第2話 妹なんぞ、もう知らん
かれこれ十年程前、我がブライアンゼ伯爵家は破産した。
父が投資に手を出し失敗したのだ。
そして当時まだ社交界に効く顔を活かし、祖父が手早く婚約を纏めた相手が、ラッセラード男爵家だった。
相手は所謂、新興貴族というやつで、爵位は低いがお金持ち。うちは格式高いとまではいかないが、言いようによっては由緒正しい家柄である。そこでお互いの利害が一致した政略結婚が成り立ったのだ。
お互いの家の、年齢が合う二人。
お金と、家柄。お互いの欲しい物を与え合うという、新興貴族のラッセラード男爵家と旧貴族である我がブライアンゼ伯爵家の婚約がここに成り立った。
そんなラッセラード家の嫡男、フェンリー様は十七歳。学園を飛び級で卒業し、適齢期である十八歳のビビアを待たせすぎないようにと。その足で直ぐに正式に求婚に来てくれたのだ。
何ていい子なんだろうと私は思う。
その子が今一人掛けのソファで俯きがちに座っている。そりゃあ、がっくりとくるだろう。
可愛い可愛いと持て囃されてきた妹への教育は、絶対間違えていたのだなと私は思う。
余談ではあるが、私は長女だからかしっかりせいと、両親に変な期待をされて育ってきた。たまに、嫡男と間違えていないだろうか? と思うくらいびしばしと長子教育を受けてきた。
──ので、十年後に妹が産まれた時、目に入れても痛くないとばかりに可愛がる伯爵家全体の溺愛っぷりに……正直羨ましいと思った。
赤ちゃん相手にみっともないとは言われたけれど。
確かにビビアは可愛いくて、ブロンドに水色の瞳がビスクドールみたいでたまらないけれど。
……自分の特別珍しくもない、赤茶の髪に翠の瞳と比べては、溜息をついていたのもまた、十年も前の話である。お小言を貰うきっかけを作らない為、余計な事は極力言わないようにする、そんな処世術を身につけたつもりでいたものの、言っておくべきだったと今更後悔している。
どうしてこの婚約を結んだのか、きちんと話して聞かせてきたのだろうか。充分過ぎる程の結婚相手がいるからと、可愛いから良いのだ大丈夫だと……甘やかし過ぎだ。
自分の適齢期を振り返れば、もっとしっかりしていた。せざるを得なかったのだけれど。
当時私は十九歳。金無し権力無しの上、凡庸な私の婚活はどれほど大変だった事か……
遠い過去を思い出し、私はふっと郷愁に駆られる。つい愚痴ってしまったが仕方あるまい。こんな状況なのでついでに吐き出しても誰も文句は言わないだろう。
「レキシー様、大丈夫でございますか?」
小声でこちらの様子を窺う乳母のエルタに笑みを返す。
エルタは嫁ぎ先のドリート伯爵家へ共に来てくれて、一緒に出戻ってきた長年の私の理解者だ。
私は十年前に結婚をし、半年前に夫と死別し実家に戻ってきた。実家に戻ったのは、もうすぐ妹が結婚して出ていくのなら後継が決まるまで、暫く厄介になろうかなと考えたからだ。当てが無い訳ではないのだけど、そういえば実家は大丈夫かなと思ったのが一番の理由だったのだけど……どうやら私の勘は当たったらしいと、たった今実感している。
「レキシー様はお人好し過ぎます」
今度はそう窘めるマリーに苦笑を返す。マリーはドリート家で付いてくれたメイドだったが、実家に戻る際、心配だからなんて。私に着いてきてくれたまだ二十歳の年若い女の子だ。貴族なら成人扱いされる年齢ではあるが、平民出身なのでまだ子供扱いされてもおかしくない年頃なのに、とてもしっかりしている。
よくこうして叱られるが、結局知らんぷりが出来ない私に付き合ってくれる彼女たちには感謝しかない。
私が十年前に縁を結んだ旦那様は、……まあいい人で、私は比較的平穏に過ごす事が出来た。
ただ、彼が早逝してしまった事、私たちに子がいなかった事でドリートの家の
そもそも問題のある私を義父母は嫌っていた。
結婚して三年の時、やっと授かった子は産まれる前に亡くなってしまい、その後私が子を授かる事が無かった為だ。
私は彼がいたから夫人と呼ばれ家にいる事を許されていたのであって、いなくなれば私に彼らを抑える力などある筈もなかった。
その為私は、いっそ疫病神とまで罵られ家から出されたのだ。
それで帰った先で、労いの声を掛けられる事も無く──
もうすぐ妹が結婚するのだと両親が嬉しそうに出迎えてくれたもので。多少複雑な気持ちを抱いたが、エルタやマリーは物凄く怒っていたような気がする。
期待しなければ怒らないで済むものだと二人を窘めたら、そういう問題じゃないと何故か私まで怒られてしまったのは解せないが……そんなやりとりからも彼女たちが私を大切に思っていてくれるのは、日々感じるので嬉しく思う。
優しく、慈愛に満ちた心配げな眼差し……
私にそれをくれたのは、エルタやあの人くらいだったのだから……
しかし出戻った時、何だか妹が十年前から成長していないような気がしたけれど。
いやまさかと。
自分の十八歳を思い返しては、全然状況が違かったので参考にならないな、なんて。笑って済まし、見なかった事にしておいた事は失敗だった。
だって、その結果が、これ──
私はがくりと項垂れた。
いや、私のせいでは無いけれど。
フェンリー様とビビアは領地が離れている事もあり、会えない中で手紙と姿絵で親交を図ってきた。
だからって。会った事が無いからって、政略結婚が嫌だからって、眼前で婚約破棄つきつけるだろうか、普通?
きらきらと新しいドレスとアクセサリーで豪華に飾りたてて。その決して安く無い服飾費はフェンリー様のご実家の賜物なんだけど?
事業に失敗し、破産した家の中でも何不自由無く過ごしてこられたのは、間違いなく、ラッセラード家の援助があったからだというのに……
ああ、本当に信じられない。あれが妹? 穴があったら入りたい。
正式に準じるこの場で、相手の気持ちを踏み躙るような物言い。
頭を抱えて叫び出したいが、それよりまず隣で固まるフェンリー様だ。
怒り出し、帰ると言ってもおかしくない状況で、振り返れば、彼は困ったように笑って立ち竦んでおられた。
後ろに立つ護衛兼侍従殿の視線も冷たい。いっそこのくらい怒ってもらった方が謝り易いのかもしれないが。
申し訳ないやら情け無いやらで、形振り構わず土下座しようとして、先程エルタに止められたところだ。フェンリー様にも困りますと断られた。……申し訳ない。
とりあえず、すぐ横で灰と化し、何の役にも立たなくなった両親を執事に任せ、フェンリー様へ全力で気遣いを発揮して接している。
これでも十年家政を取り仕切ってきたのだ。家の事なら何とか回せる。
が、しかしなんて言うか……釈然とはしない。
何故うちの親はこうポンコツなのか。
加えて去り際、父がぽつりと、お前がもっと若ければなあ。なんて相当失礼な事をぼやいていった。何だか私が悪いみたいじゃないか。私は巻き込み事故の被害者だ。
ただ、フェンリー様に対しては、今ここにいるのが私でごめんなさい。とは思うが……
行き場の無くなった薔薇の花束をそっと取り上げ、飾っておきますと急いでマリーに押し付けた。マリーもまた、腫れ物に触るように慌てて持ち去って行ったけれど。
お茶を入れ替え、何とかお互い座り直す。どうしたものかと視線を彷徨わせていると、ふと顔を上げたフェンリー様と目が合い、びくりと肩が跳ねた。
「……すみません、みっともない姿を晒してしまいました」
「い、いえ。何を言うんですか! 悪いのは誰がどう見ても妹──我が家ですわ! この度は本当にご不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ありません……」
「いえ……俺は……」
ふと自嘲気味に笑う姿に胸が詰まる。
「母の身体が弱くて。父母には領地でゆっくり過ごして欲しいのです。それで早く当主を継がなければと、急がなくてはと勉強に夢中で、ビビア嬢を顧みる事なく過ごしてきてしまいました。月に一度の手紙くらいじゃ婚約者なんて言えませんよね。仕方がありません……」
「そんな事は……」
むしろ年端もいかない少年がそれだけ努力してきたのかと、こちらは泣きそうになる。けれどフェンリー様に私が、違う、そんな事は無いと言い募ったところで効果は無いのだろうな。それを労うのはビビアでなくてはならなかったのに、まったくあの子は。
力無く笑うフェンリー様のお顔立ちは、綺麗に整ってらっしゃる。黒髪黒目、少し垂れた目の向かって左に小さなホクロがあり、妙な色気を感じる人だ。
二人が手紙のやりとりをしていた事は、勿論私も知っている。勉強の合間にそれを毎月続けてきたなんて、充分婚約者を慮っている。
容姿だって内面だって、とっても素敵な紳士じゃないか。妹は一体何が気に入らないのか。
……そういえば出戻った時、ビビアが面白い本を貸してあげると持ってきたのが恋愛小説で、そこに出てくる王子様が金髪とか銀髪とか、妙にきらきらしていたけれど……その事は関係ない筈だ、多分。
「……僕の事が気に入らなかったのでしょう、何だか申し訳無いですね。長い間婚約関係にあったのに、彼女の信頼を欠片も得られなかった。お恥ずかしい話です。至らない婚約者に今までの鬱憤をぶつけてしまったのだと思います」
「……そんな勿体ない事……」
理不尽に婚約者に振られ、傷つく姿に過去の自分が重なっていく。
十年も前だったけれど、あの頃は婚活が上手くいかなくてよく凹んでいた。いっそラッセラード家に私の分の婚姻も頼めないかと、それとなく両親に聞いてみたが、ビビアの事を頼んであるのに無理を言うなとばっさりと切り捨てられた。
……捨てられるというのは、悲しい。
けれど落ち込んでいるこの人に、私が掛けてあげられる言葉なんて……いや、言葉よりは……
私は目の前で落ち込む真摯なこの人に、同じ思いをして欲しくなくて、拳を作った。
「大丈夫です、フェンリー様! あなたには私が、もっと相応しい婚約者を見つけて差し上げますから!!」
妹なんぞもう知らん。
気合いを入れて立ち上る私をフェンリー様は呆気に取られて見上げていた。
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