八方美人な広澄さん

第4話

 入社してから一週間が経った。


 簡単な仕事を任せて頂けるようになり、随分会社に馴染んできた。仕事中、躓いて分からない顔をすれば、前から美波さんの声が飛んでくるし、パソコンとにらめっこをしていれば、横から庄司さんの声が飛んでくる。皆さん自分の仕事をしてるのかと思うくらいに、周りのことが見えているみたいで圧倒される。

 そして何より驚いたのは、広澄さんの手腕っぷりだ。何でもそつなくこなすし、上司や後輩からのどんな質問にも答えているような気がする。


「広澄さん、これ確認お願いします」

「お、さっきより速くなったね」


「広澄さん、これはこういう解釈でよろしいでしょうか?」

「うん、いいと思うよ。よく出来てる」


「白瀬さん、これお願いできる?」

「あっ、はい!もちろんです」

「ありがとう、本当に助かる」


 広澄さんは、必ずアプローチしたことに対してコメントしてくれるし、さらには褒めてくれる。本当に素晴らしい上司だ。


 ただ、さりげないボディタッチがついでについてくるのは難アリだと思う。


「どうしたの?何か用事ある?」

「あ、いえ。大丈夫です、すみません」

「分からないことがあったら何でも聞いてね」


 資料を手に持ち、近づいてきたと思ったら、ポンポンと頭を撫でられる。そして、何も無かったようにそのまま横を通り過ぎていった。


 ほら、それですよ。それ。


 どうしてみんな不思議に思わないんだろうか、こんなに気にしてるのは私だけ…?

顔、赤くなってないかな…なんて私らしくないことを思う。


 仕事中、それが気になってちらちらと広澄さんのことを見てしまう。やっぱり男性の肩をさりげなく触ったり、女性の髪の毛を褒めたり撫でたり……皆にしてるんじゃん!となぜだか落ち込む。私にだけするはずがないことは分かってる、分かっているけど少しモヤモヤする。


 すると、前からコソッと話しかけられた。


「白瀬ちゃん、見すぎだよ」


 前からじっとりした視線を送ってきた美波さんに気付かなかった。


「な、何のことですか」

「気になるよね〜、分かるようんうん」


 何でもお見通しだと言わんばかりの頷きである。


「でもね、みんなのマドンナだから、誰かのものにはならないのよ」

「ちょっと何言ってるんですか…」

「葵さんのこと気になるんでしょ?」


 ズバッと核心をついてくるあたりが美波さんらしい。〝気になる〟という部分においては間違っていないから、どう答えていいかわからず、たじたじになる。


「いや……そもそも広澄さん女性ですよ」

「あら、このご時世そんなの関係ないわよ」


 美波さんは偏見がないタイプの人間らしい。


「それに、葵さんは女性から猛烈なアプローチされることだってしばしばあるみたいだし。でも、狙うなら軽い気持ちで行かないと心が折れちゃうわよ」


 まるで経験者が話しているみたいだ。


「ちなみに、私はどちらもいけちゃうのよね」


 それはさらっとしたカミングアウトだった。さらっとしすぎて、聞き流すところですらあった。


 でもまあ、私も人のことは言えない身だから、特には驚かない。


「驚かないのね」

「あ、いえ…」


 指摘されてしまった。

 こういうところ、美波さんは鋭いと思う。


「ふふっ、ちょっと白瀬ちゃんに興味出てきちゃった」

「え、?」

「仕事終わったら飲みに行かない?」


 急なお誘いだ。この流れで誘われるということは根掘り葉掘り聞かれてしまうということなんだろうか。返事をしようか迷っていると、隣から声がかかる。


「ちょっとおふたり、なに話してるんすか。仕事してくださいよ」


 隣の庄司さんから注意されてしまった。意外と真面目なんだと、ここ一週間で知った。


「もう、さっきまで真剣に仕事してたじゃない。少しくらい許しなさいよ」

「コソコソ話すから余計気になるんすよ」

「もう…ほんとにかまってちゃんよね、あんた。じゃ、白瀬ちゃん考えておいて」


 考えておいて、と言われても、別に断る理由なんてものは無いし、正直私も美波さんとゆっくり話してみたいと思っていたところだった。すぐ美波さんに声をかけようとしたけれど、もう目の前の美波さんはお仕事モードに入ってしまったみたいだ。

 …あとで伝えよう



 仕事が終わり、定時が来た。ここの会社はホワイトで、すぐに定時で帰ることができる。でもその分、皆さん優秀で予定通り仕事が捗っているからだと思う。

 私はパソコンの電源を切り、帰る支度をする。


「白瀬さん、ちょっと話があるんだけどいいかしら?」


 声をかけたのは、広澄さんだった。


「えっ、私ですか!」

「そうよ、時間…いい?」

「あ、はい。もちろんです」


 そう返事をすると、広澄さんは私を置いて部屋を出ようとした。置いていかれないように急いで私も一緒について行く。ついでに、美波さんにぺこぺこお辞儀とジェスチャーでちょっと行ってきますと伝えておいた。


 広澄さんはある応接室の前に来ると、扉を開けて入っていく。


「どうぞ」

「失礼します…」


 これがあの絆創膏事件があってから初の二人きりである。何を言われるんだろう。いつも見すぎよ、だなんてお叱りの言葉だろうか。

 予想が出来なくて、びくびくしていると、


「何も怒らないわよ、そんなに緊張しないで」


 眉を垂らして困ったようにそう言われる。そうは言われましても、こんな状況は初めてなもので。


「え、と…それでお話っていうのは、?」

「うん、単にね一週間くらい経ったけど、慣れてきたかなぁって、知りたくて。あと、個人的に白瀬さんとお話をしてみたかったのよ」


 無垢な笑顔を向けられて、きゅんとしてしまった。こんな端くれの新入社員を気にかけてくださるなんて優しすぎでは…

 それに、私と話してみたかったと言われて素直に喜ぶ自分がいる。


「おかげさまで、だいぶ慣れてきました…!まだまだ分からないことはあるんですけど、周りの先輩方がすぐにサポートして下さるので、本当にありがたいです」

「それは本当に思ってる?」

「…え」

「いや、あの変な意味じゃなくてね、すごく堅苦しい感じだったから、社交辞令かと思っちゃって」

「あ、いえいえ全然そんな…っ」


 普段よりも柔らかい雰囲気で少し戸惑う。これが彼女のプライベートに近い雰囲気なのだろか。違う一面を垣間見た気がして少しだけ胸が騒ぐ。


「だって美波ちゃんとか庄司くんとはすごく楽しそうに話すじゃない?なんで私にはいつまでも堅苦しいのかなあって…」


 …かわいい。


 少し拗ねたように話すのがとんでもない破壊力で、思わずにやけそうになる口元をきゅっと結ぶ。


「そんなことないですよ、ただ少しだけ緊張してしまうので…」

「まだ緊張してるの?」

「そりゃあ、しますよ…」

「どうして?」


 どうして、と尋ねられて答えられなかった。

 上司だから?先輩だから?歳上だから?

 美人すぎるから…?

 分からない。分からないけど、緊張してしまうのだ。


「どうしたら緊張しなくなるかな?」

「緊張しちゃだめなんですか…?」

「だって距離が遠い気がするもの」

「そんなことないと思いますけど…」

「そう?だって未だに私のこと名字呼びじゃない」

「皆さんのほとんどが名字呼びですよ?」

「白瀬さんには下の名前で呼んで欲しいの」


 真っ直ぐな瞳に吸い込まれそうになる。

 自分が何を言ってるのか分かっているのだろうか。そして、どうしてそんなにも近づいているのか教えて欲しい。頬をするりと撫でられて思う。


 やっぱりこの人はたらしだ。

 生粋のたらしだ。


 普通こんな距離で後輩と話をしないと思う。目と鼻の先に、彼女の顔がある。勇気を出して動けばキスだって出来てしまう。そんな空気感を一瞬で作ってしまうのが恐ろしい。


 そして、本人は楽しんでいる。

 この状況を。


 私はまんまとハメられて、心が警鐘を鳴らす。このままでいるのは、危ない、と。意識を保っていないと、余計なことまで口から滑りそうになる。

 ぐっと堪えて平気なフリをする。きっと今までこうやって何人もの人を虜にしてきたんだと、頭の中にいる冷静な私が判断する。流されるな。


「もう広澄さん、変なこと言わないでくださいよ。流されそうになっちゃいました」


 ペースに流されないようにおどけて言う。同時に距離をとった。


「とにかく、本当に皆さんに良くしてもらっているので、今のところ問題はありません。わざわざお時間作って下さりありがとうございます」


 目の前の広澄さんは、この行動に少しだけ驚いた様子を見せたけど、すぐに微笑んで「それなら良かった」と漏らす。



 逃げるようにして部屋から出た私は、両手で顔面を覆った。


 なにあれ、かわいすぎでしょ。拗ねた顔も、笑った顔も、頬を撫でる仕草も、脳裏に焼き付いて離れない。


 本当にやめて欲しい…

 本気にしてしまうから。

 彼女は冗談だったとしても、あんなこと言われたら、期待してしまうから。


 私は蜘蛛の巣にかかった蝶であることに気付きたくなかった。

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