第106話 11日目④おっさんは健康的で文化的な食事をする

 拠点に戻ってくるとかまどに掛けてある大コッヘルの湯がぐらぐらに沸いていたのでそれを一度火から下ろし、代わりにハマグリの吸い物の入った中コッヘルを温めなおす。

 それをしている間に三つ葉を細かく刻んでおく。吸い物の薬味に使うのは茎の部分なので、葉の部分は小コッヘルに作ってある浸けダレの方に混ぜておく。


「わぁ……なんか今日も美味しそうっすねぇ。なにか手伝うことはあるっすか?」


「んー、じゃあ串焼き用にぶつ切りにしてあるタケノコメバルの身に串を刺しておいてくれるか?」


「おまかせられっ!」


 美岬がすっかり慣れた様子でナイフで小枝の先端を尖らせてから大きめに切ってある魚の身を串刺しにしていく。


「こっちの薄い身はどうするんすか? 刺身にしてはずいぶん大きいっすけど」


「それはしゃぶしゃぶ用だ」


「な・ん・で・す・とっ! しゃぶしゃぶってマジっすか?」


「おう。この身の質からするとたぶん旨いぞ」


「そんなことわかってるっすよ! しゃぶしゃぶなんてそんな贅沢しちゃっていいんすか!」


「……しゃぶしゃぶで贅沢っていったいどこの昭和の子だよ。俺にとっちゃむしろ手抜き飯の部類だぞ」


「……え、そうなんすか? うちの実家のラインナップにはなかったんでついテンションが上がってしまったっす」


「しゃぶしゃぶは野菜も温野菜になるから胃腸に優しいし、肉から余分な脂を落とすから若い女の子向けのメニューでもあるんだけどな。まあこの島では現状太る心配はないが」


「なんと! じゃあもしあたしが一人暮らししてた頃にしゃぶしゃぶばかり食べてたら……」


「……何事もそればかりってのは良くないが、ジャンクフードばかりの生活に比べればよっぽど健康的で今ぐらいスマートになってたかもな」


「くっ……しゃぶしゃぶ恐るべし」


 拠点からモヤシと豆苗を取ってくる。ちなみにモヤシは食べれば終わりだが、豆苗は根を残して上だけ切ればまた伸びてくる。

 モヤシはそろそろ終わりだが、豆苗はもうしばらく食べられるだろう。


 温めなおしたハマグリの吸い物が沸騰する前に火から下ろして刻んだ三つ葉を入れればふわっと爽やかな香りが立ち上り、美岬がうっとりとする。


「うわぁ……これは食欲をそそる香りっすね」


「これはシンプルにハマグリと三つ葉だけだからな。素材の味をとことんまで活かした上品なスープだ」


「シンプルイズベストっすね」


「まあそうだな」


 かまどの火力を上げて、軽く下味をつけてある串刺しの魚肉に振り塩をしてから強火の遠火で一気に焼き上げる。よく脂が乗っていたので熱で脂が弾けてジュージューぱちぱちと音を立てている串焼きをテーブルの上に準備してあった牡蠣皿に乗せる。

 空いたかまどに湯の入った大コッヘルを戻すがすぐには沸騰しないので先に出来上がった物から食べ始めることにする。


「いただきます」

「いっただきまーす!」


 さっそく美岬が串焼きにかぶりつき、はふはふしながら咀嚼する。


「はふっはふっ! 熱っ! うまっ!」


 シンプルな塩焼きではあるが、この魚が育った環境の海塩から作り出した塩が合わないわけがない。焼く直前の振り塩により塩の結晶をわざと残すのも旨さの秘訣だ。


 俺はまずハマグリの吸い物を啜る。


「……あ、うま」


 ハマグリの繊細で上品な出汁を引き立てる三つ葉の爽やかな香味がベストマッチで、塩だけの味付けとは思えないほど奥深い味わいに仕上がっている。


「…………」


 しばらく2人で黙々と食べているうちに大コッヘルの湯が沸騰してきたのでまず先にモヤシと豆苗をサッと湯通しして皿に上げ、薄造りの魚肉を箸でつまんで湯の中をくぐらせて表面が白くなっただけの状態で野菜の上に乗せていく。


「小コッヘルの浸けダレをつけながら野菜と一緒に食べてみな」


「……っ! ふぉれはおいひいっす!」


「そんな感想は焦らんでいいから落ち着いて食べな」


「……」


 コクコクと何度も頷く美岬の反応に満足を覚えつつ、俺もしゃぶしゃぶを食べてみる。期待通りの味だ。これで柑橘系とかネギやショウガの香味を加えられればもっといいんだけどな。

 雑木林に自生してそうな香味野菜としては、シソ、ネギ、ミョウガあたりかな。ちょっと真面目に探してみるか。シソやネギの近縁種はわりとどこにでも自生してるからあってもおかしくはない。


 あっという間にしゃぶしゃぶを食べ終わり、残ったのは旨味がたっぷり溶け込んだゆで汁と浸けダレ。


「じゃ、最後はこれで締めだな」


「ま、まさかそれをここで投入っすか!?」


 ゆで汁に浸けダレの残りを入れ、それだけじゃ出汁が弱いので残り8枚のヨコワジャーキーのうちの4枚をちぎって入れ、更に塩で味を調整してから、さっき作ってあった生くずきりを投入。冷えて白く濁っていたくずきりが透明かつプルプルに戻ったところで牡蠣皿2つに揚げ、その上からスープをお玉で掛ける。


「はいできた。スープくずきりだ。麺みたいにツルツルと啜ればいい」


「うわぁ。この透明なくずきりのツヤツヤプルプル感がヤバイっすね。しかも箸でつまんでツルツル啜れるって、これぞ文化的な食事っすよね!」


「たしかに手間は掛かってるな。味の方はどうだ?」


「サイコーっす。なんすかこのもちっとしてプルンってなるこの食感! スープの塩加減もちょうど良いし、ヨコワとハマグリの出汁も利いてるし、大根のピリ辛さと三つ葉とハマボウフウの香りも活きてるし……もう大満足っすよ」


「そかそか。葛粉があればどんどん料理の幅が広がるからこれからは料理がさらにグレードアップするぞ」


「わぁっ! それは楽しみっす! …………ふぅ、どうしよう、鍋にスープがまだ残ってるのにお腹いっぱいになっちゃったっす」


「ああ、残ったスープは晩にまた使うから気にしなくていいぞ。さすがにこれ全部一度で食うには多いだろ」


「あ、そっすよね。じゃ、ごちそうさまっす。今回も美味しかったっす。…………? なんでそんなに嬉しそうなんすか?」


「ああ。大したことじゃないから気にするな。俺の美岬への好感度がまた上がっただけだ」


「ホワイッ!?」


 些細なことではあるが、美味しかったと言ってもらえるのは作った人間にとってすごく嬉しいことなのだ。だが、親しい相手には何故か照れが入ってしまって意識しないと言えなくなってしまう。気負わずに素直にそれを言えるのがやっぱり美岬の美徳だな。





【作者コメント】

ミョウガはうちの近所の森の中に普通に自生してますね。といっても食用にする部分はタケノコみたいな地面から出る前の芽なので、見つけるにはコツがいります。


まずは成長しきったミョウガを探します。一本の茎から笹の葉のような細長い20~30㌢ぐらいの長さの葉が交互に出ている100㌢ぐらいまでの植物が森や林の中に疎らに生えていたらミョウガの可能性が高いです。笹に比べると葉が大きいので慣れればすぐに見分けがつきます。


そんな成長したミョウガの根本の地面を調べれば、地面から芽を出したばかりの食べ頃のミョウガがきっと見つかります。ちなみにショウガやウコンも近縁種なので見分けるのは難しいですが、日本の山林に自生しているならミョウガの可能性が高いです。


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