第20話

 日曜日、私は実家に来ていた。

 昨日の夜、家に着いた後すぐに母から電話がかかってきたのだ。最近顔を全く出さないんだから、少しくらい顔を見せなさいと。

 どうせ会いに行ったところで言われる小言などたかが知れている。


「葵、そろそろ良い人見つけた?」


 ほら、やっぱりその話題だと思った。


「ねえ、まだ言ってるの?」

「心配なのよ、いつになっても紹介して来ないじゃない」

「うるさいなぁ」

「そろそろしっかり考えても良い頃だと思うのよ。だって、知り合いの愛ちゃんだって、もう子供が産まれそうなんだって」


 昔からいつもそう。

 母は周りの目を気にして、私を同じ枠にはめようとする。


「まだ時間があるなんて思っていたら、あっという間に三十代よ」

「…分かってるよ」


 その話は耳にタコができるくらい聞かされてきた。今更同じことを繰り返されても、私にはもう刺さらないことをわかって欲しい。


 私が機嫌を損ねて黙っていると、母はテレビの中の男の人を見ては私に照らしてくる。


「この男の子、かわいいわね。でも、葵にはもう少し頼り甲斐がある人がいいわよね」


 ひとりで勝手に言ってくれ、と母を睨む。


「この人はどう?かっこいいわね」

「何言ってるの。テレビの中の話でしょう」

「じゃあ周りで良い人はいないの?」

「いないわよ」

「そんなはずないわ」


 ピシャリと断言される。

 母に何がわかるって言うんだ。


「レベルの高い会社のはずよ。ちゃんと探してるの?」

「恋愛をしに会社に行ってるわけじゃないから」


 素っ気なく返事をすると、真顔になって母が言う。


「ねえ、葵。あれから、変なことはしていないでしょうね?」


 低いトーンで確かめるように言われる。ひと言でも母の好まない発言をしようものなら、とってかかりそうな気配がした。


「…するわけないでしょ。もう大人なんだから」


 自然に言えただろうか。

 多分自然だったんだと思う。私の返答に満足したのか、鋭い眼光は消え去り、いつもの母に戻っていた。


「そう、それならいいんだけど」



 私は高校生の頃、女の子と付き合っていた。ちゃんと彼女のことは好きだったと思う。気の迷いとか思春期の遊びとかそういうものではない。純粋にその女の子の性格や外見、考え方、全てに惚れていたと自信を持って言える。本当に大好きだったのだ。


 けれど、そんな交際を母が認めるわけがなかった。


 ある日、私は彼女を家に連れてきていた。もちろん母には友達という肩書きで紹介した。そして、私の部屋で遊んでいる時、目撃されてしまったのだ。彼女とキスをしている所を。


 母は怒髪天を衝く勢いだった。まさか私が女の子と付き合っているだなんて、想像が出来なかったんだろう。

 ズカズカと私たちの間に割り込み、彼女の頬を思いっきり引っぱたいたのだ。私の大事な娘をたぶらかさないでくれ、と。

 私は言葉が出なかった。なぜ、私ではなく彼女を叩いたのか。怒りをあらわにしている母にそんなことを聞けるわけもなく、ただ怯えた。高校生という未熟な身分の私には、どうすることも出来なかった。


 その後、彼女とは別れた。それにとどまらず、私は転校を余儀なくされた。


 それからだ。母が変わってしまったのは。

 何がいけなかったのだろう。私は何も悪いことをしていないのに。性別を越えて人を愛することに何の罪があるのだろうか。


 私は何度も泣いた。彼女を想って泣いた。

 何度も何度も母を責めた。


 それでも何も変わらなかった。変わったのは母の性格と私を見る目だけだ。


 母は大学に入っても、必ず私の交際相手に口を出した。もちろん相手は男性だ。それなのに、母は昔の苦い記憶を引きずっては私にぶつけた。


 今の人は礼儀がなっていないだとか、今度は顔がイマイチだとか、しまいには関係ない所まで勝手に推測して悪口を言った。私が好きになった人には皆そう。本当に最低な母親だと思う。結局、母が気に入った人しか、母は認めるつもりなんてないんだと、ハタチの時に悟った。


 しかし、母を変えたのは私だ。

 全部私が悪いのだ。


 この状況を誰かにぶつけることも出来ない。誰かに助けを求めることも出来ない。

 それがただただ苦しかった。辛かった。


 父は母の様子が変わってしまって、何も言わなくなった。ただ、私を見る目が冷ややかになっていったのを、一生忘れない。

 唯一仲が良かった姉も、私の味方にはならなかった。いつも中立の立場だったのだ。あの時くらい、私の気持ちを理解する姿勢を見せてさえくれていれば、こんなに拗れずに済んだだろうに。


 そして今、あれから十一年の時が過ぎた。母はかなり落ち着いてきたように思う。父との関係も良好だし、姉とも仲が良い。ただ、その輪の中に私は上手く溶け込めていない。心の中で真っ黒な罪悪感が浮かんでは沈み、現れては消える。ずっと染み付いて取れない墨汁のようだ。ようやく戻りつつある日常を、私はもう壊せない。たとえ私が幸せを掴めなかったとしても、家族には同じ思いをさせられないのだ。


 だから、同じことは繰り返さない。繰り返せない。



「前に言ってたお見合いの話、覚えてる?」

「…え?」

「葵ったら、なかなか良い人を捕まえてこないでしょう。だから、私が良い人を探してきたのよ。今度の土曜日、約束を取り付けたから、行きなさい」

「ちょっと待って、急すぎるよ」

「どうせ休みでしょ」


 確かにちらっとお見合いの話が出ていたけれど、本当にセッティングするとは思っていなかった。


「お母さん、まだ二十六よ?そんなに焦らなくても」

「もう二十六よ。孫の顔も見たいんだから」

「孫なんて、お姉ちゃんが見せてくれるでしょう」

「何言ってるの、葵の子供も見たいわよ」


 母は子供を授かることが人生の全てだと思っている。そしてそれを私たちにも押し付けてくるのだ。本当に勘弁して欲しい。


「とにかく、絶対に行きなさい。行かなかったら承知しないから」


 一瞬の殺気を感じて鳥肌がたった。

 こういう時の母には逆らえないのだ。


「…分かったよ」


そう渋々受け入れると、母はニッコリと笑った。


「楽しみね」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る