

「なにが」

「顔が暗いんだよ。せっかく遊びに来てんだからもっと楽しめって」


 涼平はどうしてこんな私を気にかけてくれるんだろう。面倒臭い女友達をよく連れ出そうと思うよな、なんて失礼なことを考える。まあ、そこが涼平の良いところなんだと思う。


「楽しんでるよ」

「その顔で言われても説得力ない」

「うるさいなあ。わざわざ休日を返上してまで私に構わなくていいのに」

「大切な友達が落ち込んでんのに、無視できるわけないだろ」

「それにしても頻繁に電話かけすぎでしょ。彼女じゃあるまいし」

「は、感謝しろよ」

「してますしてます。でも私より彼氏のこともっと大事にしなよ」

「彼氏もはるも大事なの」

「なにそれ、私の事好きじゃん」

「好きだよ、悪いかよ」


 あまりにも空気みたいに軽く言うから、驚きもしなかった。それに、涼平が私に気がないことなんてとっくに分かっていることだ。コイツは友達に対する情が熱いタイプなのだ。このせいで、元彼と別れたと聞いている。仕方ないようでもあり、その癖を少し直せばいいとも思う。


「今の彼氏とも仲良くしなね」

「心配されなくともしてるわ」

「私のせいで別れるとかやめてね」

「そんなことあるわけないだろ」

「ありそうだから言ってんの」


 ぽんぽん会話が進むから、周りの店に目もくれず会話を楽しみながらただ散歩をしているだけみたいになっている。いや、まず買い物をしたくてこんなところに来ているわけじゃないけれど。


「あ、」

「ん?なんか良さげなのあったか?」


 視線の先には、ふさふさの毛で覆われているクマのキーホルダーがある。以前、広澄さんがそういうのが好きなんだと言っていたのを思い出した。しかし、会社につけていくのは恥ずかしいから、それは出来ないらしい。広澄さんのキャラにも合っているし、特に恥ずかしいことでもないような気がすることは、本人に言わなかった。


と、ここまで思いを馳せてから気付く。どこまで行っても彼女は私の中から消えないのだ。


「このクマがいいのか?」


 私の視線の先を追って、涼平が尋ねてきた。これいいね、なんて言ってしまえば、買ってしまいそうな勢いに思える。


「どう思う?これ」

「ん、かわいいんじゃね。はるは好きそうじゃないけど」


 よく分かってらっしゃる。


「そうだね、好みじゃない」

「じゃあなんで見てんの」

「あのさ」

「ん?」

「好きかもしれないんだよね」

「なにが」

「いや…」

「このクマ?」


 涼平は何も考えずに言葉を生み出しているんだと思う。そんなお気楽な性格が今は少しだけにくい。


「…前に話した上司のことだよ」


 ぽつりと零したその言葉はしっかり涼平の耳に届いただろう。だから彼は黙っているんだと思う。


 数秒後、涼平は口を開いて言う。


「そっか」


 それだけだった。

 彼なりに自分のなかで必死に消化しようとして出てきた言葉がそれなんだろう。今までの私の葛藤と苦労を知っているからこそ、下手なことは言えない。それがひしひしと伝わってきた。


「それ、いつ気付いたの」


 平らなトーンでそう尋ねてきた。


「昨日」


 私も、晩御飯の内容をサラッと答えるかのような軽い返事をした。


「…だからそんな調子なわけだ」


 私の答えで全てを察したかのような頷きである。


「前はわりと反対してたけどさ、結局は悠のしたいようにすればいいと思うんだ」


 いつも私のことを想っていてくれる。それがしっかりと読み取れる台詞だった。


「…とはいったものの、悩んでるからそうなってる訳だもんな」


 ガシガシと頭を掻いている。何も答えていないけれど、涼平は私のことを分かりきったような口調で言う。


 私は昨日の夜、帰ってから一人悶々と考えていた。思い返せば思い返すほど、昨日の私は醜かったと、冷静な私が叱りつける。あんな風になってしまったのは、彼女が絡んでいたからだと思うしかない。そして、どうして彼女が絡むと変わってしまうのか、その答えはもう既に分かっていたことだった。私は怖いからと臆病になり、その二文字から逃げて避けて見ないふりをし続けていた。


 そして昨日、私はそれを受け入れた。

 広澄さんのことが〝好き〟なんだと、ついに認めたのだ。認めるしか無かったと言ってもいいと思う。気になる存在であったはずの彼女は、いつの間にか私の中で大きくなっていた。


 彼女は気軽に私の頬に触れる。彼女にとって、それに深い意味は無い。だけど、された私はその行為がたまらなく嬉しい。心が跳ねる。脈が踊る。触れられたところが熱くなるのだ。

 こんな気持ちになるのは、きっと広澄さんだからなんだと思う。彼女のそばにいると、もっと彼女の中に入っていきたくなってしまう。本当に不思議な人だ。強いようで儚い。仕事をなんなくこなすけれど、その裏には相当な努力があって。たまには息を抜いて欲しいと想う。そして、ずっと笑っていて欲しいとも願う。その横には、あわよくば私がいて…


 なんてことを考えると、想いが溢れて止まらない。

 彼女の笑った顔も、真剣な表情も、彼女に関する出来事が頭の中をぐるぐる巡っては、ぐるぐる頭の中を掻き乱して消えていく。そしてまた別の彼女の顔が現れては、消える。その繰り返し。


 部下のままで良いと思ったはずなのに。

 こんな感情を抱いてしまっては、部下という肩書きのままで満足なんて出来るわけない。



 そうしてようやく私の心が落ち着いた頃、涼平と歩き出したそのタイミングで、私は見てはいけないものを見た。


 どうして今なんだろう。

 どうしてこの瞬間に、私に見せるの?

 間が悪いという一言では済まされない。済ましてはいけないと思う。


 目の前で微笑む彼女。仕事の時に見せる顔ではなく、柔らかな表情を浮かべている彼女。真剣な横顔ではなく、優しさが滲ませる横顔の彼女。


 その彼女の前には知らない男がいる。知らない男と楽しそうに話している彼女が目に映る。もはや彼女しか目に映らない。


 土曜日に予定があると言っていたのは、このことだったのか。この人と出かけるから、私とは出かけられなかったのか。


 私の頭の中は、こんなにも貴方で埋め尽くされているのに。

 彼女は私の知らない人と笑っている。


 これがどれだけ残酷なことか。あわよくば私の隣で、と願ったその望みは叶わない。あわよくば、ってなんだ。そんなみえみえな邪な心を神様が許すわけないよな。


 突然立ち止まった私の様子に気づいた涼平は、彼女を見て低い声を放った。


「まさか、とは思うんだけど…あれが例の上司?」


声が出なかった。答えたくても、何も口から出なかった。

 涼平は私の動揺している姿を見て理解したのだろう。


「あんなやつ、やっぱやめとけよ」


 怒ったような声で続ける。


「またはるが幸せになれないなんて俺は嫌だ」


 幸せになれない、なんて決めつけて言うとは失礼甚だしい。


 …だけど、私もそう思う。

 彼女を好きになっても私はきっと幸せになれない。


「帰ろっか」


 絞り出した私の声に、涼平は泣きそうな顔をした。私よりも先に泣くと、私が泣けなくなるじゃんか。


 ぐっと泣きそうになるのを堪えてから、私は彼女に背を向けた。


 月曜日、私はどんな顔をして彼女に会えば良いんだろう。彼女の顔を見れなくなってばかりだ。彼女の表情を窺ってばかりだ。


 ようやく気づいたこの〝好き〟に、蓋をしなければならないなんて、神様は無情だ。

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