第108話 11日目⑦おっさんは自分の目を疑う

 夕方の6時を過ぎれば箱庭はかなり薄暗くなっており、岩場の陰になっている水中の様子は暗くてほとんど見えない。空はまだ明るいので岩場での行動そのものには苦労はしないが。

 見上げた空には遠く入道雲の輪郭が夕陽で金色に縁取られ、高い空には薄い羊雲がゆっくりと流れている。少しずつ秋の気配が漂い初めているようにも感じる。

 空模様に気を取られていた俺の握る竿にゴン! と当たりが来てハッと我に返り、一気に合わせて釣り上げれば、30㌢ぐらいの黒っぽい魚が竿先からぶら下がった状態でビチビチと尻尾を振って抵抗する。

 カサゴによく似ているが頭がカサゴより小さく、クロソイに比べると刺々しさが少ない。カサゴやアイナメと並ぶ穴釣りではメジャーな根魚のムラソイだ。


「良型のムラソイっすね」


「だな。これぐらいのムラソイになると買うと高いんだぞ」


「でも逃がすんすよね」


「まあなー。とりあえずこれで俺は9匹目でムラソイは2匹目だな」


 そう言いながら針から外したムラソイを逃がしてやる。


 元々魚がスレていないこの場所ではいつでも魚は釣れるが、それでも魚の活性が上がる満ち潮途中のゆうマズメは釣れ方が違った。まさに入れ食いで次から次に釣れてくる。お陰で特にいいものだけを選別して残す余裕がある。

 今回はあくまで燻製への加工用なのでかなりの大物以外はリリースしているが、そのリリースした中には、普段なら迷わず持ち帰るようなものもけっこういる。今釣ったムラソイもそうだ。

 今日は晩飯用に取り分けてあるタケノコメバルの身がまだあるし、燻製用に残してある魚の処理もしなくちゃいけないから正直なところムラソイにまで手を出す余裕はないのだが、それでもやっぱり勿体ない。

 それは美岬も同様だったようで……


「ねえガクさん、すぐにって話じゃないっすけど、釣った魚を活かしておける生け簀みたいなものを作るのってどうっすかね?」


「うん。それは俺も賛成だ。釣れすぎた魚を活かしておければいつでも好きな時に食えるもんな」


「やっぱガクさんも逃がすのが惜しいと思ってたんすね?」


「そりゃな。晩飯用にタケノコメバルを確保してあるし、燻製に一番向いてるでかいアイナメが次々に釣れてるから逃がしてはいるが、30㌢弱のカサゴやムラソイなんて普通だったら嬉々として持ち帰るサイズだぞ」


「あはは。そっすよねー。こいつらは今日は命拾いしたっすね。ということであたしもこれで9匹目っす。ムラソイはこれが1匹目っすね」


 美岬がたった今釣り上げたばかりの大きめのムラソイを針から外してリリースする。


 ここまでの釣果はクーラーボックス内に30㌢オーバーのアイナメが6匹と40㌢弱のタケノコメバルが1匹確保してある。それ以外にすでにリリースしたカサゴ5匹、ムラソイ3匹、クロソイ1匹、タケノコメバル2匹の合計18匹。

 内訳は俺がタケノコメバル1、アイナメ3、カサゴ3、ムラソイ2で、美岬がクロソイ1、タケノコメバル2、アイナメ3、カサゴ2、ムラソイ1だ。


 レア度スコアではアイナメ、カサゴ、ムラソイをそれぞれ1ポイント、タケノコメバル、クロソイを2ポイントに設定しているので俺10に対して美岬12と美岬がリード。


 サイズスコアではクーラーボックス内のタケノコメバルは俺が釣ったものなので俺がリードしている。


 再び俺の竿先がぐっと引き込まれる。数秒間待ってから一気に合わせればしっかりフッキングしたようで、魚が首を振って抵抗するゴン、ゴン、という引きが伝わってくる。

 今日だけでもすでに何度も釣っているからだんだん分かってきた。この引きはタケノコメバルだな。しかもかなり大物だ。


 根に潜ろうと必死に抵抗するのを抑えつつ海面から顔を出させて空気を吸わせれば一気に抵抗が弱くなる。


「美岬、タケノコの大物だ。フックを頼む」


「おまかせられっ!」


 手鉤は2㍍ぐらいの柄の先端に、堅い木の枝分かれ部分を尖らせて作ったフックを付けているものだがなかなか使い勝手がいい。

 美岬がフックを海面から顔だけを出しているタケノコメバルのエラ蓋に引っ掛け、せーので一気に引き上げる。


「うわっ! 昼の奴よりでかいじゃないっすか!」


 クーラーボックスにすでに入っているタケノコメバルより一回り大きい。40㌢超えは確実だ。


「記録更新だな。もう十分すぎるほど釣れたから終わりにしようか?」


「むぅ……自分が数とサイズでリードして、レア度でも並んだタイミングでの勝ち逃げはズルいっす」


「じゃあ美岬が次に釣る奴で終わりにしよう。俺はここまでにするから」


「いいっすよ。最後にすっごいのを釣ってダーリンの腹筋枕を堪能する権利を勝ち取ってみせるっすから」


 美岬が手鉤から自分の釣竿に持ち替える。


 俺が今釣ったタケノコメバルを〆るためにエラ蓋からナイフを差し入れて頸動脈を切った瞬間、魚が暴れてげぼっと口から何かを吐き出した。なにかと思って見てみれば10㌢ぐらいのチビソイだった。まだ消化はされていないが完全に死んでいる。


「お、ベイトを吐き出したっすか。じゃ、ちょうどいいからそれを使いましょっかね」


 美岬が吐き出されたチビソイをそのまま針につけて海中に沈めていく。さすがにこれで釣れる奴は相当な大物だけだろうから、俺も〆終わったタケノコメバルをクーラーボックスに入れたら手鉤を持って近くで待機しておく。


「……」


 美岬が竿先を時々ちょいちょいと跳ねさせたり、左右にゆっくりと往復させたりして、活きている小魚演出で大物を誘う。


「ほーれほーれ。美味しいっすよ~……ん? ありゃ? 根掛かったかな?」


 どこかに引っ掛けてしまった仕掛けを外そうと美岬が竿をしゃくった瞬間、ぐいっと竿先を大きく引き込まれる。


「うわわっ! これヤバいヤバい! 力が強すぎて引き込まれるっす! ガクさん助けて!」


 よほどの大物らしく、美岬が力負けして引きずられつつあり、慌てて俺に助けを求める。

 俺は即座に美岬に駆け寄って後ろから美岬のお腹に手を回して抱き留めた。


「落ち着いて、焦らずゆっくり海面に近づけるんだ。根に潜られないようにだけ注意して」


「むむ、これはもしやクエっすかね」


「ははっ。もしそうなら文句なしのMVPだな。だがタケノコメバルの怪物級かもしれんぞ」


「なんとか上げたいっすね。ふんぬっ! 重っ! まるで丸太を引っ掛けたみたいな重さっす! ふんぬらばーっ!」


 そもそも糸がそんなに長くないから、暗い水中で逃げようともがく大きな影が見えている。見たところあまり泳ぎは上手くなさそうだ。ジワジワと海面に近づいている。


「頑張れ! あともう少しだ」


「ぐぐぐ……頑張れあたし!」


 そしてついに顔が海面に出るが……


「なんだこいつ?」


「えーと、なんすかね? 見たことない顔っす」


 周囲がだいぶ暗くなってきているので正確な色はよくわからないが、青みがかった黒っぽい色をしているように見える。顔立ちはなかなかゴツく、開いた口からは小さいが尖った歯が覗いている。

 なにはともあれ、まずは引き上げることにして手鉤のフックと釣竿の力を使い、美岬と協力してなんとか岩場に上げたが、明らかになったその全貌に俺と美岬は唖然とする。


「嘘だろ……これはさすがにありえんだろ」


「え、えーと……これって確か深海魚じゃなかったでしたっけ?」


「生きている個体はインド洋とインドネシアの深海でしか見つかってないが、化石の記録によれば太古の昔には浅海にもいたらしい。……これはヤバい発見だぞ。もしこれが本物なら世界で3例目、いや浅海モデルとしてなら世界で初めて生きた状態で捕獲されたってことになるぞ」


 全長50㌢ぐらいのその魚は、アロワナのような古代魚とよく似た感じの大きく硬い鱗に覆われ、分泌した粘液でベタベタになっている。たくさんのヒレがあるが、特に胸ビレと腹ビレの2対はヒレの根本が筋肉質な長い柄になっていて、泳ぐより這い回るのに適しているように見える。尾ビレの付け根部分は普通の魚のようにくびれておらず、胴体と尾の境界ははっきりしていない。

 ありえないと思いつつも、その特徴のすべてがある有名な魚と一致している。


「やっぱりこれ、シーラカンスっすよね」








【作者コメント】

SFらしくなってきました。古生物学ってロマンですよね。デボン期とか好きです。


急展開に思えるかもしれませんが、一応、シーラカンスを登場させるのは連載初期からの規定路線だったりします。むしろどうやって登場させようかとずっと考えていたぐらいで。


白亜期末期の大絶滅の原因は現在ではメキシコ湾とロシアに墜ちた2つの巨大隕石が原因とする説が有力ですが、そのどっちとも離れている太平洋のど真ん中だったら条件が調えば一部の古生物が生き残れたりしないかなーと。


まあとりあえずネタバレはこれぐらいにしておきましょう。面白かったと思ったら応援ボタンや☆評価をポチポチしていただけると嬉しいです。

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