第3話 あら、お久しぶりです


「本当にもう、お人好しなんですから……」

 フェンリー様を送り出し、応接室のソファで肩を竦め、エルタの溜息をやり過ごす。

「ごめん……でも放っておけないの……」

 

 元々エルタもマリーも実家に戻る事を反対していた。特にエルタはうちの家族の私への扱いに納得していなかったから。


「でももう、これきりよ。私にも区切りというものが必要みたい。あの人たちだって、何だかんだで家族ですからね」

 見限れないという奴だ。

 子が親を捨てるのにも言い訳が必要らしい。


 家を出て平和に過ごす為。ビビアの婚姻を見届けた後、両親には散財を止め身の丈に合った生活を送り、領地へ引っ込むよう、諫言を言い去っていくつもりだった。

 しかしたったそれだけの事を成す為に、余計なハードルが増えてしまった。……自分の発言によるものもあるので、全てに文句は言えないけれど。

 とにかく腹を括るべし。


「そういえばビビアはどうしたの?」

 話を切り替えるべく振り向けば、渋面のマリーが答えてくれた。

「……どうやら馬車に乗って飛び出したようで。御者に領地へ行くようにと叫んでいるのを、屋敷の使用人が聞いていたようです」

「領地……」

 馬車で片道五日の道程は、急に決行するような距離では無いけれど……まあビビアには暫く大人しくしていて貰った方がいいかもしれない。


「では明日にでもお父様たちも向かって貰いましょう。ビビアの見張りくらいしてもらわないと。話は私がするから、二人が落ち着いた頃、話を通しておいて頂戴」

「かしこまりました」


 頭を下げた後、躊躇いがちにマリーが口を開く。

「お嬢様、くれぐれもご無理はなさらないで下さい」

「……あなたたちにも苦労を掛けるわね」

 頭を下げる二人を労い、下がらせた。

 

 ◇

 

 翌日私は神殿に行った。

 この国の国教である女神セセラナ様を祀るセセラナ教だ。

 ……別に神頼みをしに来たわけでは無い。験を担ぎにきただけだ。

 というのも、私は結婚後、慣れない生活の中に安らぎを求め神殿に通っていた。その後は子を亡くし、その子のために祈り、夫が病に倒れた時も毎日通って祈っていた。


 思えば私の願いは何一つ叶わなかったよう思うが、ここに来ると落ち着くし、気持ちが引き締まるのだ。

 付き添ってくれたマリーが遠慮するので待ち合い室で控えさせ、私は一人礼拝堂に向かった。


「レキシー様?」


「えっ、イーライ司祭様?」


 掛けられた声に首を巡らせば、そこにあった見知った顔に、私は思わず目を丸くした。

 

「はい、イーライです。お久しぶりですねレキシー様」

 そう言って優しい笑みを浮かべる彼は、イーライ司祭様。

 私たちの挙式を執り行ってくださった方である。

 サラサラと肩より下に流れる白く輝く銀髪に黒曜石のような黒い瞳、柔和な面差し。司祭にしては若いかたで、当時は二十一歳と聞いて大層驚いた。


 神職に就くにあたって、出世欲などあるのかは不明だが、彼は歳の割に階級が高く、出世頭というやつらしい。

 しかし十年という年月をものともせず、外見に変わりは無い、むしろ益々磨きがかかっているようで、容姿に恵まれた人だと思う。私も頑張ろう……


「イーライ司祭様は、こちらに異動されたのですか?」

 しかし彼は元夫の領地で神殿勤めをしていた筈だ。

 今ここは王都。

 私たちは王都にあるタウンハウスで過ごしていた。フェンリー様がビビアに会いに来て下さるという事で、領地よりも王都の方が利便性が良いだろうと、こちらでお待ちしていた為だ。

 

「はい、実はそうなんです。レキシー様は今日は如何なさったのですか?」

「良縁を願いに来たのです」

「えっ」


 そう言って笑ってみせると、彼は明らかに動揺に瞳を揺らしたので、私は悪戯に成功したと、くすりと笑いを零す。

「知り合いのですよ、ふふふ」

「ああ……そうでしたか。まさか、もうかと……」


 彼は夫の弔いもしてくれた人だから、私の事情はほぼご存知だ。婚家を出て半年。二十八歳のバツイチで子も産めなかった貴族女性が、再婚などできる筈もないというのに。


 笑い合っていると、イーライ司祭の目元に小さなホクロを見つけておや、と思う。

 何となくフェンリー様を彷彿とさせる優しい目元。

 イーライ司祭の髪は銀髪だが、二人はどことなく雰囲気が似ているような気がする。何だか良縁の兆しを感じるではないか。


「イーライ司祭様と会えるなんて、これも神のお導きかしら。きっとその方は良い縁に巡り会うのだと思います」

「はは、ありがとうございます」


 軽く苦笑を漏らし、イーライ司祭は少しばかり複雑そうな顔をした。何だろう。思わずじっと見つめてしまうと、司祭様はごほんと咳払いをして、言いにくそうに口にした。

「……実は神官職を拝命しまして……」

「ええ!」


 それは凄い。

 神殿の役職は下から、修行僧、半司祭、司祭、司祭長、神官見習い、半神官、神官、神官長、聖者とあって、神官見習いでかなりの出世者らしいのだ。


 後から知ったのだが、大半の神職が司祭止まりとも聞いた。それなのに三十代で神官なんて、まあ優秀な人だ。

 最初に会った時、彼は既に司祭だったけれど、そういえば最後は半神官だった。つい癖で司祭様と呼んでしまって申し訳無かったなと思う。

 それにしても半年で更に昇級するとか、この人の中にはどれだけ徳が詰まってるんだろう。


 貴族だったら、この容姿も併せて妙齢のご令嬢に取り囲まれていたに違いない。……確か結婚は役職か、奉公年数に応じて出来たような気がするけれど。そこは世間の適齢期とずれないように計らってあるようだ。


「イーライ神官様は、ご結婚は……」

 言いかけて、はっと口籠る。何をそんな私的な事を聞いてるんだろう。

 ぱちくりと目を瞬くイーライ神官にあわあわと手を振って急いで謝った。

「も、申し訳ありません。出過ぎた事を聞きました」

「いえいえ」

 いつもの笑顔を見せてくれた事でホッと息を吐く。

「結婚は……そろそろ考えているところです」

 照れ臭そうに笑うイーライ神官に、何故か身体が強張ってしまう。


「ま、まあ……そんな方が……」

 長い付き合いだと思っていたけれど、そんな話は聞いた事もなかった。当然だろう、神職者にとって私は数ある信徒の一人に過ぎないのだから。

 そんな話をする間柄では無いじゃないかと言い聞かせるも、何だか自分ばかり一方的に頼っていた時間を恥じらってしまう。


「お、おめでとうございます」

「いえ、まだ正式には決まっていませんし。ただ今から楽しみなんですよ。ずっと好きな方だったので」

「そうなんですか……」

 どうしてだろう。何だか胸にぽかっと穴が空いたような気がするのは。


 嬉しそうにはにかむイーライ神官を見上げて、ふるふると首を振る。今私はフェンリー様の為にここに来ているのだ。ふんと気合いを入れ直す。


 それなら益々縁起の良い話じゃないか。是非イーライ神官に良縁のお札をしたためて貰いたい。


「それでは是非イーライ神官様に加護のお札をお願いできますか?」

「ええ、勿論──……それと、レキシー様」

「はい?」

 首を傾げる私にイーライ神官は躊躇いがちに口を開いた。

「ご家族の方は、お元気ですか?」

「……」


 その言葉に、ここに来る前、領地行きの馬車に押し込めてきた両親の顔を思い出す。


『ところでレキシー。お前やはり……あの話を受けないか?』


 ……こんな時だけど、そんな親である。

 改めてそんな感慨深い思いに駆られたものだ。


 心配そうにこちらを窺うイーライ神官に、私は笑顔を返した。そんな話も以前、この人にしたんだっけなあ、なんて。……月日の流れは早いものだ。


「相変わらずですが、何も問題ありませんわ」

 私はもう、十九歳の、何も出来ずに途方に暮れてた貴族令嬢ではない。


「──そうですか、それなら良かったです」

 ふっと溜息のような笑みを吐いて、イーライ神官は目を細めた。……本当にお優しい方だ。


 とはいえ、いくらイーライ神官が既知の仲で信頼があるとは言え、フェンリー様の結婚相手は神頼みだけで済ませませんよ?

 指をぱきぱき鳴らす勢いで私はこの後の計画に思いを馳せた。

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