第12話
広澄さんと一緒に部署内に入っていくと、慌ただしく皆さんが動いていた。これも、台風の影響なのだろうか。
「お、白瀬ちゃんおはよう」
「おはようございます」
「今日はこれを処理したら帰るから!その書類に目を通しておいて!私は隣の補佐で少し消えまーす」
バタバタと効果音がつきそうなくらいに忙しなく美波さんが去っていった。隣の庄司さんも忙しそうにパソコンと向き合っている。これは相当大変だ。私は頂いた資料をまずサッと目を通していく。分かりやすいようにまとめてあるから、きっと美波さんが準備してくれたものだろう。本当に有難い。
内容的には重い作業は無かった。おそらくバタついているのは連絡や報告の類のものだろう。
「白瀬さん、今日は皆で昼頃に帰宅するからそのつもりで」
池田さんから連絡がまわってきた。
「はい、ありがとうございます。承知しました」
昼頃に終わるとなると、これらは今のうちに済ませた方が良い。私もなるべくはやく終えられるように急いで頭をフル回転させる。
窓の外にバチバチと雨がうちつけられる音が響く。大雨の到来である。昼頃に荒れると聞いていたが、予定よりも早く大雨と強風が訪れているようだ。
「これ、総務課にまわして!」
「あっちはもう課長に頼んでます!」
「このサインを部長に貰ってきて!なるべく急ぎで」
「昨日の資料メールで送ったので確認お願いします」
大声で連絡事項が宙を飛び交う。
皆さんの本気が伝わってきて、私も頑張らねばと意気込んで取り組んでいく。
その甲斐あってか、皆さんで昼頃に仕事を終わらせることが出来た。まだ少し騒がしいけれど、朝よりかは落ち着いた印象だ。
そこで大久保課長が大きめの声で叫ぶ。
「はい、じゃあ今日のタスク終わった人はすぐ帰れ〜。電車とまるぞ〜」
「はいっ」
「お先に失礼しますー」
外を見ると、朝よりも遥かに強い風が吹き荒れていた。これこそ暴風である。夜になる前に電車が止まりそうだと、遠くで話し声が聞こえてくる。私も早く帰ろう。皆さんも続々と帰宅準備を始めている。私はその波に乗って一緒に帰る準備をする。
そういえば、行きは広澄さんと一緒に来たけど、広澄さんは帰らないのだろうか。
そう思った私は彼女の方を見る。カタカタと仕事を続ける様子が見えて、まだ帰らないぞという雰囲気を感じた。
「広澄さん、帰らないんですか?」
「少しだけ残ってるのを片付けてから帰る予定よ」
「それ、どのくらいかかるんですか?」
「それを答えたら、待っていてくれるのかしら?」
手を止めてこちらを向く。
彼女は待っていて欲しいのだろうか。
瞳を見ても分からない。表情から伺おうとするけど分からない。彼女のことは分からないことだらけだ。
だけど、私は待ちたいと思った。
「待ちますよ」
「ふふっ、悪いわ。帰りなさい」
カタカタとまた作業を再開した。その姿を見つめながら私は言う。
「そのまま広澄さん帰らなさそうですもん。ちゃんと帰るか見届けます」
「心配しないでも大丈夫よ?」
「もうすぐで電車止まりそうなんですよ、呑気に言ってられません」
「そんなに私、仕事が好きなように見えるかしら?」
「見えます」
「あら、即答なのね」
「あとどのくらいなんですか?手伝えることあったらやりますから、教えてください」
「三十分で終わらせるわ。気持ちだけ受け取っておくわね、ありがとう」
会話をしている中でも手は動いたままだ。目の前の仕事と会話を上手く並行してできるなんてさすが広澄さんである。私なら今の会話の内容がレポートに入ってしまいそうだ。
自席に座って広澄さんが終わるのを待つ。 やることもたいしてないため、仕事に向き合う広澄さんの横顔をじっと見つめていた。
本当に綺麗な顔立ちである。鼻のラインも唇の形も横から見えるバランスも、顎の形もすべて整っている。
「白瀬さん」
「っ、はい!」
「見すぎよ」
また咎められてしまった。出会った頃も確かこんなことがあった気がする。デジャブだ。
でも、広澄さんが近くにいたら、見るなという方が酷だと思う。見るに決まってる。
「パソコンを見てるのに私の視線が分かるんですね」
「もちろんよ、私は目が十個くらいついているもの」
彼女には珍しい冗談だ。
「見られるのお嫌いですか?」
「好きな人はいないと思うわ」
「…たしかに」
見ないでくれと言うから仕方なく私はスマホに視線を落として時を待つ。
「お待たせ、少しだけオーバーしちゃったわね」
あれから四十五分経過していたみたいだ。
「いえ、全然大丈夫ですよ」
「帰りましょうか」
二人でエレベーターに乗り込み、一階へと向かう。まだ電車は止まってないといいが。
ロビーに出ると、人は既にまばらだった。こういう時、会社のホワイトさが露呈すると思う。
ロビーの自動ドアが開くとともに、殴りつけるような雨が全身を襲った。しなるように木々が揺れている。
「急ぎましょう」
「そうね、これはなかなか凄いわ」
私たちは急いで駅のホームへと向かう。道中は傘の意味がないくらいに横殴りの雨が吹き付ける。傘が壊れないように、吹き飛ばされないように気をつけながら進む。
駅に着いた頃には全身がかなり濡れてしまっていた。このままだと風邪をひいてしまいそうだ。しかし、運が悪いことに駅の構内は人で溢れかえっていた。あまり人の動きが変わらないように見える。もしかして…
「ちょっと電車が動いているか確認してきます!」
私はそう一声かけて、人の群れの中に突っ込んでいった。人々が口々に話すから駅員さんの声が全然聞こえない。かき分けてかき分けて、かすかに駅員さんの声が聞こえてきたから、耳をすませる。そして、次の瞬間に内容を理解した。
「現在、運転を見合わせております」
だめだ、電車が動いていない。そうなると、タクシーしか残っていないことになる。行列をつくる前に、私たちは並ばなくては。
急いで広澄さんの元へ戻る。
「どうだった?」
「電車、運転を見合わせているそうです」
「あら…それなら帰れそうにないわね」
「タクシーで帰りましょう、急いで行ったら間に合うかもしれません」
私は広澄さんを引き連れてタクシー乗り場に直行した。
「え、これってタクシーの行列…?」
しかし、もう既に遅かった。長蛇の列を作っている乗り場は、屋根の無い外にまで続いている。さすがにこの大雨の中で待機する勇気はない。
「どうしましょうか」
「…申し訳ないわ、呼び止めてしまったから、帰れなくなってしまったわね」
彼女はこんな時に私の心配ばかりする。
「何言ってるんですか、広澄さんも帰れてませんでしたよ。これなら二人一緒で私は良かったです」
結局、このまま駅で待っていても埒が明かないからと、会社に戻ることにした。
戻る途中も大粒の雫に吹きさらされ、会社についた時にはさらに服がびっしょり濡れてしまっていた。
広澄さんの方を見ると、髪の毛に水が滴っている。なんだこの状況は。なんだかえっちだ。彼女を見て、胸がフワフワする。
ロビーに人は少ないが、その少ない人は皆、広澄さんのことを見ている気がする。
張本人である広澄さんは全く気にしていない。いつものことで慣れているのだろうか。少しくらいは気にした方がいいと思う。
「先に部署に戻っておいて、やることを終わらせてから私も行くわ」
「え、どこに行くんですか」
「ちょっとね」
そんな格好でどこに行くつもりなのか。
「どのくらいかかるんですか?」
「すぐ終わるわ。どうかした?」
「い、いえ…あの、その格好でウロウロしないほうがいいんじゃないかと…」
自分で言いながら、照れてしまって目をそらす。彼女は自分の姿を見て困った顔をする。
「そんなにだめかしら?すぐ終わるんだけれど」
本人は本当に自覚がなかったらしい。
「そういうところですよ……私もついて行きます」
「白瀬さんって面倒見いいわよね」
嬉しさを滲ませたようにして彼女は言った。
「ほら、早く行きますよ」
本当ならば、今すぐにでも上着を彼女にかけたかった。髪の毛だけじゃなくて、前から見えるブラウスも若干透けているから。
彼女自身、既にスーツの上着を着ており、それで隠れてはいるものの、こんな姿を皆の前に晒したくない。
彼女は私のなんでもないのに。
こう思ったって、どうにもならないのに。
チクッとした鋭い痛みが、私の心臓を刺す。
もっと太く長い槍が私を刺したなら、こんな曖昧な境目で宙ぶらりんにならずに済んだのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます