第107話 11日目⑤おっさんは癒し癒される

 昼食後に少し休憩してから、午後からも食材集めを再開する。これまでは貝や魚を長期間保存する手段がなかったので、数日以内に消費できる分だけを捕っていたが、これからは熱風乾燥や燻蒸くんじょうにより、ただの天日干しの干物よりもずっと長く食料を保存できるようになるから今回は加工することを前提にかなり多めに捕ることにする。


 塩漬けや天日干しだけの場合、食材に付着している腐敗の原因となる菌は、活性が下がっているだけで死滅していないのであまり長くは保存できないが、熱風乾燥の場合は熱殺菌ができるし、燻す場合は煙に含まれる殺菌成分が食材の内部まで浸透して防腐効果を発揮するので腐りにくくなる。加工後にきちんと管理すれば数ヵ月単位で保つようになり、すでに火が通っているのでそのまま食べれるというのも大きなメリットだ。


 今は料理にかなりの時間を割いているが、加工保存食があれば作業に集中したい時に食事を簡単に済ませることもできるようになる。また、食事の度に拠点に戻らなくても加工保存食を携行すれば行動範囲を広げることもできる。加工保存食の開発は箱庭の奥地にまで探索の手を広げるにあたって必要なことと言えるだろう。




 今日は小潮で昼間の干潮のピークが午後の4時過ぎになるので、俺と美岬は潮が引いているうちにまずは潮干狩りをすることにした。乾物に加工して保存する前提なので、アサリなどの小物はとりあえず無視して、身の大きいハマグリ、赤貝、岩牡蠣などを採集することにする。


「貝掘りのついでに掘った穴を利用して楯干たてぼしのトラップも仕掛けておこうか」


「たてぼしっすか? でもあれは漁網がいるんじゃないっすか?」


「そこはまあ工夫次第ってとこだな。貝を掘って出来た潮溜まりプールの周囲を葦で囲んで、プールに獲物が留まりやすくすることができればそれで十分だと思うんだ。そんなわけで、ちょっと材料の葦を取ってくるから美岬はこのまま貝掘りを続けててくれるか?」


「あい。了解っす」


 拠点に一度戻り、今朝俺が刈り取ってきた葦を一束抱えて美岬のところに戻れば、美岬もよく心得たもので、干上がった砂地を直径1㍍ぐらいの円形に掘り、出た砂を穴の周囲に積み上げてカルデラのような形にしてくれていた。

 潮干狩りの方も疎かにはしておらず、そばに置かれた篭には大きいハマグリがすでに何個か入っている。


「……はー……あれだけの説明でよくここまで察してくれたな」


「んふふ♪ 阿吽の呼吸ってやつっすね。言葉足らずなダーリンの意図を汲み取ってこそのいい嫁っすよね」


「いい嫁だな。……ふむ。これだけ察しが良いなら、これからは言葉でわざわざ愛情表現しなくてもよさそうだな」


「は? なに言ってんすか! そんなん駄目に決まってるじゃないすか! ダーリンがあたしのことをだぁい好きなのは重々承知してるっすけど、だからと言って愛情表現を怠っていい理由にはならないっす!」


 冗談のつもりだったが地雷を踏み抜いてしまったようでガチで怒られてしまった。


「すまん。本気じゃないからそう怒るな。可愛い顔が台無し……でもないか。怒った顔も普通に可愛いな。しかも怒ってる理由が可愛すぎてつい顔がにやけてしまうな」


「……んもう! なんすかそれ!」


 怒るに怒れなくなった美岬が顔を赤らめつつも、それでもポーズとして頬を膨らませる。そんな美岬の頭に手を伸ばして撫でてやる。


「俺も作った料理を、美岬がいつも美味しいって誉めてくれるのが嬉しいからな。感謝とか愛情表現とか誉める言葉っていうのは言わなくても伝わる部分もあるけど、やっぱりちゃんと口に出して相手に伝えるのが大事だよな」


「……むぅ。それを分かってて、あたしをからかったんすね」


 頭を撫でていた手を背中に滑らせて軽く抱き寄せる。


「ごめんて。……俺は本当に美岬のことが大好きだし、一緒にいられて本当に嬉しいし、心から信頼してるし、これからもずっと一緒にいたいと思ってる。毎日美岬の新たな一面を知って日々惚れ直してるんだ。こんな最高に可愛い彼女を持てて俺は本当に果報者だと思ってるよ」


「…………っ!」


 詫びの気持ちも込めて本心を打ち明けると、美岬が俺の背中に両手を回し、グリグリと頭を押し付けてきた。


「……もう、好きすぎて辛いっす。好きって気持ちが大きくなりすぎて、この気持ちを伝える言葉を持ってなくて、どうしようもなくもどかしいっす! まるで子供みたいっすけど、大大大大大だいっ好きっす!」


「大丈夫、大丈夫。美岬のその言葉にできない部分も態度でちゃんと伝わってるから。俺も美岬への想いは言葉と態度でちゃんと伝えるように努力するからな」


「んふ♪ じゃあ、次にすることは分かるっすよね?」


 美岬が顔を上げて目を閉じて唇をんっと付き出してきたので、俺も黙って唇を重ね、美岬の頭を優しく撫でてやった。


 やがて、どちらともなく自然に離れ、美岬が照れくさそうにはにかむ。


「……へへ。なんかうまく言えないっすけど、幸せで満たされてるっていうか、愛されてる感がすごくて……お腹一杯食べた後みたいに満ち足りてしまったっす」


「心の必要が満たされた感じ?」


「そう、それっす!」


「それを、癒された状態っていうんじゃないか?」


「それだっ! めっちゃ癒されてしまったっす。これで午後からも頑張れるっす」



 お互いに癒し癒された後で、美岬が円形のカルデラ状に掘ってくれた穴を利用して楯干しトラップを作っていく。


 ちなみに楯干しというのは潮の干満差を利用して、満潮時には海に沈むが干潮時には干上がる場所に『コ』の字や『く』の字型に網を仕掛けて、満潮時に網の内側に入り込んだ魚が干潮時にそこに取り残されているのを捕まえる漁法のひとつだ。


 俺たちがやる楯干しトラップは、カルデラ状に掘った穴の陸地に向いた側を開けてΩオメガ型にして、開口部以外に30㌢ぐらいに切った葦を2、3㌢の等間隔で地面に刺して柵で囲むというものだ。

 潮が引く時、海水と小さな魚は柵の隙間から出て行くが、大きな魚は柵の内側のプールに留められる。潮が完全に引く前に入った場所から出ていけば問題ないが、うっかりプールに留まってしまった間抜けな奴は干潮の間ずっとそこに閉じ込められるというわけだ。

 この内湾は波が穏やかで貝掘りのために掘った穴が数日間は埋まらずに残っているからこそできる方法だな。

 通常の波のある海岸でやる場合は美岬が言っていたように、支柱となる太い柱を海中に立て、その間に網を張って魚が逃げられないようにする。


 何ヵ所か場所を移動しながら貝掘りをして、貝掘り跡の潮溜まりを利用した楯干しトラップをさらに仕掛けておく。このトラップのいいところは魚を弱らせず、放っておいても自然消滅するので環境に優しいところだ。

 ロストしたり放置されたりした釣具や漁具による環境破壊は大きな問題になっているが、こういうトラップはメンテナンスをすれば使い続けることができるが放置すればすぐに自然に還るから環境破壊の心配はしなくていい。


「こういう罠を仕掛けるのって何が捕れるかワクワクするっすよね」


「そうだな。ヒラメとかカレイみたいな平たい砂地の魚が捕れたらいいなとは思ってるけどな」


「なるほど~。ヒラメ美味しいっすもんね。捕れたらいいっすね」



 干潮が終わるまでに砂地でハマグリと赤貝、岩場で岩牡蠣を集めて一度拠点に戻ってきた。日が暮れる頃のマズメ時を狙って岩場で釣りをしようと思っているが、それまでにはまだ数時間あるので今のうちに捕ってきた貝類の下処理を終わらせ、主食のジュズダマやスダジイのドングリ集めをしておこう。






【作者コメント】

作者の家の近所の川は鰻が釣れるので毎年この時期は鰻を釣りに行きます。……え? 捌けるのかって? 元はプロの鰻職人なので得意中の得意ですよ。


鰻釣りは投げ竿に1つのオモリと1つの針だけを付けたシンプルな『ブッコミ』という仕掛けで釣ります。エサは真水ならミミズ、潮が混じる汽水域だとアオイソメかカメジャコを使います。小魚の泳がせ釣りもオススメ。


仕掛けを投げ込んだら鈴を竿先に付けて置き竿にして釣れるのを待ちます。うちの地元だと日が暮れて残照が消えつつある7時半から8時半までの1時間が勝負ですね。日によってアタリハズレありますが、昨夜はアタリ日だったらしく次から次に釣れました。家に帰ってきて鰻を捌いて後片付けをしたところで力尽きて寝落ちしてしまいましたが。


これも作品のための取材と言いたいところですが、岳人たちのいる島には鰻は居そうにないので鰻関係のネタは書けそうにないのが残念。


リアリティを追求した結果、自分にとっての専門分野であるパンや鰻に関するネタを使えなくなってしまったというこれも一種の自縄自縛でしょうかね。


サポーター向けコンテンツとして市販の鰻蒲焼きを美味しく食べる方法を上げておきます。

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