第191話 50日目③ワイルドオニオン

 あたしがそれを見つけたのは偶然だった。いつものように畑の世話をしていたある日、バケツに水を汲むために小川に行ったら川辺に見慣れない草が芽吹いていた。夏には地上部が枯れて休眠し、秋に芽吹くタイプの植物だから今までその存在に気づけなかったのだ。

 その植物は、平たく細長い葉が地面から真っ直ぐに5㌢ほど直立していて、その特徴はスイセンとかニラなどのヒガンバナ科ネギ属のそれだった。

 ヒガンバナ科には毒持ちが多い。でもニンニクとかノビルとかラッキョウみたいなワイルドオニオンと呼ばれる食用に適した品種も多い。慎重に判断しないと。

 調べてみた結果、スイセンでもニラでもなかったが、ネギの仲間らしい強い香りはあった。でもまだ若すぎて品種の特定はできないからもう少し育つまで様子見。それが1週間ほど前の出来事だった。



 ポトフの材料としてハマヒルガオを採るために林の外に向かったあたしは、ふと例のネギ属の植物のことを思い出した。見つけた時はまだ芽吹いたばかりだったから品種の特定には至らなかったが、少し育っているであろう今なら分かるかもしれない。それにポトフなら玉ねぎの代用品があった方がいいだろうし。

 ということで、ハマヒルガオを採集した後でそのまま小川に足を伸ばし、1週間前よりも育っているその植物の状態をチェックする。葉の数が増え、伸びた葉が放射状に広がり始めているその生え際をナイフで切り取って断面の形を確認する。

 いくつか候補は考えていたが、葉の断面が特徴的な三角形をしていることでその正体にたどり着く。


「おお、アタリだね。三角葱ミツカドネギだ」


 地中海沿岸原産のミツカドネギ──園芸品種名、アリウム・トリケトラムは非常に繁殖力の強いワイルドオニオンの一種で日本でもよく花壇から逃げ出して道端で野生化したものを見かけるが、茎も根も葉も食用になる有用植物だ。断面が三角形になる花茎と花の模様が特徴的だからそれを見れば確定だけど、花茎と同じく葉の断面が三角形であることでほぼミツカドネギ確定でいいだろう。


 ミツカドネギは種子と球根の分球で増える植物で、花は早春から初夏にかけて。夏は地上部が枯れて地下の球根が休眠状態にあり、秋に新芽が芽吹く。おそらくこのあたりの地中には十分に成長した球根がたくさん眠っているはずだ。

 軽く地面を掘ってみれば、出るわ出るわゴロゴロと500円玉サイズの球根が所狭しと埋まっている。これは春先になったらこのあたり一面ミツカドネギの花が咲き乱れることになるね。一般的にアリウムと呼ばれているミツカドネギの花の形はスイセンによく似ているが、花びらが真っ白なスイセンに対し、アリウムの花びらは白の真ん中に緑色の線が一本通っているので遠目にはやや緑っぽく見える。あたしの大好きな花だから花の季節も楽しみだ。


 とりあえず目についた10個ぐらい球根を拾い集める。食べられるのは知っているけど美味しいかどうかは分からないからね。まあガクちゃんならなんだかんだで美味しくしてくれるとは思うけど。



 ハマヒルガオの葉と茎、ミツカドネギの球根の入った篭を抱えて仮拠点に戻ると、ガクちゃんは海竜のドライソーセージをダッチオーブンのお湯で戻しながら、ヤマイモのムカゴの皮を剥いているところだった。


「美岬隊員、帰還したっす」


「……遅かったな。……てかなんでそっちから帰ってきたんだ?」


 出て行ったのと別の林道から戻ってきたのだからガクちゃんの疑問はごもっとも。


「ポトフに使えないかなーと思って別の食材も採ってきたんすよ」


「ほう。どれ……………え? これ、まさかと思うけどスイセンじゃないよな?」


「あはは。そんな初歩的なミスしないっすよー。ちなみにニラでもないっす。見た目も匂いも似てるけど、これは地中海原産のワイルドオニオンの一種でアリウム・トリケトラム。和名はミツカドネギっす」


「マジか! ……おぉ! 確かにニラに似てるけどちょっと違うな。でもちゃんとネギ系の匂いだ。……これは本当に食べられるんだな?」


「食べられるっすよ。ただ、食べたことはないんでどんな味かは分からないからそのへんはガクちゃんにお任せっすけど」


「ははっ! それは任せとけ! そうか! ワイルドオニオンが自生してたのか! これは嬉しいな!」


 まるで小躍りしそうなほどテンションが上がっているガクちゃん。こんなガクちゃんは初めて見るね。


「嬉しそうだね」


「そりゃそうだ! 今までも玉ねぎさえあればって何度も思ってたからな。ポトフにも玉ねぎがあればいいのにって今も思ってたところだ。これでみさちにもっと旨いポトフを作ってやれるとなればテンションも上がるってもんだ!」


 ちょ、喜んでる理由そっち?


「……くっ、この愛妻家め! どれだけヨメファーストなんすか!」


 この男には利己心というものがないのか? いつもあたしを喜ばせること、幸せにすることばっかり考えてて、あたしが我が儘を言っても嫌な顔一つせず、むしろ嬉々としてなんとか叶えようと全力で取り組むし。


「みさちの幸せが俺の幸せだからな」


 こういうことを真顔で言うし、しかもどうやらそれが本心らしくて、あたしが喜んでいる姿を見て本当に嬉しそうにしているから本当にどうしようもない。……本当にどうしようもない人。顔がにやけてしまいそうになるのを頑張って抑える。


「残念ながら手の施しようがありません。ガクちゃんに付ける薬はないよ」


「その通り。すっかり骨抜きで手遅れだ。あきらめてくれ」


「ズルい人。いつもそうするのね」


「すまねぇ。慣れてくれ」


 あたしとしてはこんなに一方的に愛情を注がれてばかりというのは申し訳ないという気持ちもあるんだけど、ガクちゃんが満足そうだからもうこれはこれで一つの愛の形ということでいいのかな、とも思いつつある。

 ただ、彼にしてもらうことを当然と思わないで、感謝の気持ちだけは常に持っていられるように意識していようと思う。


 その後、ガクちゃんはミツカドネギの球根オニオンの一つを洗って刻んで生のまま味見してみて、うんうんと合点がいったように頷く。


「うん。なるほどなるほど。こういう感じか」


「どっすか?」


「うん。ぶっちゃけニラとノビルを足して割ったような、あまりクセが強すぎないバランスのいい味だ。これなら何にでも使えるな。さっそくだがポトフにも使ってみよう」


 そう言って、採ってきた残りのオニオンを水で洗い、そのうちの半数をみじん切りにして、残りを縦に二つ割りにしていく。


「えーと……あたしは何したらいいっすか?」


「じゃあ、このみじん切りにした方をフライパンで茶色くなるまで炒めてもらっていいか? 焦がし玉ねぎオニオンキャラメリゼだ」


「おまかせられっ!」


 ダッチオーブンの隣の火口を使い、オニオンのみじん切りをフライパンで炒めていく。最初は水っぽくて白かったが、水気が飛ぶにつれて茶色くなっていき、香ばしい匂いがし始める。

 炒めながら隣のダッチオーブンに目をやれば、ふつふつと沸いているお湯と海竜のドライソーセージだけが入っている。シワシワに乾くまで燻製にした保存用のドライソーセージはお湯にしばらく漬け込んでおけば水分を吸ってプリプリのウインナーに戻る。パッと見、良さげな状態に戻っているようだ。


 あたしにキャラメリゼをさせている間、ヤマイモのムカゴやブナシメジの下処理をしていたガクちゃんがひょいとあたしの手元を覗きこむ。


「うん。いいな。じゃあそのキャラメリゼを隣のダッチオーブンに入れてくれ。フライパンにこびりついた分はダッチオーブンの煮汁を少し移してかき混ぜればきれいに取れるからそれもダッチオーブンに戻してくれ」


「あい」


 まず茶色くなったキャラメリゼの固まりをダッチオーブンに入れ、お玉で掬ったスープをフライパンに入れて、焦げてこびりついた部分をスープに溶かしてから再びダッチオーブンに戻す。

 ダッチオーブンのスープをガクちゃんがかき混ぜてから味見する。


「うん。悪くない」


「あたしも味見したいっす」


「……いいけど、これはまだスープのベースでしかないからぶっちゃけまだそんなに旨くはないぞ。味付けもしてないし」


「それでもいいっす。むしろ途中経過の味が知りたいっす」


「なるほど。そういう目的なら……はいよ」


 お玉で掬って渡されたスープを味見してみてガクちゃんの言わんとしていたことを納得する。確かにこれは美味しいものではない。


「…………うーん。確かにビミョーっすね。燻製のスモーキーな香りと焦がしネギの風味はあるっすけど本当にそれだけのお湯っす。むしろこの状態での味見で良し悪しを判断できるガクちゃんがワケわかんないっす」


「俺がチェックしてるのはオニオンとスモーキーフレーバーの強さとバランスだからな。これぐらい個性が出ていれば他の具材の個性と合わさって最終的にはいい感じに落ち着くはずだ。ま、このあたりは経験だな」


「そういうもんすか」


「ま、出来上がってのお楽しみということで」


 そう言いながらガクちゃんが下処理の済んだヤマイモのムカゴ、オニオン、ブナシメジをダッチオーブンに追加投入していき、たちまちスープが具だくさんになる。そこに塩とカレー粉を少量ずつ入れ、ガクちゃんが味を見てから蓋をする。


「よし。この薄めの味でしばらく煮て、根菜に火が通ったらハマヒルガオを入れて、最後にきっちり味を調えれば完成だな」


「わぁー! 楽しみ!」


 さっきの味見した状態からどう化けるのか今から楽しみ。

 いつものことながらそのままではさして美味しくない食材を組み合わせて絶妙な料理に仕上げるってすごく不思議だよね。まるで魔法みたい。……そうか。うちの旦那さまは魔法使いだったのか。









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