第109話 11日目⑧おっさんはだっこする
最後にシーラカンスとしか思えない怪魚を釣り上げたことで釣り対決は美岬の勝利で終わり、美岬は賞品である俺の“腹筋を枕にする権利”を手に入れた。まあ俺にとってはいずれにせよ美岬といちゃつけるのでどっちに転んでも得しかなかったわけだが。
とりあえず持って帰るのはアイナメ6匹とタケノコメバル2匹と
希少なシーラカンスをリリースしないのか、と環境保護団体の怒りの声が聞こえてきそうだが、そもそもこれが本当にシーラカンスかどうかも調べてみないと分からないしな。
もし本当にシーラカンスだった場合、身はめちゃくちゃ不味い上に食べたら下痢になるらしいから食用にはできないが、代わりに俺たちにとって必要な
獲物を持って拠点に一度戻るが、燻製にするつもりのないシーラカンスだけは〆て血抜きだけしてから小川の冷水に沈めにいく。一晩ぐらいならふやけたり痛んだりはしないから、明日、明るくなってからきちんと記録を取りながら解体しようと思う。
ということで、シーラカンスは先送りにして、それ以外の釣ってきた魚の燻製への加工を始めよう。もうすっかり暗くなっているのでスウェーデントーチに火を灯して火明かりで作業する。
魚の加工に先駆けて、吊るして干す場所を準備する。
いつも使っている干し網の方は、今は葛粉の乾燥に使っているので、別に簡単な物干し竿のようなものを作った。まずは3本の同じぐらいの長さの木の棒を束ねて端の方を1箇所ゆるく縛り、縛っていない方を拡げて
同じものをもう1つ作り、2つのトライポッドの間に真っ直ぐな棒を渡せば物干し竿の完成だ。
じゃあ次は燻製用の魚の下処理と味付けだ。晩飯の仕度もしなくちゃいけないから協力してさっさと終わらせるとしよう。
まずは魚の入ったクーラーボックスとまな板を波打ち際に持っていき、そこで2人で魚の鱗をナイフでこそぎ落とし、頭を切り落とし、内臓を抜いて海水で腹腔内を洗って綺麗にした。
クーラーボックス内を洗ってから綺麗な海水を入れ、そこに処理の終わった魚の身を漬け込んで塩味を浸透させておく。とりあえずこのまま夕食が終わるまで置いておけばいい感じに味が付くだろう。
残った魚の頭と内臓だが、内臓の方は処分し、頭の方は出汁取り用に残しておく。
小川の冷蔵用の石囲いから昼に処理して冷やしてあったタケノコメバルの身とアラを回収してきて、まずはアラと魚の頭を大コッヘルに入れてヒタヒタの水で火に掛けて加熱していく。
浮いてくる
俺が出汁取りをしている間、美岬にはジュズダマの殻剥きをしてもらっていた。ペンチを使って1つ1つ手作業で剥いていくのでまだまだ先は長そうだが、すでに剥き終わっている分から晩飯に使う分を少し貰う。
魚のほぐし身がたっぷり入ったスープにジュズダマも加えてしばらくグツグツと煮て柔らかくする。
塩で味を調えてから、乾燥中の葛粉を少し水で溶いて加えてとろみをつけ、最後に細かく刻んだ三つ葉を散らせばシンプルな雑炊の完成だ。
骨取りして冷やしてあったタケノコメバルの身はほどよく締まっていたのでそのまま刺身にして牡蠣皿に盛り付け、貝出汁醤油を垂らしかける。……もう晩飯はこれだけでいいかな。
「今回はシンプルに雑炊と刺身だけな。本当は他のメニューも考えてたんだが、なんか今日はやけに疲れたから簡単なものだけになってしまった」
そう言うと美岬に呆れられてしまった。
「いや、そりゃ疲れるでしょうよ。だってガクさんあたしが起き出す前から雑木林に行って作業してたじゃないっすか。お昼にちょっと休憩しただけでその後もずっと働きづめだったんすから疲れて当然っすよ。あたしはこれで十分っす。ガクさんの美味しい料理が食べれるだけで幸せっすよ」
「……そうか、ありがとう。だが、今はまだやらなきゃいけないことが多すぎてそうそう休んでもいられんからな」
スローライフというものはただでさえ時間と手間がかかるものだが、俺たちはまだその前段階。その日を生きていくのに必要な物資をかき集めつつ、生活に必要な道具を手作りで準備しているところだからのんびりなんてしていられない。うかうかしているとすぐに冬になってしまうだろう。
「確かにまだまだ色々足りてないっすもんね。あたしにも仕事割り振っておいてくれたら手空きの時にやっとくっすよ?」
「そうだな。今でも十分やってくれてると思うが、またやってもらえることを考えておく。さあ、すっかり遅くなったが夕食にしようか。腹へっただろ?」
「そっすねー。なんか疲れたのと眠いのとお腹すいたのがごっちゃになって変な感じっす……ふぁ」
「美岬もだいぶお疲れモードだな」
「そっすね、あたしもけっこう疲れてるっす」
なんかふわふわしながらあくびをする美岬。
電池切れ寸前だな。これは飯食ったら寝落ちするやつだ。
夕暮れ時に釣りをして、釣った魚の処理をして、それから夕食作りに取りかかったからすでに時間は9時近くなっている。食べ終わったら美岬には先に寝てもらってもかまわないが、俺はクーラーボックス内の塩水に漬け込んでいる魚を干すだけはしなきゃいけないな。
お互いにお疲れモードなのであまり会話もなく黙々と食事を食べ終わると、案の定美岬が膝の上に空の牡蠣皿とスプーンを乗せたままコックリコックリと船を漕ぎ始める。地面に落とす前に食器は取り上げておく。
「おーい、寝るなら寝床に行って寝ろー」
「…………んー……でも、お魚の……作業が……」
「無理すんな。それぐらい俺がやっとくから先に寝ていいぞ」
「……うぅ……でもぉ……歯磨きもしなきゃ……」
「はいはい。じゃあ歯ブラシ取ってきてやるから歯磨きして寝に行きな」
拠点から美岬の歯ブラシを取ってきて渡すがボーッとしていて一向に歯を磨く様子がないから俺が歯磨きをしてやる。
「ほれ、歯をイーッてして」「いー」
──わしわしわし……
「はい、次はアーンして」「あー……」
──わしわしわし……
「ほい、終わり。最後はゆすいで」「んー……クチュクチュ……ペッ」
寝ぼけながらも素直に言われるままに歯磨きを終えた美岬を撫でてやる。
「はい、よくできました。じゃあもう寝に行きな」「だっこして」「……はいはい」
俺の首の後ろに両腕を回して正面から抱きついてきた美岬を持ち上げて拠点に運んで行くが、触れ合っている胸から服越しでも美岬にバクバクとした心音が伝わってくる。
「……寝ぼけた振りしてるのは分かってるぞ」
「う……バレてたっすか」
「そりゃこれだけ心臓バクバクさせてりゃなぁ。まあ可愛かったし美岬の柔らかさを堪能できてるから俺は一向にかまわんけどな。うん。あの「だっこして」はめっちゃ可愛かった」
「……うう~、もう降ろしてほしいっす」
今になって恥ずかしくなってきたのだろう。美岬が身体を離してずるりと地面に降り立つ。顔が真っ赤になっているのが暗くても分かる。
「残念」
「何が残念っすか。もぅ。ガクさんはたまにイジワルっす」
拗ねた口調でそう言いながら美岬が拠点ではなくかまどの方に戻ろうとする。
「おや、寝に行くんじゃないのか?」
「今ので目が覚めちゃったっすよ。だから食事の片付けと魚を干すのを終わらせてから寝るっす」
「そうか、すまんな。じゃあそれだけ一緒に終わらせるか」
使った食器と調理器具を洗って乾かし、魚の処理の続きをする。
頭を落として腹を裂いた状態で塩水に漬け込んでいたアイナメとタケノコメバルの表面の水分を拭き取り、爪楊枝ぐらいの小枝を腹腔内でつっぱり棒にして腹腔を開いた状態にして、尻尾の付け根の
8匹の魚を全部同じようにして物干し竿に吊るせば今日の作業はすべて終了だ。この魚はある程度水分が抜けるまで干してから燻して燻製にする。とりあえず明日1日も干せば十分だと思うが。
「終わったっすねぇ……ふぁ」
一時的には目が覚めたものの、作業をしているうちにまた眠気を催してきたらしい美岬があくびをする。
「おう、お疲れさん。最後まで手伝ってくれてありがとな。これでやることは全部終わったから気兼ねなく寝ていいぞ」
「んー……ダーリンももう寝るっすか?」
「ああ。俺も歯磨きとトイレだけ済ましてから寝るぞ」
「あー……じゃああたしもおトイレだけ行ってくるっす」
LEDライトを持ってトイレに向かう美岬を見送り、俺も歯磨きを済ませ、戻ってきた美岬と交代でトイレを使ってから2人で寝床に向かう。
盛り砂の上に断熱シートを被せただけの寝床もいいかげんになんとかしたいと思いつつもなかなか改善できずにいる。1日の活動を終えて寝るときには疲れきっているので寝心地の悪さがあまり気にならないというのもあるが。
寝床に並んで横になれば、美岬がモゾモゾと動いていつものお気に入りのポジション──俺の左腕を枕にして身体ごとこちらに向けて膝を曲げるいわゆる胎児の姿勢、に落ち着く。本人曰く一番安心できるらしい。
美岬が活動限界なのは言うまでもなく、俺も疲れていたので横になった瞬間に睡魔が襲ってくる。
普段は寝る前にちょっと会話したりもするのだが、今日はお互いにおやすみの挨拶すら交わさず、水に落とした石が一瞬で沈むように、俺の意識は深い闇に沈んでいった。
【作者コメント】
いつも仕入れにいく業務用スーパーで緑豆を見つけたので買ってきてちょっと試しに育ててみたら、なんか水に浸けた次の日には芽が出始めてあっという間に育ちはじめて、先日ついに豆の収穫ができました。水に浸けた日を記録していなかったので確かなことは言えませんが、2ヶ月も経っていないような気がします。収穫した豆を水に浸けたらまたすぐに芽が出たので今度はちゃんと記録を取りつつ収穫までの期間を計ってみます。その結果次第では、本文中で過去に収穫まで約3ヶ月と書いた部分(8日目⑧)も修正したいと思います。
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11日目が終了なのでリザルト回も投稿します。
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