第107話 11日目⑥おっさんは仁義なき戦いを始める

 活きた2枚貝をこじ開けて身を取り出したい場合は、蝶番ちょうつがいを切るのが一番手っ取り早い。

 蝶番の硬さはせいぜいプラスチック程度なのでナイフを使えば簡単に切れる。貝の口を閉じるための筋肉である貝柱は殻の口付近にあるので、反対側の蝶番を切り離してしまえばそこから簡単に開き、ナイフを差し入れて貝柱を殻から切り外せば生の剥き身となる。


「これはなかなか楽しいっすね」


「手を切らんように気を付けろよ」


 ハマグリと赤貝はこの方法で剥き身にできるので、俺と美岬はそれぞれ左手に軍手をはめて、右手に持ったナイフを使って剥き身にしていった。

 できた剥き身は身と内臓に分け、身の方は乾物にするため塩揉みしてビニール袋に入れて小川の冷水に沈めて保管し、内臓の方はさっき作った楯干しのトラップがまだ完全には水没していなかったので、集魚用のエサとして放り込んできた。


 岩牡蠣は普通の2枚貝のように蝶番を切ることはできないが、スーパーでも剥き身で売られていることからも明らかなとおり、簡単に剥き身にする方法は確立されている。

 牡蠣は形の個体差が大きいが、それでもおおむね、下が器になっていて、上が平らな蓋になっている。貝の形を模した焼き菓子のマドレーヌというものがあるが、あれはなにげに理想的な牡蠣の形といえる。


 ゴツゴツとした岩牡蠣はどっちが口でどっちが蝶番かは分かりづらいが、よく見れば口の方は殻が薄くなり、接合部分が波打っているので特定できる。

 通常、この接合部分の薄くなった殻をキッチンばさみで切って、器と蓋の間に隙間を作るのだが、キッチンばさみがないので鉈の背で叩いて接合部分を砕いて隙間を作る。

 その隙間からナイフを差し入れてまず蓋の裏にある貝柱を切れば、パカッと蓋が開いて大きな牡蠣の身があらわになる。

 それから身と器を繋いでいる貝柱を切れば、殻から身が外れて剥き身になる。


「隙間を作るために殻の端っこを割るのだけが面倒っすけど、それ以外はめっちゃ簡単っすね」


「ほんとそれな。本来ならこの端っこはキッチンばさみで切って処理するからこれよりずっと楽なんだけどな」


「あー、やっぱりキッチンばさみは優秀っすね。文房具のはさみはあるっすけど、ハードな使用に耐えられるキッチンばさみがこういう時は欲しいっすね」


「そうなんだよな。ナイフは万能だから色々代用は利くんだが、それでもはさみが欲しいと思う場面はけっこうあるんだよな」


 もし、無事に帰ることができたら、キッチンばさみは必ず個人装備に含めておこうと思う。それとプライヤーやニッパーといった工具類も特にクラフトをしていると欲しいと思う場面は多いから個人装備に含めておきたい。

 ちなみに俺が持ち込んでいる救急用品セットの中には医療用の鉗子プライヤー剪刀はさみなんかも入ってはいるが、これらはいざという時の為のものだから普段使いしていいものではない。


 剥き身にした牡蠣は丸ごと燻製にしようと思っているが、牡蠣の身は水分が多いので、多目に塩をまぶしてビニール袋に入れてこれも小川に沈めておく。

 塩が浸透圧の働きで牡蠣の身から水分を抜いてくれるので、明日になればそれなりに身が締まっていることだろう。


 牡蠣の身の処理を終えて小川まで来たので、このままジュズダマも集めることにする。2人で小川の中を裸足でじゃぶじゃぶ歩いて遡上しながら両岸に生えているジュズダマから実を集めていく。


 ジュズダマは1本の株の中でも実の熟し方にばらつきがあり、成熟果と未熟果が混在しているのが特徴だ。

 実は緑、黄色、黒、白の4色だが、緑は未熟果、黄色は受粉できなかった空穂、黒は成熟果、白は完熟果と容易に見分けられる。

 空穂は取り除き、黒と白だけを収穫して、未熟果をそのまま残しておけば、残った未熟果がいずれ成熟してまた収穫できるようになる。

 一度に多くは収穫できないが、長く収穫できるのはありがたいな。


 しばらくジュズダマ集めに集中して、ある程度まとまった数は収穫できたが、冷水に浸かりっぱなしだった足がすっかりかじかみ、ほとんど感覚が無くなってしまったのでわざと遠回りして砂浜を歩いて拠点に戻る。

 すでに箱庭の底は日が陰っているが、砂浜は日中の日差しで温められているので裸足で歩くのが心地よかった。


 本当はスダジイのドングリも集めたかったが、昼間でも薄暗い林に今の時間から入ってドングリを集めるのは現実的ではないだろう。むしろ、これからのゆうマズメを狙って魚を釣る方がいい。丁度潮が満ちている途中で魚の活性が上がるタイミングとも重なっているしな。


 そんなわけで一度拠点に戻った俺たちは、岩場で怪我をしないように靴を履き直し、新たに作った2本の釣竿と手鉤とクーラーボックス、釣り餌用に一部取り分けておいた貝の内臓を持って釣りをするために岩場に向かった。


「さあ、第1回神島フィッシング対決がいよいよ開始っす! 部門は3つ! 大きさ、数、レア度を競うっす! 大会司会はこのあたし、美岬が務めてまいりますっ! 解説の岳人さん、コメントをどうぞ!」


 またアホなことを始めたな。


「……あー……そうだな。美岬から“岳人さん”と慣れない……というか初めての呼び方をされて新鮮さと戸惑いを感じているな」


「ちょ、食いつくポイントそこっすか? 何をもってレア度を決めるかとか勝ったらどんなご褒美があるかとか、他に言うことないんすか?」


「ご褒美って何があるんだ?」


「ふふん♪ ガクさんが勝ったら膝枕してあげるっす」


「よし、頑張ろう」


「ちょ、素直っすか! 膝枕ぐらいいつでもしてあげるっすよ?」


「美岬、お前はまだ膝枕の恐ろしさを知らんな? あれは正座の上に重しを乗せる拷問みたいなもんだから、まあ結論から言えばめちゃくちゃ足が痺れるんだぞ」


「…………マジすか」


「勝ったご褒美で膝枕してもらいつつ、痺れた足をツンツンしたらどんな反応をするか気になるな?」


 その場面を想像したのか青ざめた顔で美岬が悲壮な覚悟を決める。


「…………この戦い、負けられなくなったっす! いざ尋常に勝負っす! あたしはこの勝負に勝ってダーリンの腹筋を枕にするんす!」


「ちょ、まてや。そんな話は聞いてない」


「フカフカキンタマクラでもいいっすよ」


「懐かしいネタ知ってんなっ! あーもう分かった。腹筋枕でいい!」


 そんなわけで俺と美岬の仁義も大人げもない戦いの火蓋が切られたのだった。


 最初に釣りをした時の経験からここには30㌢オーバーの大きな根魚がたくさん潜んでいることが分かっているので、折れてしまった最初の竿に代わって作った新たな2本の竿は、そう簡単に折れないようかなり頑丈に作ってある。


 さっそく目ぼしい穴に仕掛けを投入してゆっくりと沈めていけば、すぐに竿先にビクンッと当たりがきて、直後にゴン、ゴン、と激しく当たる。

 根に潜られないように竿を立てて引き上げてくれば、重さは乗っているのにあまり抵抗しない。

 釣り上げてみると20㌢ぐらいのカサゴがすべてのヒレを大きく広げ、尻尾をぐりんと曲げた威嚇状態でぶら下がっていた。


「とりあえず1匹目は20㌢ぐらいのカサゴだ」


「微妙なサイズっすね。持って帰ります?」


「いや、このサイズのカサゴならリリースだな。特にカサゴは頭でっかちで可食部位が少ないからな」


「了解っす。だいたい30以下はリリースっすかね?」


「そうだな。あ、でも可食部位が多い奴はあまり大きくなくても構わんぞ。そのへんの判断はまかせる」


「あいあい。……お、あたしも来たっすね。む、この当たりはアイナメっぽいすね。ならちょっとタイミングを待って…………ほっ! よし、乗ったっすね」


 竿のしなりぐあいからしてなかなか大物っぽいので手鉤を持って近くでスタンバイしてたが、美岬は難なく竿だけで30㌢オーバーのアイナメを釣り上げてクーラーボックスに入れた。


「これはいい尺アイナメだな。いきなり本命を釣ったか」


 アイナメは身の質が燻製向きなので今回のメインターゲットだ。


「んふ♪ これで数スコアは1:1っすね。レア度スコアも1:1で大物スコアはあたしが先行っす」


「これは負けていられんな」


 俺はすぐに針に新しい餌を付けて釣りを再開した。




【作者コメント】

20㌢のカサゴは本土のテトラで釣るならかなり大物の部類に入りますが岳人たちの島だとまだリリースサイズです。


根魚は成長が遅いですし、カサゴはお気に入りの場所から基本動かないから釣られやすく、穴釣りは誰でもできるお手軽な釣りなのでけっこう根こそぎ釣られちゃうんですよね。


伊勢でも場所によってはカサゴがほぼ絶滅している釣り場もあります。小さすぎる個体は釣れても逃がしてやってほしいなーと思います。


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