第152話 14日目⑭おっさんは海竜を食べる

 下処理を終えた内臓肉モツを炊事場に持って戻り、その後、石鹸を手に再び小川に行って血と脂で汚れた身体と衣類を洗ってようやくさっぱりできた。


 雨は一時的に本降りになっていたが今は小雨になり、もうじき上がりそうだ。俺が水浴びから戻るのと入れ替わりで美岬がそっと抜け出して小川に向かう。ちなみにゴマフはちょうど今は遊び疲れて丸くなって眠ってしまっている。

 言ったら怒るだろうが、美岬は初日から完全にママをやってるよなぁ。ゴマフが俺にも少しは懐いてくれれば美岬の負担も減らせられるんだが。


 仮屋根の下は完全には防水じゃないのでそこかしこからポタポタと雨漏りしているが、なにもないよりはずっとましだ。


 かまどではたっぷりのお湯が入った大コッヘルがグツグツと沸騰しており、その横の小さい火床では中コッヘルに入った高濃度食塩水──鹹水かんすいが煮詰められている。まだ鹹水内では塩の結晶化は進んでいないが、飛び散った食塩水が乾いて鍋の縁は白くなり、時折吹きこぼれた塩水が燃えてオレンジの炎が立ったりしている。

 大量の肉が手に入ったのは非常にありがたいことだが、今回の件は完全に予想外のイレギュラーだったので、すでに燻製作りなどで塩をかなり消費していたこともあり、肉の保存に必要になる塩がぜんぜん足りない。今夜中にある程度まとまった量の塩を作っておかないと。


 美岬が戻ってくるのを待つ間に下処理の終わったモツを仕分けてすぐに食べられるものと、さらにアク抜きなどの処理が必要なものに分けていく。


 水洗いだけですぐに使えるものは心臓ハツ、砂肝、卵巣キンカン


 水にしばらくさらして含まれる分泌物さえ流せばすぐに使えるのが胃袋ガツ脾臓チレ


 ある程度しっかりと水にさらした上で、下茹でによるアク抜きが必要なのが肝臓レバー腎臓マメフワ。ただしレバーとマメは火を通しすぎると固くパサパサになってしまうのであくまでも軽く火を通す程度にした方がいい。焼くなら下茹では不要だ。


 臭み抜きのために何度も洗ったり茹でたりが必要になるのが大腸シロモツだ。イノシシなどの獣の場合は小麦粉や牛乳で臭み抜きをするがここでは手に入らないからとりあえず木灰を使っているが、正直、食用に適するところまで臭み抜きができるかは不明だ。

 ただ、水棲生物なので便も固形ではなく、臭いも陸の獣に比べればさほどキツくないのでたぶんなんとかなるんじゃないかとは思っている。



 とりあえず晩メシは心臓ハツ肝臓レバー脾臓チレ、砂肝を使った串焼きだな。それ以外の部位は今夜中に下処理を終わらせて明日モツ鍋にしよう。


 まな板にレバーを載せ、今から食べる分だけ食べやすいサイズに切り分け、塩で揉んでからもう一度水にさらせば含まれていた血が抜けて水をピンクに染める。アク抜きの下茹でをせずにそのまま焼くなら、可能な限り水にさらして血を抜いた方がいい。


 赤血球の代謝を司る臓器である脾臓チレは多くの血液を含む臓器なので味はレバーに似ているが、食感はむしろハツに近く、火を通してもあまりパサパサにはならない。

 チレもレバーと同様に切り分けて塩揉みしてからもう一度水に漬け込んで血抜きしておく。


 ハツはただ食べやすいサイズに切り分けて塩で下味をつけておくだけ。砂肝は肉の繊維の向きに直角に切り込みを入れて筋切りしてから下味を付けておく。


 部位ごとに火を通す加減は変わるので、一本の串に同じ種類の肉だけを刺していく。

 串焼きの準備が終わったところに美岬が戻ってきた。


「ふぃー。さっぱりしたっす。雨、止んできたっすね」


「だな。まだやらなきゃいけないことは多いから雨で邪魔されないのはありがたいな。さて、みさちも戻ってきたし、プレシオサウルスのモツ焼きを食べてみるとしようか」


「あは。どんな味なのか楽しみっすね」


「俺もちょっとワクワクしてる」


 かまどから大コッヘルを退かし、火力を上げて火口の上で肉をあぶって焼いていく。

 まずはレバーから。焼きすぎるとパサパサになるし、かといって生だと寄生虫の心配もあるので、ギリギリのラインを見極めながら丁寧に全体を焙り焼きにする。


「よし。こんなとこだろう。一串ずつ順番に焼きながら焼き立てを食べていこうか」


「待ってました」


 焼いている間に美岬が牡蛎皿を二人分準備してくれていたので、そこに串から焼きレバーを外していく。表面はほどよく焼き色と焦げ目が付き、しかし十分な弾力も残っていて、串から抜いた穴からは赤みがかった肉汁が流れ落ち、いかにも旨そうに焼けている。


「さて、じゃあ食べてみるか。味付けはシンプルに塩だけにしてるから」


「いただきますっ!」


 噛んだ瞬間に噛み切れる柔らかい肉の食感と滑らかな舌触り。水にしっかりさらしてなお濃厚な味わい。牛や豚のレバーに比べると臭みやクセはぜんぜん無く、ただクリーミーで旨みが強くて口の中で溶けていくようで。


「うまっ! ちょ、マジすか。これめっちゃ美味しくないっすか!」


「……ホントに旨いな。ちょっと鶏レバーにも似てるけど、それより柔らかくて脂がけっこう乗ってるから……強いて似てる物を挙げるとすればフォアグラかな」


「フォ・ア・グ・ラ! めっちゃ高級品じゃないっすか! あたし食べたことないっすけど、フォアグラってこんな感じなんすか」


「……いや、正直、俺が過去に食べたことがあるどのフォアグラより旨いぞ。フォアグラはもっと脂っこくて味そのものは薄いから、この適度な脂具合と濃厚な旨みはちょっと比べ物にならないな」


「うひゃあ。トリュフに続いてフォアグラ……に似たフォアグラ以上の高級食材を食べてしまったっす」

 

「ちょっとこれは想定外だったな。下処理してる段階で旨そうだとは思っていたがこれほどとは思わなかった。分かっていたらこんな串焼きなんて雑な方法じゃなくてもっとこういい感じの料理にしたのになー」


「あはは。ガクちゃんの中の料理人魂が不満タラタラっすねー。レバーはこれで全部っすか?」


「いや、さすがに全部は多いから1/3ぐらいは残してあるぞ」


「じゃあ、それに期待しとくっす。でもこのシンプルな串焼きもめっちゃ美味しいっすからぜんぜん不満なんてないっすけどね」


「おまかせられ、だ。せっかくだから明日みさちがトリュフを採ってきてくれたら残りのレバーを使って最高に贅沢なメニューを作ってやるよ」


「わぉ! ガクちゃんの本気メニューとかもう期待感しかないっすね。分かったっす。良さげなトリュフを探してくるっすよ。……あたしたちの特別な夜のための特別なディナーっすね?」


 一瞬言われた意味が分からなかったが、頬を赤らめて目を潤ませている美岬の様子にすぐに理解が追い付く。


「……お、おぅ。そうだな。そういう話なら本当に本気でかからなきゃだな」


「うふふ。すっごく楽しみっすね」


「ああ。期待していてくれ。……じゃあぼちぼち次の串も焼いていくとしようか」


 それから、ハツと砂肝とチレを順番に焼いて食べていったが、どれも非常に旨く、久しぶりの肉料理に二人で舌鼓を打ったのだった。






【作者コメント】

 去年はコロナの影響で確定申告の締切日が延びていたから今年もそうだろうと呑気に構えていたら通常通りの3月15日で、気づいたのが3月13日で…………ええ、ちょっと地獄を見ましたわ。来年は早めにやろうと思います。


 前回と前々回の内容で、胆嚢たんのうをイメージしながら膵臓すいぞうと書くミスをしていまして、ご指摘いただいてようやく気づいて修正しました。報告感謝です。  


 そういえば、魚とかスッポンとか捌いていても脾臓ひぞうはあるけど膵臓らしきものは見たことないなーと思って調べてみたら、脾臓が膵臓の役割を兼ねている生物ってけっこういるようですね。勉強になりました。


 あ、ちなみに脾臓ってマイナー臓器なので役割はおろか存在すら知らない人も多いようですね。人間の場合は胃の裏側にありますが、古くなった赤血球を分離して破壊したり、血小板をストックしておいて必要が生じたら血中に送り出すような役割を担っているようですね。


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