第132話 13日目⑩おっさんは高級食材を料理する


 素潜り漁を終えて拠点に戻ったのが午後6時頃。箱庭は日が陰っているとはいえ、まだ日暮れまでは時間があるので十分明るい。


「潮で身体中ベッタベタなんでちょっと先に小川で水浴びしてきていいっすか?」


「もちろん。美岬が行ってる間に俺は食材の下処理とかやっとくからゆっくりしてきな」


「わぁい。あざっす! じゃ、ちょっとさっぱりしてくるっすね」


 美岬が石鹸と着替えを持って軽い足取りで小川に向かうのを見送り、俺は晩飯の支度を始めた。


 晩飯用の食材はまずトリュフ、そしてトリュフを活かすためにわざわざ釣ってきたムラソイ。これは外せない。以前、フレンチの店で食べたのは白身魚のムニエルに薄くスライスしたトリュフがトッピングされたものだったが、淡白な白身魚がトリュフの風味をよく引き立てていた。今回はムニエルにはできないが、白身の淡白さをトリュフの風味が活きるように活用すればいいわけだから蒸し調理がいいと思う。


 そして美岬が素潜り漁で獲ってきたアワビとタイラギ貝。これは鮮度こそ命の食材だから刺身一択だろう。アワビは可食部位が多いから一部はムラソイの身と共に蒸してもいいだろう。


 さっそく魚と貝の下処理から始めよう。


 ムラソイは鱗を落とし、三枚に卸し、中骨とあばら骨を除去して、皮を剥いで可食部位のみになった半身が二枚。これが今日のメイン食材だ。塩とハマゴウの粉をまぶして下味をつけておく。

 骨や皮やカマなどのアラはいつものように水で煮て出汁取りをしておく。


 ムラソイの次はアワビだ。アワビの腹足には砂や藻などが付着しているので、最初に塩を刷り込み、水洗いして汚れとぬめりを落とす。

 アワビの殻には片側に穴が並んでいるが、その反対側の殻の裏に貝柱があって殻と身を繋いでいるので、ナイフを縁から差し入れて貝柱を切り離せば身が殻から綺麗に外れる。


 殻が外れたアワビの身は、中心に貝柱があり、その周りをぐるりと囲むように消化器や肝などの内臓がある。この内臓は手で簡単に取り外せる。一番大きい内臓が一般的に肝と呼ばれているが、実はこれは肝臓ではなく生殖器官であり、オスの精巣は白く、メスの卵巣は緑がかった黒をしている。珍味であるが人によって好き嫌いが別れる部位でもあるので使うかどうかは美岬に聞いてからにしよう。


 内臓を取った後、口や触角や神経系などが集中している頭部をナイフでV字に切り取って残った部分──腹足と貝柱が可食部位となる。

 この処理の簡単さと可食部位の多さがアワビの食材としての優秀な部分だな。


 そして最後はタイラギ貝だ。見た目は巨大なムール貝で、殻は黒っぽい緑色をしている。サイズは殻長30㌢、殻幅15㌢のなかなかの大物だ。まったく人手の入っていないこんな海でもなければこんな浅い場所にこんな大物はまずいないだろう。

 ただ、このタイラギ貝は殻の大きさの割に意外と可食部位は少ない。大小の二つある貝柱と外套膜がいとうまく──貝ヒモぐらいだ。

 殻は薄く光を透かすので、貝柱の場所はすぐに分かる。ナイフで貝柱を切り離して殻を開け、貝柱を外し、貝ヒモを他の内臓から外す。貝柱と貝ヒモはそのまま生食できる。特に大きい方の貝柱をスライスしたものは高級寿司ネタだ。


 とりあえず食材の下処理としてはこんなところだな。ちょうど美岬も戻ってきたし、ここから本格的に料理していこうか。


「ありゃ、下処理全部終わっちゃってる? ゆっくりしすぎちゃったっすか?」


「そんなことないぞ。アワビとタイラギ貝の下処理なんてすぐ終わるからな。ちょうど良かった、ハマダイコンのカイワレを10本ぐらい採ってきてもらえるか?」


「あい。おまかせられっ」


 タイラギ貝の貝ヒモを食べやすいサイズに切り分け、美岬が採ってきたカイワレを刻んで叩いてペーストにして貝ヒモと和え、塩味で調えてとりあえず1品『貝ヒモのみぞれ和え』完成だ。


「そうだ、ちょっと聞こうと思ってたんだが、美岬はアワビの肝の味は苦手じゃないか? いけるなら刺身用の肝醤油にしようと思ってるが」


「大丈夫っす。普通にいけるクチっす」


「おけ。じゃあ肝醤油だな」


 このアワビはオスだったらしく白い肝をすりつぶして出汁醤油と混ぜて肝醤油を作る。味見してみれば極めて新鮮なので生臭さはまったく無くまろやかで深みのある味わいのソースになっていた。


 タイラギ貝の殻は皿として良さげなので、タイラギ貝の貝柱とアワビの身の半分を刺身にして盛り付け、貝ヒモのみぞれ和えも添える。


「わぁ。めっちゃ贅沢な刺身っすね」


「これは本土じゃ気楽には食えんぞ」


「あは。この島、食材のレベルじゃ完全に上流階級っすもんね」


「料理人としてはこういう食材を気楽に扱えるってのはめっちゃ幸せなんだけどな。あとは調味料さえ揃ってれば文句なしなんだが」


 仕込んだ調味料が使えるようになるまでにはまだしばらくはかかる。せっかく高級食材が色々あるのに調味料の種類の少なさは俺にとってはかなり不満なのだが、美岬にはそうでもなかったようだ。


「そうすか? これだけ豊富なバリエーションでお料理を作れるならもう十分すぎるぐらいだと思うっすよ。ダーリンが毎回美味しいお料理を作ってくれるから、あたしつい食べ過ぎちゃうんすけど」


 嬉しいことを言ってくれる美岬に口許がにやけるのを感じ、照れ隠しに美岬の頭をわしゃわしゃとする。


「言っとくけど、今日のメインはこっちじゃないからな。これから作る白身魚とトリュフの料理がメインディッシュだ」






【作者コメント】


 昔から肝って呼ばれてるからてっきり肝臓だと思ってたのにまさか卵巣や精巣だったとは。執筆の為に資料を調べてて初めて知りました。貝って両性具有だと思ってたけど雌雄あるやつもいるんですね。


 個体によって肝が白かったり緑だったりする長年の謎が解けました。そして、肝が苦かったり苦くなかったりする理由も。卵巣の方が苦味が強くて精巣の方はそうでもないらしいのでどうぞご参考までに。

 

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