第7話

 トイレから戻ると、皆さんに心配された。


「大丈夫?酔いすぎてたって、葵ちゃんが言ってたから」

「主役に飲ませすぎたんだよ〜」


 既に戻っていた広澄さんの方を見る。彼女は何食わぬ顔で周りの先輩方と楽しそうに話をしている。きっと酔っ払っていたから介抱していた、とでも言ってくれたのだろう。


「…大丈夫です!ご心配をおかけしました」

「ほんとかー?」

「無理しないでいいからね」


 皆さんの優しさが、罪悪感に変わって私を襲う。


「二次会行く人〜!」

「はーい」

「俺はパスー」

「おい、なんでだよ!来いよ!」


 次の話で盛り上がっているところで、鞄を取りに席に戻る。そこでは、待ち構えていたかのように美波さんが話しかけてきた。


「葵さんとふたりで何してたの?」

「美波さんが考えてるようなことは起きてませんよ」

「えぇ…ほんとかなあ」

「逆に何かあったらどうするんですか」

「んー……それもそうね、葵さんのことだから何も無いか」


 それを聞かされて、複雑な気持ちになる。

 私から見て広澄さんは誰のものにもならない。第三者の美波さんから見ても、広澄さんは誰かのものにはならない。


 つまり、私と広澄さんがそういう関係に発展する可能性はゼロに近いということなのだ。


「あ、白瀬ちゃんはどうする?このあと、二次会に行く?私はちなみに行くよ」


 ウインクをされて誘われたけど、私はどうも行く気になれなかった。


「今回はパスします」

「えぇ〜〜なんで〜」

「明日もやる事あるので…ごめんなさい!」

「そっかそっか、じゃあ次こそは一緒に飲みに行こうね」



 居酒屋を出ると、二次会組と帰宅組に自然と分かれた。


「気をつけて帰るんだぞ〜、特に白瀬っ!」

「あ、はい!気をつけますっ!」

「じゃあなー」

「お疲れ様です」

「また月曜日なぁ〜!」


 二次会組の後ろ姿をしばし見守ってから、帰宅組は歩き出す。ん、そういえば二次会組に広澄さんいなかったな。ってことは、帰宅組…?と思って周りを見ても、彼女はいなかった。


 …あれ、広澄さんどこだ?


 ついでに時間を見ようとスマホをカバンの中から探す。まさぐってみるもスマホのようなものが手に触れない。


 あ、まさか居酒屋に忘れた?


「すみません、居酒屋にスマホ忘れたみたいなので、皆さん先に帰っていて下さい」

「大丈夫か?そのくらい待てるぞ」

「いえいえ、大丈夫ですので、皆さん帰っちゃって下さい」

「おう、それじゃあな」

「また月曜日ね」

「はい、お疲れ様です!」


 私は急いで居酒屋に戻った。


「あのっ、すみません…スマホ置き忘れてなかったですか?」

「あぁ、まだ片付けていないので見てないですね」

「あ、分かりました。ちょっと確認してきます…」


 歓迎会をしていた大部屋に入ると、そこにはまだ人が残っていた。


「なあ、お願いだよ…一回だけでもいいからさ」

「自分が何を言ってるか分かってますか?」

「分かってるって。いや、ほんと…一回だけヤらせてくれたら、それで良いからさ」

「無理です、やめてください」


 見たことがない男の人と広澄さんが揉めていた。話の内容からして、男の人が広澄さんに迫っている、といったところだろうか。広澄さんがあからさまに嫌な顔をしているのが見えて、私は口を挟む。


「…なにしてるんですか?」


 その声に男の人は肩をびくつかせて驚いた。


「な、なんだよお前。何しに来たんだよ」

「いや、ちょっと忘れ物を……」


 その言葉に顔を歪ませた。タイミング、悪かったですよね、すみません。でも、広澄さんが嫌そうにしていたら、さすがに見逃す訳にはいかないので。


「嫌がっているみたいなので、離してあげてください」

「は?」

「いやだからその手、離してください。そんなに余裕がない人は相手にしてくれませんよ」

「はぁ?」

「あ、私はスマホをちょっと取りに来ただけなので…すみません。帰りますね」


 威勢を張ったはいいものの、睨んでくるその目が怖すぎて内心ビビり散らかしていた。そそくさと帰ろうとしたけれど、今度は逆に私の手を掴まれた。


「おい、調子乗ってんなよ」


 そんな暴力的な発言と態度ってコンプライアンス的に大丈夫なんだろうか。


「え、と。警察…呼びましょうか?」

「だから調子に乗って…っ」

「ここ!!お店なので!大声出したら普通に捕まりますけど、大丈夫ですか!!?」


 いきなり大声で叫んでしまい、相手はギョッとした顔をしていた。


「あぁ、もういいよ…!うるせえな!」


 逆ギレされたけど、男の人はそのまま部屋を出ていった。


「…大丈夫ですか?」


 声をかけてもすぐに返事はなかった。美人すぎると、こういうことも多いんだろうな、と同情する。


「…ありがとう。助かったわ」

「あ、いえ…気をつけてくださいね、広澄さんお綺麗だから」

「…ええ、気を付けるわ」

「よくあるんですか?ああいうの」

「あそこまであからさまにっていうのは今まで無かったわ…だから、本当にどうしたらいいか分からなかったの」


 いつもよりしおらしくなってしまっている。

 本当に怖かったんだろうな。


「あの人、会社の方ですか?それなら訴えれば…」

「知らない人よ」

「……え?」


 なんでそんな人がこの歓迎会の部屋にいたんだ?


「多分、酔っ払ってこの部屋に入ってきちゃったみたいなの」

「…あぁ、なるほど」


 なるほど、と片付けていいものなのか分からないけど、とりあえず広澄さんが無事で良かったと思う。


「ひとまず、外に出ませんか?」


 あんな恐ろしいことがあった場所から、一旦離れさせるべきだと思った上での処置だ。


 広澄さんは頷き、私は彼女の手を取った。


「行きましょう」



 外に出ると、先程の男はどこにもいなかった。…いたら逆に困るけど。


 広澄さんはさっきからずっと黙ったままだ。本当に怖かったのか、握った手のひらから少し震えているのが伝わってくる。


 …このまま一人では帰せないよ。


 でも、だからといって私の部屋に呼ぶわけにもいかない。一応、トイレの中の一悶着を忘れたわけではない。彼女もこんな私にそばにいられると困ってしまうだろう。


「一人で帰れますか?」


 そう尋ねると、静かに頷いた。だけど、到底帰れそうには見えない。


「…危ないので、家まで送りますね」


 一人で帰れるか聞く必要性があったのかと問われると、あれは絶対いらなかったと心の中で呟く。


「家、どちらにあるんですか?」


 歩きながら尋ねる。


「…目黒の方よ」

 「おお、いいところにお住まいですね」


 そして驚くことに、私も目黒周辺に住んでいたのだ。自分で自分の地域を褒めたみたいになったことに気付き、勝手に気まずくなった。


 電車に揺られながら、広澄さんの最寄りを聞くと、実際に私の最寄りと隣の駅だったことが分かった。


「ここまでで充分よ、本当にありがとう」


 改札を出る直前に彼女はそう言った。


「いや、心配なので家の近くまで行かせてください」

「いいのよ、ここで。すぐだし、悪いから」


 その言葉から強い意志が見えた。きっと家を知られたくないこともあるだろう。私はそこで諦める。


「気をつけてくださいね、早く帰るんですよ」

「ふふっ、なんだか立場が逆転したみたいね」


 そう微笑む彼女が無理に笑っているように見えて、私は無性に心配になった。


「そうですか?…ただ心配だから」

「ありがとう、嬉しいわ。でももう大丈夫よ。…もうすぐ電車くるだろうから、もう行きなさい」



 そうして、この日私たちはそれぞれの家へと帰っていった。


 帰り道、あんなにずっと一緒にいたけれど、シュンと耳を垂らした子犬みたいな広澄さんは初めて見た。


 …もっと私にできることは無かったんだろうか。


 いつも余裕のある彼女でも、あんなふうになってしまうんだと改めて思った。

 人の本質は、外見や普段の態度では全てを推し量ることはできない。


 もっと彼女のことを知りたい。

 外面ではなく、彼女がどんな人で、何を考えて、何を思っているのか、心の内を覗いてみたい。


 そう思った私の前を、快速電車が通過していった。

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