自由闊達な白瀬さん
第19話
薄暗い夜の道を街灯がほのかに照らしている。住宅街の真ん中を貫くこの道は、栄えている駅前より一人で歩くには頼りない。しかし、今は隣に白瀬さんがいる。
白瀬さんの家から帰るとき、危ないからと彼女がわざわざついてきてくれた。申し訳ないからと強く断ったのに、それを押し切って彼女は今隣にいる。
「土曜日なのにこんな時間までありがとうございました」
そういう白瀬さんは、私のほうを見ずに下を向き歩いている。
「カレーをご馳走になってしまったのは私よ。こちらこそありがとう」
彼女の方を見てそう伝えると、ふいに目が合った。彼女は少しだけ困ったような顔をして、すぐに目線は交わらなくなる。
「またいつでも食べに来てください」
ぼそぼそと小さい声で呟いた。
照れているのだろうか。そういう姿を見て、なんだか可愛いと思ってしまう。
少しの間静かに歩いていると、白瀬さんは口を開いた。
「土曜日に夜遅くまで出歩いて怒りません?」
質問の意味が少し分からなかった。
「だれが怒るの?」
そう尋ねると、言いにくそうにしている。目で優しく促すと、ぽつりと答える。
「彼氏さんとか」
思いがけない回答に、思わずくすっと笑いが漏れる。
「なんで笑ってるんですか」
そんな私に少しむすっとしているけれど、きっと勇気を出して聞いてくれたのだろう。まだ彼女に言っていなかったんだと思い出した。
「そんな話、そういえばして無かったわね」
「さっき聞こうか迷ったんですけど、聞けなくて…」
さっきというのは、恐らく電話がかかってきた時のことだろう。彼女のスマホ画面に写し出された知らない男の名前。あの時、彼女は私のことを聞きたかったのか、と合点がいく。
「彼氏なんていないわよ」
そう答えると、少し嬉しそうな顔をしてくれるのか、なんて期待したけれど、彼女の顔はまだ晴れない。その理由は次に放たれた言葉で理解した。
「じゃあ、婚約者はいますか?」
彼氏の先をいくのかと内心驚く。
「いるわけないでしょう」
落ち着いた口調で話すけれど、それに反して白瀬さんの言葉からは僅かな焦りを感じる。
「じゃあ、彼女さんはいます?」
どれだけ私のことを疑っているのだろう。
「いないわよ」
次にまた何かを言われそうだと思ったから、私から先に終止符を打つ。
「そういう人は誰もいないわ」
マシンガンのように撃たれた質問はここで途絶えると思いきや、遠慮がちに聞いてきた。
「本当ですか?」
「どうして嘘をつくの。本当にいないわよ」
私の答えにあまり納得していないみたいだった。
「なぜそんなに不安そうにきくの?」
そう尋ねると、ぎょっと少しだけ身体を仰け反らせた。
「いや、…広澄さんがいないわけないですもん」
「じゃあ聞くけど、悠ちゃんは付き合ってる人いる?」
彼女のことだからもしかしたら、答えてくれないかもしれない。そう思ったけれど、その答えはしっかりと返ってきた。
「…いませんよ」
いないんだ、と分かってはいたようなものだけれど、再確認が出来て少し安心する。どうして部下に恋人がいなくて安心しているのかについては今は考えない。
「ほんとに?」
私が再度きいてみると、え?という顔で見られる。
「いませんって」
「私からすれば、悠ちゃんもすごくいそうに見えるわ」
「いや、そんなことは…」
「あるのよ。だから私と同じじゃないかしら?」
彼女は口を噤んだ。
「それとも、私に彼氏がいて欲しかった?」
その質問には、ブンブンと頭を左右に振っている。そんな反応されたら、まるで私に気がある人みたいよ、なんて思ったことは黙っておく。きっとそんなことを言えば、恥ずかしがって何も話してくれなくなってしまいそう。
「いなくて良かったです。あ、いや、いなくて良かったって失礼ですよね…すみません」
自分の言葉で慌てふためく様子がなんだか可笑しい。やっぱり私のことを好きみたいな反応だと、思った時には理性で止めるより先に口から出ていた。
「いなくて嬉しそうにしているなんて、私のこと好きって言っているように聞こえるわ」
冗談っぽくさらっと言うと、彼女はバッと勢いよくこちらを向いた。
「えっ!…いや……そんなつもりは…」
空気が抜けたように最後の方はしぼんでいった。彼女の顔色はあまり分からない。夜道で暗いからよく見えないのだ。昼間だったら、真っ赤にした姿を見れていたのかと想像すると、暗い夜を恨めしく思う。
「冗談よ」
そう言うと、パシンと軽く腕を叩かれた。
「もう、やめてください。心臓が止まるかと思いました」
そう言われるけれど、やめて欲しいのはこちらだと反論したい。
私のことが好きだという態度が垣間見えるのに、今みたいに反応するから、本当はどちらなのか分からない。図星だから焦っているのか、それとも的外れのことを揶揄われて焦っているのか。
って、私は何を期待しているのだろう。
私は、彼女が私を好きでいて欲しいと思っているんだろうか。彼女が私のことを好きだと嬉しいだなんて、私の方こそ白瀬さんが気になっているみたいに思えてきた。
「広澄さんは、どんな人がタイプなんですか?」
急に投げかけられて、我に返った。この夜道はピンク色の話に花を咲かせるのが得意なのかもしれない。
「タイプ、ね。考えたこと無かったわ」
「え?そんなことあります?定番の話じゃないですか」
びっくりされたけど、実際に考えたことが無いのだから仕方ない。考えたことがないというより、考えたくなかったという方が正しいのかもしれない。
「じゃあ、今考えてください」
そんな私を逃すまいと後ろから掴まれる感覚がする。
「その前に悠ちゃんのタイプを教えてよ」
「私ですか?」
すると、少しだけ考えてから、暗い夜の中でもパッと輝いて見えるほどの笑顔でこう言った。
「かっこいい人が好きです」
思ったよりも抽象的だった。
「そんなのでいいの?」
「そんなのってなんですか。かっこいいって素敵じゃないですか」
「随分とざっくりしているのね。かっこいいって顔が?」
「いえ、顔じゃなくて、中身です」
「性格がってこと?」
「んー、振舞いとか、考え方ですかね」
予想よりもしっかりとした答えだった。
「私には無いような芯がしっかりしてる部分があるといいなって思いますね」
「悠ちゃんもしっかりしていると思うけどね」
「そうですかね。…はい、じゃあ次は広澄さんの番です」
「タイプ、ねぇ」
白瀬さんは理想の相手像が鮮明に見えているようだった。それが、とても羨ましい。だって私にはそんなものは無いから。
自分の意思で、将来の相手を決めることが出来たらどれだけ世界が輝いて見えるだろう。
「誰でもいいんですか?」
答えに渋っている私に彼女はそんな失礼なことを言う。
「そんなことないわよ」
「じゃあ、やっぱりあるじゃないですか」
タイプという名称をつけて、理想の人を探したところで、それ通りには上手くいかないのに。
それなら、はじめから理想の人はこういう人だ、なんていう妄想をやめたらいいんだ。
私の葛藤を知らないで、自由に理想の未来を思い描く彼女を羨ましく思う。だけど、同じ境遇にいない彼女を責めるなんて、そんな間違ったことはできない。
私は心の奥底に沈めていたかけらを一つだけすくい上げる。そして、久しぶりに言葉というカタチにする。
「一緒にいて、心があたたかくなる人は好きよ」
これは私の望みの全てではないけれど、最低限の私の希望である。そんな私の思いに彼女は包み込むように賛同する。
「大事ですよね、それ」
心に染み入るような優しい笑顔を向けられた。
白瀬さんは深い愛情を持って育てられたんだとつくづく思う。そうじゃなければ、こんな大人には成長しない。純粋無垢な心は、見ている私の心にもひたひたと染み込んでくる。
めいいっぱい翼を広げて、自由に飛び回ることの出来る彼女が心底羨ましい。
一方の私は、既に行き先が決まっている汽車に似ている。どれだけ抗っても、どれだけ闘っても、私のレールは既に敷かれているのだ。ブレーキかアクセルかの二択の選択肢しか選ぶことが出来ない私とは、到底生き方が違うんだ、と腹を括る。
もし生まれ変われるのなら、私はもっと寛大な両親のもとでのびのびと暮らせることだけを願うだろう。
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