第5話
デスクに戻ると、なぜか皆さんが輪になって集まっていた。何事だろう。
「あ、きたきた。白瀬」
え、わたし?
「急で悪いんだが、今日空いてるか?」
大久保課長が尋ねてきた。
「え、今日ですか?」
「そうそう、白瀬の歓迎会をやりたいんだよ」
「課長、ずっと忘れてましたけどね」
「うるさいな、良いだろ、思い出したんだから。で、どうだ?いけそうか?」
私は美波さんとの約束を思い出して、ちらっと美波さんを見る。すると、美波さんは私に気付いてオッケーサインを出してくれた。
…そのオッケーはどのオッケーでしょうか?
一瞬分からなかったけど、それを察した美波さんがすかさずフォローしてくれた。
「大丈夫ですよ、白瀬ちゃん空いてます」
「なんで沖田が答えるんだ」
「えへ」
「本当に大丈夫そうか?」
「あ、はいっ、大丈夫です」
「ちょっとなんで信用してないんですか!ちょうど私と飲みに行こうって話してたんですよ」
「おお、そうかそうか。それなら良かった。じゃあ決定だな。もう店もおさえてあるから」
「ちょっと課長、もし白瀬さんがダメって言ったらどうするつもりだったんですか」
「まあまあ、終わったことだ。もういいじゃないか」
大久保さんははぐらかしてその場から逃げ出した。こういうお茶目なところがあるから、親しみやすくて慕われているんだと思う。今はこんな様子だけど、大久保さんの指示は的確で仕事は速い。周りをまとめる能力は長けていると私も思う。
先輩方に連れられて、私は居酒屋に向かった。
「はい、というわけで急な開催となりましたが、我が部署に来てくれた白瀬さんの歓迎会を行いたいと思います!」
「よっ」
「それでは、一週間しかまだ経っていませんが、白瀬さんから一言だけよろしいですか?」
私にコメントが回ってくる。一斉に私のことを見るから、一気に緊張する。
「え、えと…私のために歓迎会を開いて下さり、本当にありがとうございます。今後も皆さんにご迷惑をおかけすることが多いと思いますが、これからよろしくお願いします…!」
会社で挨拶した時とは違って、盛大な拍手を送られる。ご馳走とアルコールを前にして気が大きくなっているのだろう。
「それでは、わたくし庄司が音頭をとらせて頂きます」
「いいぞ!!」
「庄司いったれ!」
「えー、本日は新入社員の白瀬さんが主役の歓迎会でございます。これを機に、白瀬さんのことを知り、社員同士の交流を深めていきましょう。えー、白瀬さん。仕事のことでもプライベートでも、何か困ったことがあったら、俺たちに遠慮なくご相談ください!それでは、乾杯を行いますので、グラスをお手にご唱和をお願いいたします。白瀬さんの飛躍と当社の繁栄を願って、乾杯!」
「「カンパーイ!」」
私の右隣には美波さん、左隣には最近よく話しかけて下さる三十代後半で男性のひょろっとした池田さんが座っている。
「もう慣れてきた?」
ニコニコしながら話しかけて下さる池田さんは、ビールを三口飲んだくらいでもう顔が真っ赤だった。
「まだ色々と緊張することはあるんですけど、落ち着いてきました」
「うんうん、良かった良かった」
「池田さん、お酒弱いんですか?」
「んー、なんでぇ?僕はまだまだ飲めちゃうよぉ」
なんて言いつつ、かなり酔っ払っているように見える。
「池田さん弱いんだから飲みすぎたらだめですよー」
私を挟んで美波さんがそう注意する。隣の美波さんはもう既にビールが空になっていた。
絶対強いな…美波さん…
歓迎会では、私を歓迎するという名目なだけあって、色々な人に話しかけられた。今まで深く話したことがない人とも趣味の話やプライベートの話で盛り上がった。
「えー、白瀬さん猫好きなの?うちで飼ってるから今度おいでよ〜」
「先輩それセクハラですよ、白瀬さん困っちゃいますから」
「えっ、なんでよっ、下心とか一切ないからっ」
アルコールがかなり回ってくる時間帯になると、攻めた質問が飛び交うようになった。
そんな中、一際目立っていたのはやはり広澄さんの近くの席である。絶えることなく人が行き交い、広澄さんと話そうとする人で溢れかえっていた。
「えー、葵ちゃん彼氏作らないの?」
「ふふっ、酔っぱらいの質問には答えませんよ」
「じゃあ俺、葵ちゃんの彼氏候補に立候補しちゃう」
「おい、抜けがけすんなよー」
「葵ちゃんはどんな人がタイプ?」
「好きになった人がタイプですね」
「えー、それめちゃくちゃ難しいやつ」
「葵ちゃん、今度は俺と話そう!」
「葵さん、私ともお喋りして下さいよ〜」
うわぁ、すごく大変そうだ。でもさすがのスキルでさらっと交わすあたりが手慣れている。
「ねえ、白瀬ちゃん」
「ん、美波さん?」
「今日の話の続きをしようか」
いつの間にか美波さんが隣に戻ってきていた。にんまり微笑んでいるのを見ると、今から何を言い出すのか察してしまう。
「今も葵さんのこと見てたけど、やっぱり好きなの?」
「何言ってるんですか、好きとかそういうんじゃないですよ」
「え〜、それにしては見すぎじゃない?」
「たまたまです」
「つれないなぁ」
「そういう美波さんは、広澄さんのこと好きだったんですか?」
「えぇっ、わたし?ないない」
全力で否定するあたり、本当なんだろう。
「どうしてそう思ったの?」
「いや、好きだったような口ぶりで話してらっしゃったので…」
「あははっ、ちがうちがう。あれは友達が葵さんに落とされてて、近くで話を聞いてたからね」
「なるほど…」
やっぱり広澄さんの虜になる人は多いらしい。ちらっと今の様子を覗き見ると、周りの人にボディタッチしているのが見えた。された人は鼻の下を伸ばして、でろでろしている。
「残念だね」
「え?」
「ほら、人気すぎて話せないじゃない?話したそうな顔してるから」
そう言いながら肘でつつかれる。
そんなに分かりやすく反応してたのかな。見すぎないように気をつけないと。
「そんな顔してました…?」
「ふふっ、うそ」
「っもう、やめてくださいよ」
「悠ちゃんって素直だよね」
悠ちゃん…
会社の人に初めて呼ばれて、ちょっぴり嬉しくなった。
「あ、ごめん馴れ馴れしかった?」
「いえっ、…嬉しいです」
「うわ、何その笑顔。かわいいっ」
いきなり抱きつかれて、胸の奥がぎゅんっと揺さぶられる。突然抱きつかれたり、急に手を握られたりすると私は弱い。軽率にどきどきしてしまうのだ。
「ねえ、耳赤いよ?悠ちゃんってすぐ赤くなるよね」
また隣で囃し立てられる。
「ちょっともう静かにしてください」
「そういうところもかわいいなぁ…」
頬っぺをつんつんして私で遊んでくる。
美波さん絶対酔っ払ってるな…
普段はこんなに触れてこないのに。テーブルの上を見ると、何杯もの空いたジョッキが近くに置かれていた。
もう、一体何杯飲んだんですか…
「ねえ、悠ちゃんは女の子もいけたりするの?」
美波さんの方を見るとじっとりとした熱い視線と絡まりあう。
「…どうでしょう」
「今恋人いる?」
攻めた質問ばかり投げられる。恋人、と表現するところから何を意図して話しているのかが伝わってくる。
「いませんよ」
そう話すと、嬉しそうに笑った。
「えー、じゃあ私が狙っちゃおうかな?」
それが冗談なのか、本心なのか、私には分からなかった。ただ、微かに触れたとき、美波さんの身体はいつもより熱い気がした。
…きっと、お酒のせいだ。
「次からは飲みすぎないでくださいね」
「ふふっ、優しいね。ありがとう」
先程の発言に触れなかったことを指しているのか、飲みすぎるなという心配の姿勢に対するものか、分からないけれど美波さんは満足したように笑っていた。
「少し御手洗に行ってきますね」
「はーい、気をつけてね」
普段から積極的にお酒を飲まないからか、私も少し酔っている気がする。先輩からすすめられたら断る訳にもいかず、のらりくらりと交わしていたけれど、さすがに全ては回避できなかった。周りの方々が酔いすぎて、私は酔っ払っていないだろうと勝手に思っていたけど、ふらっとよろめくくらいにはやられていたみたい。
存分に出してすっきりしたあと、手を洗って戻ろうとしたら、トイレのドアが開いて人が入ってきた。ちょうど開けようとしたタイミングだったから、押すはずだった物が急に消えてよろめく。壁にぶつかる、と思った矢先に誰かに腕をひかれて、ぼすんと優しく抱きしめられた。
「大丈夫?」
このフローラルの匂い…
顔を見なくても分かってしまった。
そう、広澄さんである。あんなに囲まれていたのに、いつのまに抜け出して来たんだろう。
「鍵、かけてなかったの?」
そう言われて気付く。確かに、かけた覚えがない。酔っていて気が回らなかったんだ。
「もう、危ないじゃない。私だから良かったけど」
「…すみません」
広澄さんの顔がすぐそこに見えて、ドクンと脈打つ。あぁ、タイプなんだよなぁ…その顔。酔っ払っているからか、素直にそう思った。
ずっともたれかかっているのは申し訳なくて、すぐに広澄さんから離れる。
「いつもタイミング良く現れますよね」
「そうかしら?」
「ふふっ、そうですよ。あ、御手洗ですよね、どうぞどうぞ…」
帰ろうとしても、目の前に立つ広澄さんは動かない。通せんぼの形になって広澄さんの顔を見る。どうしたんだろう、と思っていると、また甘い誘惑が私を翻弄する。
「もう行っちゃうの?」
まただ。じっと見つめられて動けなくなるような感覚。整った顔が私を捉えて離さない。
彼女はこんなことを言って、どうしたいんだろう…
冷静な私が顔を出す。
ごくり、と喉がなった。
そして、心臓がゆっくりとスピードをあげて音を立て始める。何も悪いことはしていないのに、全てを見透かされたような気がして、ソワソワする。
「御手洗にきたんじゃないんですか?」
「んーん、会いに来たの。はるちゃんに」
“はるちゃん”と呼ばれるとは思わず、固まってしまった。
「私の名前知ってたんですね」
「ふふっ、変なこと言うのね。もちろん知ってるわよ」
どうしてこのタイミングでそう呼ぶのか。
この疑問に答えるようにして言う。
「美波ちゃんに、そう呼ばれていたでしょう?」
一体いつ聞いていたのか。あんな人数を相手にしながら、盗み聞きをしていたなんて。
「聞いてたんですか…」
「ええ、いつ白瀬さんが来てくれるかなって待っていたんだけど」
そうやって期待させるようなことを言うのが彼女は得意だ。
「一向に来る気配がないんだもの。私から来ちゃった」
そう私を見つめて微笑まれると、錯覚しそうになる。広澄さんには私のことしか見えてないんじゃないかって。
「私と話したくなかった?私は白瀬さんと話したかったんだけど」
形の整った綺麗な唇が優しい笑みを浮かべる。彼女に話したいと言われて嬉しくない人はいないだろう。私も例外ではない。だから、その時の私は彼女を直視できないくらい、嬉しくて、胸の底から込み上げる何かを感じていた。
「……話したかったですよ」
ポツリと本音が漏れ出る。
小さくて聞こえなかったかもしれないと思ったが、彼女の反応を見て分かった。しっかり聞こえていたんだと。
彼女はまさかそんな返答をされると思っていなかったのか、ぱちぱちと目を瞬かせている。
そしてすぐに笑って、
「嬉しい。白瀬さんも同じ気持ちだったなんて」
広澄さんはずるいと思う。
皆に言っている、ということは頭では分かってる。だけど、目の前にいる彼女がそんなにも嬉しそうに笑うから、今回だけは少しだけ期待してもいいのかもしれない。
こうして私は彼女にゆっくりと堕ちていくんだ。
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