第14話

 明かりがつき、視界がひらける。私のお腹を見ると、彼女の腕が巻きついているのが見えた。


「停電、直りましたね」


 あくまでも冷静に話す。

 その言葉で彼女は抱きつく力をゆるめた。


「ええ、そうね。…ありがとう、助かったわ」


 お腹の温もりが消えた。それを感じ取った私はそっと立ち上がる。


「いえ、とんでもないです。なにはともあれ、明かりがついて良かったですね」

「そうね」


 そう言う彼女の顔は浮かないままだった。

 まだ少し怖いのだろうか。


「停電による影響がないか、確認してくるわね」


 広澄さんは他に何も言わなかった。そして、そそくさと部屋を出ていってしまう。まるで私と同じ空間にいることが耐えられないとでもいうかのように。


 嫌われるようなことをしてしまったのだろうか。いや、でも…ありがとうと彼女は伝えてくれた。それなら、問題はないはず。気恥ずかしくなってしまったんだろうか。そうであって欲しい。私はひとつため息を漏らした。


 やっぱり彼女の考えることは分からない。


 もし、あそこにいるのが私以外の人だったとしても、彼女はあんな風に甘えるのだろうか。頼るのだろうか。


 ああ、だめだ。容易に想像出来てしまう。私以外の人にもしている光景が頭に浮かぶ。浮かんでしまうのだ。


 彼女は私じゃなくてもいいんだろう。今回はただ特別に私がそばに居ただけだ。期待なんてしない方がいいんだから、と私に言い聞かせる。



 私は広澄さんが帰ってくるまで待った。パソコンで仕事をしてみたり、スマホで大して面白くもないゲームをして待った。しかし、彼女は一向に帰ってこない。夕方が近づいても、夕食の時間になっても、彼女は戻らなかった。その事実が私の心に錘をのせる。


 私は仕方なくお腹も空いたので席を立つ。先程の売店に向かった。


「あら、まだいたの?」

「はい、今日は会社に泊まろうかと」

「そういえば少し前に広澄さんがきたわよ」

「え、そうなんですか」

「夜ご飯を二人分」

「ふたり、ぶん?」

「ええ、そうよ」


 そのもう一人とは、誰のことなんだろう。

私のことだったりするのかな、そうだったら嬉しい。だけどそんなこと有り得るのかと疑問に思う。私は期待は捨て去り、近くにあったおにぎりを手に持ち、レジに出した。


「買ってくの?」

「え?はい」

「そのふたりぶんって、多分あなたのことなんだと思うけど」

「でも、ずっと会ってませんし、なにも言われてないんですよ」

「そう…おかしいわね」


 財布を取り出したところで、ちょうどその時、タイミング良く電話がなった。スマホを取り出すと、そこには広澄さんの文字があった。レジの人に会釈をして電話に出る。


「もしもし」

「あ、白瀬さん?今どこにいるの?」

「今ですか?売店ですけど…」

「え、もしかして夜ご飯買っちゃった?」

「あぁ、いえ、今から買おうとしていたところです」

「そう、良かったわ。あなたの分も買ってしまったから、一緒に食べない?」


 まさかまさかだった。


「え、私でいいんですか?」

「何を言ってるの。私は白瀬さんと食べようと思っていたのだけど」


 そのふたりぶんは、私のことだったみたい。


「ぜひ!食べたいです!」


 つい嬉しくて声をはりあげてしまった。


「ふふっ、それなら良かった。いつもの応接室で待ってるわね」


 電話を切ると、私はレジの人に断りを入れた。


「すみません…やっぱり広澄さんと一緒に食べることにしました」

「そう、それは良かったわね」


 優しく見送ってくれたおばさんを背にすぐに戻る。



「広澄さん」

「あ、きたきた」


 私の姿を見て彼女は嬉しそうに笑った。


「さっきまでごめんなさい。色々とバタバタしてしまって、ずっと戻れなかったの。何も言わなかったから心配させてしまったわよね」


 その言葉で心に置かれた錘がすっとどこかへ消えていった。テーブルの上には、既に温められたスープとサラダが置かれている。


「少しだけ心配しました。けど、大丈夫ですよ。それにしても、すごくヘルシーですね」

「ええ、夜は食べすぎない方がいいかと思って」


 こういうことに気を遣うからこそ、彼女は美しさを保てているんだと思う。


「これ、広澄さんチョイスですか?」

「そうよ、すごく美味しいの」


 ふわっと笑顔を滲ませるから、ドキッとしてしまった。


「さて、食べましょうか」


 そんな私に気付かずに彼女はご飯に視線を落とす。停電の時とは違って元気に見えた。その姿に嬉しくなって、少しだけ声が高くなる。


「いただきますっ」




 ご飯を美味しく食べ終わり、少しまったりしているところに彼女は口を開いた。


「そろそろ、私のこと広澄さんって呼ぶのやめない?」


 瞳がきゅるんと光っている。


「突然ですね」

「そうかしら?出会った頃も話した気がするけど」


 たしかに、歓迎会の時に言われたことを思い出す。それと同時に意外と覚えていたんだと驚く。もう忘れてしまったかと思っていた。


「いつになったら呼んでくれるの?」


 追い打ちをかけるようにして言われた。


「広澄さん」

「葵よ」

「広澄さん、」

「だから葵よ」


 断固として呼ばせる気らしい。でも私は呼ぶ気なんてない。呼んでしまったらもう終わりな気がしていた。何が終わるのか分からないけれど。


「係長、どうしてそんなに呼ばせたがるんですか」

「あー、こういう時にそれはずるいよ」

「ここは会社ですから」

「もう、頑固だなぁ」


 そう拗ねていたけれど、私からしたら広澄さんも頑固だと思う。


 そんなことを思っていると、今度は逆の発想からかこんなことを言われた。


「じゃあ、私は悠ちゃんって呼んでもいい?」


 どうしてそんなに距離を詰めたがるんだろう。


 一般的な上司と部下の間柄でこんなふうに名前を呼び合う仲の良い人たちも世の中にはいるんだろう。だけど、それは私たちに適応しない気がしていた。


 だって、私は今よりも少し、先の関係を望んでしまっているから。あわよくば、彼女と何かあって欲しいと思う自分がいる。


 だから、私が気を許してしまえば、一気にこの感情は爆発してしまいそう。まだ理性が勝っている。まだ冷静に彼女と話が出来る。


 きっとこのままがいいんだ。


 でも、目の前の広澄さんは目を輝かせている。私の気持ちなんて汲み取ってくれない。これは期待している瞳である。そんな彼女に私が応えないはずがない。


「…どちらでもいいですよ」


 結局、私は彼女に甘いのだ。


「えっいいの?嬉しい」

「でも、みんなの前ではやめてくださいよ」

「それ…なんだかちょっとえろいわね」

「……」

「なんだかちょっと、えろいわよね」

「二回も言わずとも聞こえてますよ」

「だって返事がないんだもの」

「ちょっと何言ってるんだろうと思ってしまって」

「失礼ね」

「急に変なことを言うのやめてください」

「変なこと、っていっても…つまりはふたりの秘密ってことでしょう?」


 目の前の広澄さんは、にやりと口角を少し上げている。


 女の子は秘密が大好きだ。

 もちろん、私も広澄さんとの秘密だなんて大歓迎である。


 彼女の表情にどきまぎしたけれど、できるだけ落ち着いた雰囲気で言葉を返すように努める。


「すぐそうやって言いますよね」


 でも、彼女はそんな私を見透かしたように微笑む。


「ふふっ、美波ちゃんの気持ちがよく分かるわ」

「なんでいま美波さんが出るんですか」

「いつも美波ちゃんから話を聞くのよ」

「え?」

「今日の白瀬ちゃんの可愛かったこととか、ね」

「え、と…冗談ですよね?」

「私は至って真面目よ」


 そういう彼女の顔は本気だった。いつものノリで冗談かと思ったのに。

 普段から美波さんと広澄さんが私の話をしているってこと?そんなことが有り得るのか?


 そんな私のことを察してか、彼女はホントよ?と付け足した。


「美波さんと仲良いんですね」

「ええ、まあ。それなりに」


 当たり前よ、と言わんばかりの即答ぶりだ。少し悔しい。私の話をしてくださるのはよく分かった。だけど、私より美波さんと仲が良い現状がやっぱり悔しかった。


「へえ…そうなんですね」


 そんな思いは悟られないようにしたはずなのに、声に滲み出ていたみたい。


「ちょっと妬いてるの?」


 広澄さんは結んだままの唇にかすかな微笑みを浮かべている。


 彼女は私の考えを見透かしている。完全に。


 何も言えずにいると、彼女は言った。


「かわいい」


 その一言でボンッと顔が熱を帯びる。

 彼女は恥ずかしげもなくそういうことを言う。いつも振り回されるのは私だ。


 広澄さんのことを見れなくて、私はやり場のない視線を空に泳がせる。


「…からかわないでください」


 思ったよりも声が小さかった。こんなの、動揺しているのがバレバレだ。また揶揄われてしまう、そう思ったけれど、想像と違ったセリフが飛んでくる。


「からかってないわ。いつも思ってたの。悠ちゃんってすごくかわいいわよ」


 “かわいい”

 そんな言葉は言われ慣れなくて戸惑う。

 単に嬉しいと喜ぶ私もいれば、彼女のことだからきっと反応を楽しんでいるだけだと疑う私もいる。


 彼女は私のことを本当はどう思っているんだろう。可愛いだけの存在なのか、それとも、可愛いの先にも何か感情を含んでいるのか。


 知りたい。彼女の心の内を知りたい。

 そんな気持ちがぶくぶくと膨れ上がる。


 聞くのは今しかない。そんな気がした。

 だから、私は勇気を出して彼女に問う。


「あの…広澄さんって、」

「ん?」

「わ、私のこと…」


 プルルルルッ…プルルルルッ

 しかしその続きはタイミングが悪いことに、電話の着信音で遮られてしまった。


「あ、ごめんなさい。少し失礼するわね」


 そう一言述べてから、席を立ち、彼女は電話に出た。


「もしもし。…えぇ、何かあった?」


 会話をしながら彼女は応接室を出ていく。扉が閉まる前、会話の内容がまだ少し聞こえた。


「今会社よ、だから大丈夫…」


 扉が閉まった。

 相手は誰だろう。きっとあの話しぶりは会社の方ではない。プライベートの広澄さんだった。


 彼女に私的に電話をしてくる人がいる。一体誰だ。そんな相手がいること自体が私にとっては好ましくない。だって、その人は私の知らない広澄さんを知っているということになる。心の中の黒い渦が大きくなった。


 …というか、こんなことを考えている時点で、かなり重症じゃないだろうか。普通はこんなこと考えたりしないだろう。


 ここ数日の間で、私は彼女のことを沢山知った。仕事に対する姿勢も、過去の失敗も。そして、実は暗闇が苦手で、内心怖くて弱いのにすぐに強がろうとすることも。


 顔が良いだけじゃないのだ。

 彼女は人として、とても素敵な人なのだ。それも、完璧だから素敵な人という訳でもない。弱い部分もあって、強い部分もある。弱い部分には彼女なりに向き合っている。その姿勢が、とても素敵なのだ。


 彼女のことを知ってしまった今、私はそう簡単に彼女を忘れることは出来なくなってしまっていた。


 今も思わせぶりな態度をする彼女に振り回されている。彼女の本心は何も分からないままだ。そして、そのままいつも時が過ぎる。だから一生彼女の本心は分からないままだ。


 そんな状況に嫌気がさす。

 私は彼女の本心を知りたい。


 だから、彼女が帰ってきたら聞こうと思う。彼女の本心を。


 さっき、可愛いと言われた私は気が高まっていた。今なら、彼女のことをもっと知ることが出来る、と。そして、心のどこかで、彼女も実は私のことを好いているのかもしれない、だなんて自惚れていた。


 彼女の心の内なんてわかるはずもないのに。

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