第194話 50日目⑤海の巻き貝とエスカルゴ

 10月の海は素潜り漁をするにはさすがに冷たいけど、すそまくって膝下程度の水の中をじゃぶじゃぶと歩き回る程度ならまだそこまで冷たくない。

 篭を抱えて歩きながら水中のめぼしい獲物を拾い集めていく。

 海底の砂から殻の一部を出しているタイラギは大根を土から引き抜く要領で海底から引っこ抜く。

 岩には色鮮やかなホタテ貝そっくりのヒオウギ貝がくっついている。ホタテ貝は危険が迫ると泳いで逃げるけど、ヒオウギ貝は足糸で岩に固着していて逃げないから遠慮なく岩からむしり取って篭に放り込む。

 アワビを見つけたらそっと近づき、相手が警戒して岩にしがみつく前にナイフの刃を腹足と岩の間に刺し込んで一気に岩から引き剥がす。

 サザエは岩にカムフラージュしているけど、見分けることさえできれば岩にしがみつく力は弱いから簡単に岩からポロリと外れる。

 まったくの手付かずの海だから貝なんて探すまでもなくそこかしこにいくらでもいるので小さいやつは見逃して大きいやつだけを選んで捕る余裕さえある。


「これはもう狩りというより収穫っすね」


 なかなか立派なサイズのサザエを篭に入れながらガクちゃんに話しかける。まだ始めてさほど時間は経っていないのに、すでに篭には持つとずっしりと重みを感じるぐらいに獲物が溜まっている。


「ほんとそれな。実際、フランスでもエスカルゴは捕るものじゃなくて収穫するものらしいからな……よっと」


 ガクちゃんも砂から大きなタイラギを引っこ抜いている。ずいぶん唐突に話題がエスカルゴに飛躍した気がするけど。


「ほーん。エスカルゴって食用カタツムリのことっすよね? ……うーん、食べれるとしてもあたしはカタツムリを食べたいとは思わないっす。なんか気持ち悪いし……え、なに? なんか微妙な顔してるけど」


 気付けばガクちゃんがなにやら奥歯に物が挟まってるような表情を浮かべている。


「……いや、サザエを捕りながらそんなこと言ってるから。そもそもカタツムリだって陸棲の巻き貝だからな?」


「…………ほえ? あれ貝なの? 虫とまではいわないけど、てっきりナメクジとカタツムリってカテゴリーの謎生物だと思ってた」


 ああ。だからエスカルゴの話題に繋がったのか。


「あー……うん。女子って割とそう思ってるやつ多いよな。俺からすれば腹足で這い回って殻がある軟体生物のカタツムリはどう見ても巻き貝だと思うんだけど。ナメクジだって言うなれば陸のウミウシだし」


 そういえばウミウシも殻のない巻き貝の一種だっけ。


「……言われてみれば色はともかくウミウシってナメクジっぽいかも。そっかカタツムリやナメクジって貝なんだ」


「語源的にもカタツムリのツムリは食用の巻き貝を意味するツブリが由来で、水棲の巻き貝に比べて身が硬いから硬貝カタツブリ。それがなまってカタツムリだから、昔は日本でも食用にされてたんだろうと思うぞ」


「えー知らなかった。いや、だってカタツムリとかナメクジって畑の作物を荒らす害虫扱いだし、わざわざじっくり観察したことなかったっすし」


 そもそも食用以前に生理的に苦手だったから避けてたし。


「うん。まあ言いたいことは分かるけどな。そもそも日本のカタツムリは小さいから今じゃよっぽど飢餓で追いつめられない限り食材の選択肢にすら上がらないだろうし」


「ん? その言い方からするとエスカルゴ用のカタツムリって大きいんすか?」


「ああ。最高級のエスカルゴはリンゴマイマイポマティアという大型のカタツムリなんだが、殻のサイズは蜜柑みかんぐらいあるし、殻の形も日本の普通のカタツムリみたいに平べったくなくて、突起のない丸っこいサザエみたいな形だな」


 ガクちゃんが説明しながら指でこれぐらいと丸を作る。


「でっか。そりゃ、サザエサイズのカタツムリがそのへんにゴロゴロいたら食べてみようって気にもなるかもっすね」


「といっても、今では野生のポマティアはほぼ絶滅寸前で養殖も難しいからフランスではほぼ食べれなくなってるそうだけどな。今はエスカルゴといえばもっと小さくて養殖しやすいヒメリンゴマイマイプティ・グリが主流らしい。これはバイ貝サイズで殻の模様もバイ貝によく似てるぞ」


 なるほど。エスカルゴの概要は分かった。でも、海の貝が普通に食べれるのにあえてカタツムリを食べてみようとまでは思わない。ちょっとだけ興味は沸いたけど、よっぽど美味しいなら食べてみてもいいかもだけど。


「んー、やっぱりあたしはわざわざカタツムリ食べなくてもバイ貝でいいっす。味の方は海の貝と比べてどうなんすか?」


「うーん。海の貝特有の磯臭さがないのが一番の特徴でそこで好き嫌い分かれるかもな。味もまあそれなりに旨いけどバイ貝に比べると物足りないかもしれん。何よりとにかくかたいのがネックだな。長時間煮たり圧力鍋で炊くなりすれば柔らかくもなるけど、手間がかかるからあまりおすすめはしないな。今みたいに普通に海の貝が食える環境ならなおさらだ」


「えー……ここまでさんざんエスカルゴについて熱く語っておいて最終的な着地点がそこっすか。……じゃあ今までの会話なんだったの?」


「別にみさちにカタツムリ食を勧めてたわけじゃないぞ。そもそも今までの反応見る限りカタツムリとかナメクジ苦手だろ?」


「……バレてるし」


「海の近くに住んでるなら海の巻き貝が手軽に手に入るけど、内陸に住んでるならカタツムリは簡単に捕れて味もいい優秀なタンパク源だから、まあサバイバルのウンチクとして知っておいてもいいかなってだけの話だよ」


「あー……うん。そういう状況になるかどうかはともかく、一応知識としては覚えておくね」


 遭難して漂着したのがこの場所でつくづく良かったと思う。ここなら貝も魚もエビも捕れて、畑の作物や木の実や豆や芋やキノコなどの食材も充実してるからあえて虫とかカタツムリにまで挑戦する必要もないし。

 もちろん毎日美味しい食事が楽しめるのはガクちゃんの調理技術と知識あってのものだけど。


 駄弁りながらも手は動かしていたので、まだ30分程度しかしていないのに篭には十分な獲物が集まった。さすがは大潮の干潮の時しか来れない場所だけある。

 ここから先は水深が急に深くなり、外に繋がるトンネルの入り口付近は干潮でも7、8㍍ぐらい水深があったはずだ。干満の度に大量の水が出入りするから水流で浚渫しゅんせつされて深くなっているのだろう。海底の様子も砂地からゴツゴツとした剥き出しの岩が多くなる。水流で岩が削られて細かくなった砂が堆積して今の砂浜と海底の砂地を形成してるのかな。


「ガクちゃん、あたしの方はこんな感じだけどそっちはどっすか?」


「うん。こっちもかなり採れたぞ」


 お互いの篭の中身を見せ合う。

 主に海底の岩場で収穫していたあたしの篭には、アワビ、サザエ、ヒオウギに加えて横からだと正三角形に見える円錐形の殻を持つ巻き貝ギンタカハマといった岩場に棲息する貝類、あと海綿。

 砂地の方で収穫していたガクちゃんの方はタイラギがメインで、それ以外は砂地に潜っている大型の巻き貝アカニシ、赤茶色のナマコ、モズクっぽい海藻など、なんかジャンルバラバラで色々入っている。……そして、モズクに隠すように直径3㌢ぐらいの平べったい薄い殻の巻き貝がいくつか見えている。分かりやすく表現すればカラフルなカタツムリ。

 あたしがカタツムリを食べたくないって言った時のガクちゃんの微妙な表情の理由はこれか。


「ガクちゃん、なんでこれ隠してるんすか?」


「……う。いや、これは俺が食べたいだけでみさちに無理に食べさせるつもりはないから」


「いや食べるし! これキサゴじゃん! あたしも普通に好きだし!」


「え? 食べるのか? これ見た目めっちゃカタツムリだから無理かなって思ってたんだけど」


「キサゴはキサゴ。カタツムリはカタツムリだよ。ぜんぜん違うし。キサゴの殻は綺麗だから子供の頃に集めてコレクションにしてたよ」


「えぇー……あー……うん。おけおけ。ならもうちょっと拾っておくか」


 なんかガクちゃんがチベットスナギツネみたいな顔になっている。

 むぅ、解せぬ。キサゴとカタツムリは殻の形とサイズは似てるけどぜんぜん違うのに。……違うよね。





【作者コメント】

 陸棲巻き貝といえば日本だとカタツムリとナメクジが代表選手になるわけですが、他にもヤマタニシとかキセルガイといった種もいます。

 ヤマタニシはタニシそっくりの尖った殻を持ち、触角もカタツムリのような4本ではなく普通の巻き貝と同じ2本なのでカタツムリよりも普通の巻き貝に見た目からして近いです。種としてもカタツムリとはだいぶ違う生き物らしいです。

 キセルガイは煙管キセルに似た細長い殻を持つ超小型のカタツムリの仲間で、庭で石とかをひっくり返したらたまに見つかります。動いている姿はとってもキュートです。

 え? なんでそんなに陸棲巻き貝に詳しいかって? 何を隠そう作者は昔から陸棲巻き貝のファンなので、過去にも観察目的で色々飼育してたりしました。地元の伊勢は陸棲巻き貝の種類が多いから楽しいです。


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