第192話 50日目④神島風カレーポトフ

 念願の玉ねぎの近縁種──野生種の玉ねぎワイルドオニオンの一種であるミツカドネギを美岬が見つけてきてくれて、柄にもなくはしゃいでしまった。いや、だって玉ねぎだぞ! 料理人、それも洋食を得意とする料理人にとってその重要性は計り知れない。おおよそ洋食と呼ばれている料理には大抵使われている基本中の基本食材だから、これが無いだけで何を作るにしてもかなりの縛りプレイになる。

 今までも可能な限り美味しく調理してきたつもりだが、それでも『あと玉ねぎさえあればなぁ』とは常々思っていた。美岬はいつも俺の料理を喜んでくれるが、俺の中の理想形ではなかったからずっとモヤッていた。

 そんな探していた最後の1ピースが今ここにある。


 美岬はそこまでの大発見とは思っていないようだが、俺にとってはこの神島で見つかった様々なレア食材──海竜の肉やトリュフなんかよりずっと嬉しい発見だ。ちなみに和食寄りの食材で一番嬉しかったのは椎茸だな。


 料理人にとって、特別な料理のためのレアな食材を扱えることそのものは楽しいし喜ばしいことだが、毎回の食事に当たり前に使われる汎用性の高い食材こそが本当にありがたい存在なのだ。しかも聞くところによるとミツカドネギは凄まじく繁殖力が強いらしく、いくらでも手に入るレベルで大量にあるとのこと。なにそれ最高かよ。

 そして実際に味見してみて分かったその個性だが、ニラに香りが似ているがニラほど個性は強くなく、ノビルのようなマイルドさと青ネギに似た風味もあり、辛味もそれほど強くない。玉ねぎ同様にあらゆる料理に違和感なく使えそうだというのもポイントが高い。

 さっそくポトフにも使ってみることにした。


 元々ポトフのベースはソーセージと焼き骨の出汁フォンドボーによるスープにするつもりだったが、玉ねぎがあるなら話は別だ。コクが強くなりすぎるフォンドボーはやめて焦がし玉ねぎオニオンキャラメリゼを使うことにする。


 食の東西文化を問わず、基本的に煮込み料理というものは長く煮ることで異なる食材の味をしっかりスープに溶け込ませ、尖った個性を混ぜ合わせて調和させてバランスよく仕上げることを目的としていることが多い。

 しかしポトフという料理は他の多くの煮込み料理とは違い、あえて食材それぞれの個性を残すことに極意があると個人的に思っている。だからこそベースとなるスープもあまり濃くせず、どの食材の個性とも親和性の高いものにするのがいいだろう。


 乾燥ソーセージをボイルして戻している湯にオニオンキャラメリゼを混ぜて作ったベースのスープは、美岬にはどこがいいのか分からなかったようだが、俺にしてみればまさに求めていた味だ。

 美岬のリクエストはカレーポトフだから最終的にカレー粉で中心的な味を付けることになるが、スープカレーほどがっつりとカレー味を強くせず、ソーセージのスモーキーフレーバーとオニオンキャラメリゼの香ばしさと野菜本来の優しい味がほどほどに個性を主張しあいながら均衡が取れている状態が理想の形となる。


 風味付け程度の少しのカレー粉と少なめの塩でしばらく煮て、ムカゴが柔らかく煮えたタイミングでハマヒルガオを投入して一煮立ちさせ、最後に塩麹しおこうじで塩味と旨味の調整をして、コショウの仲間であるフウトウカズラの実を砕いた粉で風味を調えて完成だ。


「さあ出来たぞ! 神島風カレーポトフだ」


「わぁー! もう匂いからしてぜったい美味しいって分かるよ!」


「ブランチというより昼食に近い時間になってしまったけどな。潮もかなり引いてるだろうからちょっと急ぎで食べて潮干狩りに行かないと」


 今の時間は11時半。美岬のリクエストとはいえ、そこそこ時間のかかるポトフは夕食にするべき料理だったな、とちょっと反省する。

 具だくさんのポトフをそれぞれの器によそい、いつものキャンプテーブルに向かい合って座り、手を合わせる。


「いただきます」「いただきまーす!」


 まずはスープを一口。カレーの香り、炒め玉ねぎ独特の香り、燻製ソーセージの煙の香りがバランスよく混ざり合ったまさにカレーポトフの香りとしか表現しようがない風味。そこに野菜から溶け出した甘味と塩麹の旨味が加わり、見事な調和を魅せる。

 やっぱり玉ねぎは大事だな。スープのベースとなるオニオンキャラメリゼは当然だが、具材として生のまま煮込んだ方もいい味を出している。


「うん。いい味だ」


「……はふぅ、美味しい。……でも、あたしが知ってるカレーポトフとはぜんぜん違うね。これが本物のカレーポトフなら、今まであたしがカレーポトフだと思ってたのはスープカレーに近いカレー味スープだったんだなって。カレーポトフといってもカレー粉はこんな感じであまり強くしすぎないように、あくまで具の引き立て役として使うのが正解ってことかな?」


「ん。まあ異論は大いに認めるが、少なくとも俺の中でのポトフの定義はそんな感じだな。あくまで主役は具材でスープはそれを引き立てる脇役だ」


「ふふ。脇役といってもモブじゃなくて絶対に欠かせない名脇役だよね。主人公の親友的な」


「そうだな。その解釈で合ってる」


 ホクホクのヤマイモのムカゴは噛むとほろりと崩れて自然薯じねんじょならではの強い野性味が口に中に広がるが、次の瞬間にスープと混ざり合ってまろやかになる。


 しんなりと煮えたハマヒルガオの葉と茎は煮込み時間が短いので鮮やかな緑のままで、噛み締めると僅かな苦味があるが、それもスープが中和してくれる。


 野生のブナシメジは栽培種の物に比べて味が濃くて力強い。長く煮ても失われないしっかりした歯ごたえと濃厚なキノコの強い個性がスープで薄められることでいい塩梅あんばいになる。


 半分に割って煮込まれたミツカドネギの玉ねぎはしっかりと火が通って半透明になり、煮崩れ寸前でとろとろになっているが、それでも口に入れれば玉ねぎらしい甘味があり、スープのオニオンキャラメリゼの風味と相まってやはり玉ねぎは大事だなと実感させてくれる。


 乾燥状態をボイルで戻してそのまま煮込んでいた海竜ソーセージの外側はすっかり味がスープに溶け出してほとんど無味だが、皮を噛み切れば中に閉じ込められていた旨味たっぷりの熱いあぶら混じりの肉汁が口いっぱいに広がり、一口かじって器に戻したソーセージからも肉汁がスープに流れ出して一瞬でスープをソーセージの味に染め変える。それでもスープ自体の旨味により、肉汁単体よりもずっと旨いスープに味が昇華する。


「でもやっぱりポトフの主役はソーセージだね! 美味しすぎる!」


「違いない。この海竜ソーセージは特別旨いからな。ソーセージの味でスープが一瞬で味変するのもポトフの醍醐味だいごみだよな」


「わかりみしかないね!」



 そんなこんなで和気あいあいとカレーポトフに舌鼓を打ちつつ朝兼昼の食事を済ませ、12時過ぎに道具を揃えて潮干狩りに向かう。

 大潮の干潮だから普段の波打ち際からかなり先まで干上がっている。


「キュイ! キュイ!」


 俺たちの姿に気づいたゴマフが囲いから出せとアピールするので出してやればさっそく美岬にまとわりついてじゃれつき始める。


「よし。ちょうど今ぐらいが引き潮のピークぐらいだろうから、今の波打ち際の先、歩いていける限界まで進出してこういう時にしか採れないものを集めていくとしようか」


「タイラギや海綿は当然のこととして、海中の岩場にアワビや岩牡蠣イワガキなんかが付いてたら回収っすね」


「そうだな。あと食べれる海藻なんかがあったら欲しいな。干して乾物にしておけば便利だし」


「あいあい。じゃあいっちょ海の幸を収穫しちゃいますかー」


 それぞれの手に大きめの篭を抱えて、裾を膝上までまくり上げた俺と美岬はゴマフを引き連れて恵みの海に踏み出した。






【作者コメント】

 冬の終わりから春にかけて、うちの地元は野生のスイセンがそこかしこに咲き乱れます。前話の執筆のための資料として調べていて初めてスイセンがヒガンバナの仲間だと知りました。確かにいわれてみればあの異常な繁殖力はそっくりだわ、と妙に納得しました。ついでにネギもヒガンバナの仲間と知り、そういえばネギの花──通称ネギボウズはヒガンバナと形が似てるわ、と納得しました。

 スイセンの葉は本当にニラとそっくりなのでよく間違えられますが、スイセンには強い毒があるので食べられません。ただし、スイセンにはあのニラ独特の匂いがなくほぼ無臭なので分かっていれば避けるのは簡単です。

 ちなみにうちの庭にも植えてもいないのに野生のスイセンが群生しています。花は綺麗ですが役に立たない有毒植物なので、いざという状況に備えてミツカドネギへの入れ替えを進めています。  

 ミツカドネギの苗を手に入れたので庭とプランターに植えてみました。増えたらスイセンと順次入れ替えていきましょう。どうせ雑草並みに蔓延るなら食べれる植物の方がいいですし。

 ……とまあ、そんなことを以前からやっているので、うちの庭には何気に食べれる野草や香草がいろいろ定着していたりします。いざという時に役立ってくれることを期待します。 


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