第16話 ブライアンゼ伯爵家③


「あ……」

「レキシー様、大丈夫です。私がいますから。どうか冷静になって下さい」

「イーライ神官様……」


 そう言ってイーライ神官はしっかり掴んだ私の手を引き、背中を優しく撫でてくれた。

 自分の惨めな行動に益々情け無くなってしまう。

(この人の懐の広さに、私はいつも励まされてきた……)


「ちょっ、酷いわお姉様! ねえ見ました? イーライ様っ」

 先程から何かと近づこうとしているビビアをイーライ神官は器用に振り払い、逃げ回っている。


 けれどふと立ち止まり、その手を額に当て項垂れるように顔を伏せた。……私を片手で抱えたままなので、髪が首筋にあたりくすぐったい。


「──すみません、色々な事がありすぎて混乱しています」

 そう言ってイーライ神官がこちらに向ける瞳は揺れていた。

「すみません、イーライ神官様……」

 近いです……


 慌てて視線を逸らしながら思考を巡らす。

 更なる醜態を晒した上、もしかしたら聡いイーライ神官は私の気持ちを見透かしてしまい、困っているのかもしれない。だったら……


「申し訳ありません、イーライ神官様。身内の揉め事に巻き込んでしまいました」

 私は両手を突っ張りイーライ神官から距離を取り、意を決してビビアに向き直った。


「ビビア、イーライ神官様はもうじき結婚なさるのよ」

「え……っ」

「ええ?!」

 驚きに目を見開くイーライ神官と声を抑えられないビビアを順に見やって、私は毅然と口にする。


「だからあなたの……他の誰の手も取る事は無いの。そもそもイーライ神官様を私たち家族の事情で振り回す事などあってはならないわ」

 そう言って穏やかに笑ってみせればビビアは忌々しそうに私を睨みつけた。そして気を取り直したように目を潤ませイーライ神官を振り返る。

「イーライ様、本当ですか? でも私と出会って運命を感じたでしょう?」


 けれどイーライ神官はビビアの言葉が耳に入らないのか、固まったままこちらを凝視している。

「レキシー様、それをどこで……」

「それは……」

 盗み聞きしました……とは言いたく無かったけれど。


「……その、神殿で結婚したい方がいると話して下さったでしょう? その後、イーライ神官様が信徒の方と、もう間も無くとお話しているのを聞きました……それで……」

 ぼそぼそと説明していると低い声が上から降ってきた。


「──もしかして最近会ってくれなかったのは、そのせいですか?」

 眉間に皺を寄せるイーライ神官に大急ぎで首を振って言葉を探す。

「それは、あの……馴れ馴れしい距離はその方に失礼ですし……」

 あれ、何で私こんな言い訳を必死にしているのだろう……


 思わず顔を俯けると、後頭部に深い溜息が落ちてきた。

「……何も言わずに申し訳ありませんでした」

 その言葉に肩がぴくりと震える。

「それに今日急に押しかけた事も、申し訳ありません。先触れを出そうか迷ったのですが、避けられているように思いましたので。無礼と承知で直接伺いました」


 どこか淡々とした口調の中に混じる微かな苛立ちにそっと顔を上げれば、イーライ神官は私の顔に怯えを見つけた事を詫びるように眉を下げ、困ったような表情になった。


「私はあなたに会いにきたのです」

「え……」

 その言葉に今度は私が困惑を顔に浮かべる。


 フェンリー様の婚約の途中経過を知りたかったから……? 暫く会えていなかったから、体調不良を考慮して……? フェンリー様について、或いはラッセラード家への返金期日の指定日とか……そんな義務的な理由が頭に浮かんでは消えていく。


 イーライ神官の瞳に揺れているのは、本当にそれだけだろうか……

 すっと伸ばされた手が視界に入るが、僅かに反応しただけで身体は動かなかった。頬に触れる大きな手は、いつかのように温かくて私は再び顔に熱を持った。


「ちょっ、お姉様……邪魔しないでよ!」

 見ていられないと、割り込もうとするビビアから、イーライ神官は私を抱え、再び器用に身を翻した。


「そして私は今日は伯爵にお願いにも来たのです。あなた方の道程はラッセラード家の傘下の者から伝令で受け取っていましたから。帰宅と同時にお伺いしたのは、……その方が纏まりやすいと思ったからです。……私は彼女と結婚をしますと」


「イーライ様……!?」

「っはあ!? 何でお姉様と? ちょっとお姉様、イーライ様に何をしたのよ!?」

「──ご令嬢。いい加減、少し黙ってくれないか?」

 叫ぶビビアにイーライ神官がぴしゃりと告げれば、その白磁の頬がひくりと引き攣った。……イーライ神官のただならぬ様子に、彼女もようやっと拒絶を察したのだろう。


 少なくともイーライ神官は先程からずっとビビアを見もしない。神職故か、はっきりとは言わないが、多分もう既にしっかり嫌われていると思う……ではなく!

 

 イ、イーライ神官が、私に結婚……を?

「レキシーを妻に望むと……?」


 お母様に支えられながら、お父様は訝しげな声を出した。けれど一考するように顎に手を添え、いいえと口にして、首を横に振った。

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