第219話 52日目③海竜の巣作り
朝食後、俺たちはまず
出産を控えている二頭のメスたち──
「昨日は砂浜で巣作りを始めたとこまでしか見てないけど、プレシオサウルスって陸に営巣するんだね」
「それな。俺もちょっと意外だった。てっきりイルカみたいに直接水中に出産するものだとばかり思ってたからな」
「ゴマフの時は、母親が座礁して死にかけてるところで最期の力を振り絞ってゴマフを産んだけど、あれは当然本来の産み方じゃなかったから、今回のが本来の産み方になるんだよね」
「ああ。貴重な機会だからちゃんと記録を取らないとな。もしかすると白亜期末期の大絶滅でイルカやウミガメの先祖が生き延びたのに、同じようなライフスタイルのはずの海竜が絶滅した答えがそこにあるかもしれないしな」
水中に直接出産して、そのまま群れの一員に加わるイルカやクジラ。親が夜中にこっそり上陸して砂に穴を掘って大量の卵を産んで上に砂をかけて隠し、卵から孵化した多数の子亀が一斉に海に散らばってその時から一匹だけで生きていくウミガメ。
それに対し陸に営巣して子を1頭だけ産み育てるプレシオサウルスのスタイルはリスクが大きいように感じる。敵のいない安全な営巣地を確保できないと母子共に危険に晒されることになる。実際、竜神の祠に残された犠牲者の骨の中にプレシオサウルスのものもあったということはつまりそういうことなんだろう。
それでも陸での営巣にこだわるということはそれなりにメリットもあるのだとは思うから、そのあたりを是非とも観察したい。
林の道を抜け、砂浜に出て内湾を見回せば、ちょうど満潮のタイミングだったようで最大まで水位が上がっている状態だった。
ノアズアークの面々は、と探してみれば、概ね家族単位でまとまって行動しているようだ。
沖合いにノアとその
ノアの息子でサブリーダー格の
もう1頭のサブリーダー格である
出入口である海に向いた開口部以外は砂の壁に囲まれているので、モエギが背中にも砂をかけた状態で身体を臥せていると周囲、特に陸側からはただの砂山にしか見えなくなっている。陸側から脅威が接近したとしても、ある程度の距離まではここに隠れてやり過ごし、いざ見つかったとなれば即座に海に逃げ込めるようにということなんだろう。まるで駐機中の戦闘機を攻撃から護るための
考えてみれば、胎内である程度の大きさまで育ててから出産するプレシオサウルスの場合、卵を産んで孵化させ、巣立ちまで守らねばならない鳥類と違い、本来の意味での巣は必要ない。あくまで産気付いた雌が出産するためだけの仮の巣、
出産が近い雌は身体の重心バランスが悪いようで泳ぎにくそうにしているのは昨日の時点でも確認できている。そんな雌にとって水に浮かんだ状態より着底できる浅いプールの方が余分な体力を消耗せずに余裕をもって出産に臨めるということかもしれない。
ゴマフもそうだったがプレシオサウルスの子竜は産まれたらすぐに自力で這い回り、泳げるようになる。もちろん最初は危なっかしいから見守る必要もあるが……あ、そうか。この砂の壁は外敵から隠すためのカモフラージュに加えて、最も危険な産まれた直後の子がふらふらと外に出ないためのベビーサークルでもあるんだな。出入口を母体で塞いでしまえば壁に囲まれた浅いプールで安全に子供を遊ばせることもできるってわけだ。
俺たちも産まれた直後の好奇心旺盛で行動的なゴマフにはだいぶ苦労させられ、最終的には海の一部を柵で囲ってベビーサークルのようにしているが、最初からそこまで見越してこういう巣作りをしているということなら確かに理に叶っている。
出産を控えたモエギのそばには姉であるドーラが控え、ヒイロはもう1頭の番である
「キュイッ! キュイィー!」
「ゴマフー! おいでおいで。んもー、あんたはホントにあたしのこと好きだねぇ」
ついに波打ち際に着き、上陸したゴマフが美岬に向かって一心不乱に駆け寄ってくるので美岬が膝を突いて両手を広げてゴマフを迎える。
「キュイー!」
「おー、よしよし。あはは。くすぐったいからやめてぇ」
美岬に抱きついて首を伸ばしてスリスリと頬擦りをして甘えるゴマフ。群れに戻ってもゴマフにとって美岬が大好きな母親であることは変わらないからな。
いつの間にか上陸して近づいてきていたシノノメもそのへんは分かっているようで美岬とゴマフの
「シノノメ」
「クアッ」
なんとなく呼びかけると返事すると同時に顔ごとこっちを向き、理知的な光を宿した瞳でジッと見つめてきた。
ふと思い立ち、手のひらを何度かグーパーして何も持っていないことを見せてから、ゆっくりと鼻先に近づけると興味深そうにクンクンと匂いを嗅いでくる。そのままチョンと鼻先に触れ、嫌がらなかったのでそのまま鼻筋を指先で軽く掻いてやる。
「クルッ! クルルル……」
嬉しそうに喉を鳴らしながらもっとしろとばかりに顔を押し付けてきたので、鼻筋を掻く指先にもう少し力を入れ、空いたもう片方の手で下顎に触れ、そのまま喉元を撫でてやる。すると、一度すっと離れ、次の瞬間、長い首が俺の左脇に突っ込まれたと思ったらそのまま俺の背中をぐるっと回って右脇から顔を出した。
「うおっ!?」
一瞬、ニシキヘビに巻き付かれるイメージが脳裏に浮かんで身体に力が入ったが、シノノメの首の長さでは俺を絞めることはできないし、そもそもそんなつもりは端なからないようで締め付ける素振りはない。それどころかうっとりと目を閉じて俺の胸に顔を押し付けてスリスリし始めた。……この首を巻き付けるのは、首長竜にとっての親愛のハグなのか?
再び頭と喉元を撫でてやればますます嬉しそうに顔を擦り付けて甘えてくる。
「クルルルル……」
…………えー、なんだこの甘ったれ? もしかしてこいつ、ゴマフが美岬に甘えてるのが羨ましかったのか?
群れの中では若くて小柄とはいえ、それでも一応は戦士枠。筋肉質で鋭い牙を持ち、全身に戦いの傷痕のあるゴツい雄がこんなに無防備に他者に甘える姿を他の奴らに見られていいのか? と周りを見回せば、ノアがのっそりと波打ち際から上がって近づいてきて、自分も撫でろとばかりに首を伸ばして顔を俺の背中にグイグイと押し付けてきた。
お ま え も か 。そしてサラとエステルもそわそわするんじゃない。群れの中核のお前らとスキンシップしたら全員に同じことさせられるんだろ? 昨日の二の徹は踏まんぞ。
シノノメへのスキンシップをほどほどで切り上げて、長い首によるハグから脱け出して美岬のそばに退避する。
「クゥン」「クアァ」
名残惜しそうに鳴くシノノメと相手にされずに不満げなノア。
「あはは。ガクちゃんモテモテじゃん」
「まさかのモテ期到来!? いや、ダメだ。俺には最愛の嫁が! ってそもそもこいつらオスじゃないか」
なんか昨日もしたなこんなやり取り。俺と美岬でその時と立場は逆だが。
「そんなことより、なんでこいつら野生動物なのにこんなに警戒心無いんだ? 俺はちょっと心配になってきたぞ」
「んー……それは、この子たちにしてみればもう昨日の時点で人見知り期間は終了して、ガクちゃんのことは身内で恩人と認識してるからじゃない? 畏敬の対象ではあるけど恐れの対象ではないみたいな? そもそも、ノアは昨日ガクちゃんに対して群れを代表して降伏の仕草をしてたわけだし、ガクちゃんはそれを受け入れて自分の縄張りであるここにノアズアーク全員が住むことを許したんだからその時点でノアズアークはガクちゃんの庇護下に入ったって認識なんじゃない? そしてみんなに魚を振る舞って喜ばせて、おまけにみんなが欲しがってた名前まで授けたんだから、もはやみんなの王様的な? いやむしろ神? …………ハッ! ゴッドファーザー!? まぁ! なんてことでしょう! うちの旦那様がプレシオサウルスたちから
「……みさち、お前この状況を完全に楽しんでるだろ?」
「うん。めっちゃ楽しい。やっぱり夫がみんなから慕われるのは妻として鼻高々だからね。ふんすっ!」
「だろうな。ちなみに俺のヨメでありゴマフが母親と慕うお前はこいつらからしたら女神とか聖母ポジションだからな? 俺が王なら王妃、俺がオベロンならティターニアだぞ」
「おうふ!?」
言われるまでその可能性を考えていなかったらしい美岬が愕然としている。それはさておき、美岬の考察にも一理ある。俺としてはノアの降伏の仕草は敵対心が無いことを示すボディーランゲージ程度にしか考えていなかったが、ノアの方はここに移住するために本気で降伏して群れごと傘下に入ったつもりなのかもしれない。
そしてそんなノアズアークの面々に対して俺と美岬が最初にしたことは魚を振る舞い、名前を付けることだった。あの時のあいつらの喜びようといったら…………あー、これはやらかしたか? こっちはそのつもりはなかったとはいえ、ノアズアーク側の認識だと俺たちの傘下に入るために降伏して、それが受け入れられたということになるのか? 特に魚を振る舞ったのは、
俺としては、野生動物の群れであるノアズアークに過度な干渉はせずに一線を引いた距離感を保つべきだと思っていたのだが、向こうが既に俺たちとご近所さんではなくファミリーになったつもりでいるというなら、こちらもそのように接するべきなのか?
今後の彼らとの付き合い方については美岬と要相談だな。
【作者コメント】
週一更新すらなかなかできない定期。世間様は秋の行楽シーズンですが、観光地である伊勢の飲食店経営者にとっては繁忙期。うちの店は観光スポットの伊勢神宮からは少し離れていますが、Googleマップのクチコミを見て来てくださるお客様もいるのでそれなりに忙しいです。ホントにマジで書く時間がほしい。
楽しんでいただけましたら引き続き応援お願いします。
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