第17話 ブライアンゼ伯爵家④


「勿論そうよね、パパ!」


 しかし歓喜に叫ぶビビアには目もくれず、父は私の目を見てばっさりと言い切った。


「レキシー、たった今を以てお前は勘当だ。当主の意向に逆らったのだからな。よってイーライ神官様、この娘への求婚に当家の許可は必要ありません。どうぞ、どこへなりともお連れ下さい」

「え……」

 その台詞にがつんと頭を打たれたような衝撃が走る。


 ……それは自分で決めていた事だった。ビビアの婚姻が纏まったら、この家を出て行くのだと。けれど……


(……こんな気持ちになるのね)

 勝手なもので、不意をつかれたせいか、こうして突きつけられると胸に空虚なものが広がった。

 失くすのではなく手放すのだと言い聞かせていた台詞は、結局ただの虚勢に過ぎなかったのかもしれない。


「お……」

 お父様、と。

 そう呼んではもういけないのだと思い、喉が詰まる。

「あ、あなた……勘当なんて、いくらなんでも体裁が……」

 母が声を掛けるが父は首を横に振るばかりだ。


「あははは!」

 そこに場違いな声が響いた。

「お姉様、お姉様はもう貴族ですら無くなったのね! 何の価値も無くなったわ! イーライ様、これでもお姉様をお望み? 私なら、あなたとの結婚に何の障害も無いというのに!」


 喚くビビアをちらりと一瞥し、イーライ神官は私に笑いかけた。

「……ああ本当に。何の障害も無くなったよレキシー。

 ありがとうございます、ブライアンゼ伯爵様。それから、そちらのご令嬢、私の妻となる者には信仰を理解して貰う必要がある。清貧、貞淑、謙虚、研磨。あなたの事は四半刻ほどしか見ていないが、これがあなたに当てはまるとは、とても思えない。

 それでは私はこれで失礼します。ご家族のご歓談を邪魔してしまい、失礼致しました」

 そう言ってイーライ神官は私を抱えるように扉に向かった。


「ち、ちょっと!」

「止めろビビア!」

 追い縋るビビアを父が一喝した。


 ビビアは聞いた事がないのだろう。父の怒号に驚き身を竦ませている。

「……ずっと私たちを監視していたと言ったな……」

 唸るような声にイーライ神官がぴくりと反応した。

「……」


 父は射るような眼差しでイーライ神官を睨みつけてから諦めたように肩を落とした。


「所詮金の力には敵わない。貴族の矜持も血統も、金に買われて廃れて行く……お前たち新興貴族には守る価値が何かも分かっていないというのに。私たちの領分を食い散らすお前たちに、傅かないと生きていけない世になってしまった」


 そうして今度はジロリと私に目を向け悪態をついた。

「お前のような者が貴族の伝統を、美徳を、窮地に追いやり腐らせていくんだ、レキシー。

 私はお前がブライアンゼ家の為、形だけと知りながらそれを受け入れ婚姻を結び、ドリート夫人として家を切り盛りする姿を貴婦人らしいと思っていたというのに。

 私たちは多くの者が望めば享受する幸福を得られない代わりに、その多くが揺るがせられない地位や立場を手にするのだ。……お前はそれを分かっていると思っていた」

「……ごめんなさい」


 私はそれを得られない事を嘆いた。

 それが始まり。

 私は貴族に産まれながら、それらが欲しかった……


 ブライアンゼ家の教えでは異端。

 けれど、それでいいと、自由を望み、渇望してもいいのだと。手を差し伸べてくれたのがイーライ神官だった。それはきっと信徒への助言だったのだろうけれど。


 それがあの時の私にどれほどの衝撃を与えたか。

 変わっていいのだと──

 やがて私は明るく温かい場所へ導いてくれたこの人に感謝し、同じように悩む人へ自分も何か出来ないだろうかと思うようになった。


 私の築く軌跡を見て、誰かを勇気付けられないだろうかと……自分の生き方に胸を張るように生きたいと望んだ結果、貴族らしからぬ私となった。


 けれどお父様は違う。

 きっと私と違う事を嘆いている。

 お父様の言う、貴族の血が澱む事を。


 それらはきっと神の前では平等に許されるのだろう。けれど父と私と道は違える事になる。

 ──だからもしかして、手放して……くれたのだろうか。そんな考えが頭を掠めた。

 

 違う価値観を共有する苦痛から逃す為に。

 受け入れる事を拒む理由として。

 袂を分かってくれるのだろうか……

「もう行け、行ってくれ。お前の顔なんて見たくも無い」

 こちらを見もせずに言い切る父に、込み上げるめのを必死に耐えた。


「行こうレキシー」

 再び歩き出すイーライ神官に引き摺られながら、父の横顔から目を離せない。

 不都合から背けてきたその眼差しは、今は私から逸らされているというのに……


「ねえ待って! どうして……っ、ねえイーライ様、お姉様は夫に愛人がいるようなところしか嫁ぐ先が無かったんですよ? その上、子も産めないようなお姉様なんか……」

「やめろ!」


 聞き慣れたそれがが今まで聞いた事もない程に強張った。

「それ以上口を開けば、その戯言しか言わない舌を引き抜く」

「イ、イーライ様っ……」

 それはどれほど怖い顔だったのだろう。

 それ以上一言も発せず、ビヒアは気配さえ消すように縮こまったせいで室内は静かになった。


 そのままイーライ神官は顔を背ける父と、戸惑う母に頭を下げ、私を連れて部屋を出た。

 

「……エルタとマリーは後から呼びますから、今は我慢してください」


 そう言ってイーライ神官は私の眦に唇を落とした。

 普段なら飛び上がるほど驚いて、動揺して……いつの間にか抱え上げられた腕の中で、きっと大暴れしていただろう。


 でも今は止めどなく溢れる涙を止められない。

 私はイーライ神官にしがみつき、嗚咽を漏らして泣き続けた。

 失ったものは家族。

 もう二度と失くしたくないと思っていたものを、私は再び失った。

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