第133話 13日目⑪おっさんは贅沢をする

 大コッヘルにはムラソイの骨とアラの出汁が入っているが、小篭で濾して中コッヘルに移して大コッヘルを空ける。

 それから蒸し調理の準備として大コッヘルの半分ぐらいまで小石を敷き詰め、その石に被らない程度まで水を入れて火に掛けて沸かしていく。


 湯が沸くまでの間に、大きめの葛の葉を何枚か準備して、下味をつけたムラソイの身とスライスしたトリュフを一緒に包む。

 またアワビの残りもスライスして、こちらはハマボウフウの葉と一緒に葛の葉で包む。

 この包みを蒸し上げることで、ムラソイにはトリュフの風味が、アワビにはハマボウフウの風味が移っていい感じに仕上がるはずだ。


 湯が沸騰してきて敷き詰めた小石の間から蒸気が勢いよく上がり始めたところで、食材の包みを小篭に入れてそのままスッポリと大コッヘルに嵌め込み、蓋をして蒸していく。


 同時進行で、中コッヘルのムラソイ出汁に焼いた小石を入れて沸騰させ、シンプルに塩だけで味をつけ、水溶き葛粉でトロミをつけ、刻んだ三つ葉を散らしてスープにする。


 10分ぐらい蒸してからムラソイとアワビの包み蒸しが完成する。


「待たせたな。さあ食べよう」


「わぁい! もうお腹ぺっこぺこっすよぅ」


 食卓代わりのクーラーボックスの上に料理を並べて向かい合い、手を合わせる。


「「いただきます」」


 美岬がさっそくスープに口をつけるが、俺は食べるより先にムラソイの包み蒸しの包みをほどく。包んでいた葛の葉を開けば、籠っていた水蒸気が一気に立ち上ると同時にトリュフ独特の風味が溢れ出す。やはり匂いを閉じ込める包み蒸しだとトリュフの匂いが生より強く出るな。

 続いてアワビの包み蒸しを開けば、磯の香りと混じるハマボウフウのセリ科ならではの爽やかな風味の水蒸気が溢れ出る。これも食欲をそそる旨そうな匂いだ。

 美岬は早くもスープをすすってほっこりしている。


「はふぅ。このスープ、三つ葉の香りがめっちゃいいっすね。優しい味で染み渡るっす」


「今回の料理には味の濃いものはないからな。スープもバランスを考えてあえてあっさりにしてあるんだ」


「なるほど。……さて、包み蒸しを開いた時の匂いが気になってしょうがないので、さっそくソレ食べてみていいっすか?」


「いいとも。俺も気になってるから食べてみるぞ」


 ムラソイの白い身は箸で簡単にほぐれるので、その一切れとトリュフのスライスを一緒に摘まんで口に運ぶ。


「あ、うま」


「んん~!」


 釣ったばかりで熟成が進んでいないので魚の身そのものはかなり淡白だが、その分トリュフがいい仕事をしてくれていて上品かつ味わい深い風味になっている。魚本来の味を引き立てつつ、自らの個性も失わないトリュフはやはり白身魚と相性抜群だな。


「すごいっすね。トリュフが高く評価される理由が分かったっす」


「トリュフはそれ単体で食べるより、相性のいい食材と組み合わせて初めて価値を発揮するタイプの食材だからな」


「スープに入れたらどうっすかね?」


「やってみたらどうだ? 元々ムラソイの出汁なんだから合わないはずないと思うが」


 美岬が包みの内側から、蒸されてくたっとなったトリュフのスライスを摘まんで自分のスープの器に入れ、包みの底に溜まったトリュフの風味がたっぷり混ざっている魚肉汁もスプーンで掬ってスープに入れ、一口味見して満足げに笑う。


「やば! たったこれだけでこんなに変わるんすね。なんか味が複雑になったっすけど、これはこれで美味しいっすよ。……はい、あーん」


 そう言いながらスープを掬ったスプーンを差し出してくるので味見させてもらう。


「……ん。相乗効果で旨みが強くなったな。こういう工夫が料理の醍醐味だからこれからもどんどん試してみたらいいと思うぞ」


「……むぅ。なんか思ってた反応と違うっす。もっとこう照れたりとかないっすか?」


 と、なにやら面白くなさそうな美岬は、どうやら俺にあーんとか間接キスに対する初々しい反応を期待してたようだが毎日普通にキスしてるのに今さらそんなのを期待されてもな。それに調理の現場だと手を離せない相手に味見させるのに同僚があーんをするのは普通だし。


「…………今さら嫁さんと間接キスぐらいでは照れたりせんだろ」


「あぅ。確かに……」


 軽くスルーして次に蒸しアワビを一切れ食べてみれば、ぐりぐりとしっかりした歯ごたえと濃厚な貝の味が口の中いっぱいに広がり、身に移ったハマボウフウの香りもいいアクセントになっている。今の時期のハマボウフウは旬を過ぎて固くなっているが、こんな風に食材の風味付けに使うなら十分アリだな。


「あ、旨い」


「じゃあ、あたしは次は貝のお刺身を食べてみるっす」


「ん。はいこれ肝醤油」


「あざっす」


 肝醤油の入った蛤の殻を美岬の近くに置いてやれば、さっそくタイラギ貝の刺身をちょんと付けて口に運ぶ。


「おぉ! なにこれめっちゃ甘いっすね! 甘さとほろ苦さがあってまるで甘エビみたいっす」


「その甘さとちょっとの苦味がタイラギ貝の味の特徴だからな。……うん。これも旨いな」


「肝醤油も全然臭みが無くてめっちゃまろやかっすね」


「活きてる貝から取ってすぐに加工した鮮度抜群の肝だからそりゃ旨いさ。それにオスだから苦味もないしな」


 続いてアワビの刺身を齟しゃくしながら美岬がうんうんと頷く。


「アワビの刺身と肝醤油の相性はもはや言うまでもないっすね。文句なしに美味しいっす」


「元々同じ個体だからな。そりゃ間違いないよな」


 一通り食べてみたがどれも甲乙つけがたく本当に旨い。本当にここで手に入る食材は最高だな。


 美岬と二人、舌鼓を打ちながら食事を終える頃には日没後の残照もかなり弱くなり、闇色を深めつつある空には、まだ僅かに色を残した雲が散らばり、そのすき間から垣間見える星が瞬き始めていた。

 雲は少しずつ増えているようだが、まだすぐに崩れそうな感じではない。明日は土器の試し焼きをしたいからそれまでは保ってほしいところだな。







【作者コメント】

 蒸し調理の利点は、素材の旨みが閉じ込められるところにあります。茹でると茹で汁に旨みが逃げてしまいますから。

 鍋と小篭で蒸し調理をするには、作中で岳人がやっているように鍋に小石を詰めてその上に篭に入れた食材を置き、少しの湯を沸騰させて蒸すのがいいでしょう。


 ちなみに同じ食材でも時期によって蒸しと茹でを使い分ける方がいい場合もあります。その最たるものがカニです。

 カニの旬は冬ですが、冬のカニは旨みが強すぎるので、茹でて適度に旨みを抜くぐらいでちょうど良く、逆に旨みの少ない夏のカニは蒸して旨みを閉じ込めるのがおすすめです。冬のカニ鍋はまさに正しい食べ方と言えるでしょう。


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