第14話 ブライアンゼ伯爵家①


 レキシーがラッセラード家に来た際に、私はフェンリーに何気なく聞いた。

「……しかしお前、本当にいいのか? 聞くところによるとビビア嬢は花の精のような可憐なご令嬢というじゃないか」

 まあ聞いたところで今更考えを覆させれても困るところもあるのだけれど。


 会った事も無い婚約者に見切りをつけているフェンリーへの問いかけは、神職としての苦言か、叔父としての忠言か……

「え? 会った事、ありますよ?」

 けれど返ってきたフェンリーの台詞に目を丸くする。


 驚きに固まるこちらとは対照的に甥は平然としているが。


「あれは、ラシード伯爵の夜会の時でしょうか。きちんと名乗ったつもりでしたが、『男爵家』のところであからさまに顔を顰めてましたね。

 その後誰だか知りませんが、エスコートをしている相手もそっちのけで、婚約を決められたばかりのエレント小公爵様の取り巻きの一人になっていましたよ。

 壁の花の方がよっぽどましな、醜い本性を撒き散らして……あれが婚約者だとは誰にも知られたくありませんでした」


「……あ、うん。そうか……うん……」

 根深そうな眼差しに視線を泳がせ、曖昧に相槌を打っておく。

 ──まあ確かに、いくら耳目に探らせていたとはいえ、それだけで縁を切るのは薄情とも思ったが……きちんと見極めていたようで何よりだから、目が笑っていないような気がするのは、見なかった事にしよう。


 いずれにしてもフェンリー本人が気にしていないのだ。

 自分もまた、レキシーの実家には良い印象がないし……伯爵家が傷一つ負うくらい別に構わないか。


 レキシーは言葉を濁すが、彼女がドリート家に嫁いだ事が全てを物語っている。


『私は今の暮らしで充分です。貴族なのですから……当然の義務ですわ』


 その義務の範疇はどれほど広いのだと、怒りと葛藤をレキシーに向けそうになっては、何度もそれを飲み込んだ。それは貴族を嫌になって逃げ出した自分が、立ち向かう彼女に言える事だろうか。


 だからせめてレキシーはもう、幸せになっていいと思う。自分がそうしてやりたいとも。

 その為にやりたい事があるのだけれど。その為に自分はここにいるのだけれど──

 ふと視線を下げる。


(ああ、邪魔だなあ……)


 目の前を飛び回るのみをどうつぶしてやろうかと、イーライは目を細めた。


 けれど次の瞬間、女の悲鳴が聞こえ、それがレキシーの名を叫んでいるのだと気付いたイーライの意識は、すぐにそちらに向かった。


 ◇

 

「お嬢様!」

 叫ぶと同時に駆け寄るエルタごと、父は私を踏み付けにした。

「エルタ!!」

「お、お嬢様、お逃げ下さい……」

 踏み付けにされたエルタの華奢な身体を抱え、私は父を睨みあげた。

「……使用人風情が出しゃばるからだ! ……なんだレキシー、その目は。育ててやっただろう! お前が今そうしていられるのは全て私のおかげだ! それをなんだ、どいつもこいつも私を見下して、馬鹿にしやがって!」

「あ、あなた……」

 

 ──執事から報告を受けている。

 この数日ブライアンゼ家の名前で無理を通そうとして困ると、そんな苦情が届いている事を。

 ラッセラード家との婚約解消が、徐々に影響を及ぼしている。


 それにしてもフェンリー王都へ戻った理由は、どうやら資金不足が主な理由なようだ。

 お金の余裕が無いせいか、父の様子はいつにも増しておかしいし。お金の無い道中は余程不自由だったのだろう。


 お金が無くなるのが何を意味するのか、それが少しでも分かったのかと思えば、それを屈辱と感じただけのようだ。貴族である事にしか価値を見出せない、自身の血統に絶対の自信を持っている父は、旅程で受けた扱いに矜持を傷つけられたのだろう。加えて旅で疲れて苛立っている。

 頭に血が昇るのは仕方がないかもしれない。けれど、


「──見下されて馬鹿にされるのが嫌なら、人にたかるのを止めればよいのです!」

 息を荒げる父に対し、言葉を続ける私に母は青褪めた。


 ……けれど、私だって怒っている。

 勝手を振る舞い、振りかざし、誰にでも自分の行動原理が通用すると? 特にこれから、この人たちは、矜持かお金か、どちらかを選ばなければならない。


 だからこれが私の親孝行だ。

 何も言わず敬遠する事なら簡単かもしれない。

 けれど私にはこうして立ち向かう事しか出来ないのだから……


 本当は、宥めすかして甘やかして。こちらの思い通りに事を運ぶ、上手い立ち回りをすれば良いのだろう。けれど、所詮私にはそんな優しい役回りは与えて貰えない。

 こうして声を荒げる程に激昂してやっと、父は私の目を見て話を聞いてくれる。


 私はエルタを抱きしめ、続けた。

「お父様、私はもう何度も言いました。労働は卑しいからと見向きもせず、よく分かりもしない投資に手を出して、お金が無くなれば人に請う。

 挙句、思い通りにならないからと、暴力で言い聞かせようとするのが、本当に貴族の在り方なのですか? それが本当に由緒正しい血統を誇る、我が家の振る舞いなのですか?」

「……っ」


 顔を真っ赤にしたまま固まる父をじっと見上げた。

 大丈夫だ、暴力を好む人だとは思わない。

 ──だからどうか少しでも私の言葉に耳を傾けて欲しい。

「お父様、どうか……」


 真っ直ぐに向ける眼差しの先の父の瞳は揺れ、そして大きく開いた。

「何を生意気な事を! 私に指図するな!」

「きゃあ! あなた!」


 振り下ろされる拳を見つめ、私は諦念に目を閉じた。

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