第104話 11日目③おっさんは冷蔵手段を手にいれる

 タケノコメバルを活けじめにして血抜きが終わるのを待つ間に、葛粉の乾燥作業を先に進めることにした。大コッヘルをいい加減に空けないと特に料理に支障が出る。


 まず大コッヘルの上澄みの水を捨て、沈殿している泥状の葛粉を残す。それから未使用の使い捨てウェットシートを水洗いして香料やメントール成分などを流してから干物用の干し網の上に広げ、その上に泥状の葛粉を落として乾燥しやすいように均等に広げ、そのまま天日で干して乾燥させていく。

 水分が多いから乾くまでに何日か掛かるかもしれないが、完全に乾けば白くて脆い板状になるので、それを使いやすい大きさに砕けば葛粉の完成だ。


「これは熱風乾燥じゃダメなんすか?」


「あー、それはダメだ。水気を含んだデンプンを加熱したらドロドロののり状になるからな。葛粉にするのなら常温で自然乾燥させないと」


「あ、そっか。とろみになっちゃうんすね」


「そういうことだ。まあ、といってもその糊は葛粉にはならないが、そのまま別の食材になるんだけどな」


「え? なんすかそれ?」


「濃い水溶き葛粉を加熱して糊にしたものを板状に固めて細く切ったものがくずきりだ」


「へ? あのお鍋に入れるくずきりってそうなんすか?」


「おう。……あ、そうだな、せっかくだから昼用にちょっとくずきりを作ってみるか」


「おぉっ!」


 干し始めていた葛粉を少し大コッヘルに戻し、そこに水を少し足して濃い水溶き葛粉にする。

 かまどで火を起こし、大コッヘルを常にかき混ぜながら加熱していくと、水が少ないこともあり、すぐに鍋底がドロッとした糊状に固まり始める。そのままにすると焦げ付くので、木べらでまんべんなくかき混ぜながら、固まった部分とそうでない部分を入れ換えながら加熱を続ける。やがて全体が糊状になり、だんだん白から透明に色が変わってくる。

 ぼこん、ぼこん、と大きな気泡がはじけてきたところで鍋を火から下ろし、綺麗な食品用ビニール袋に半透明の糊を流し入れ、平べったく伸ばして粗熱を取る。

 使い終わった大コッヘルを小川で洗ってそのまま冷たい水を汲んで戻り、糊の入ったビニール袋を中に水が入らないように注意しながら冷水に漬け込んで冷やし固める。あとは固まってから細く切るだけだが、この作業はここで一旦中断して別の食材の処理をしていこう。


 次は血抜きの終わったタケノコメバルだ。

 余談だが、釣った直後は迷彩模様だったタケノコメバルだが、今では黄土色に焦げ茶色の細かい斑紋を散らしたような、それこそおにぎりを包む竹皮みたいな色に変わっている。おそらくこの色が名前の由来だろうと思う。

 細かい鱗を丁寧に落とし、頭を落として内臓を抜き、三枚卸しにする。まだ身が活きているのでピクピク震えているが、しっかりと血が抜けていて透明感のある綺麗な白身だ。

 さすがにこの大きな1匹は昼の一回で食べきるには多いし、午後からも食材調達をしなければならないことを考えるとこの食事の準備にあまり多くの時間はかけられない。


「美岬、俺がこれをやってる間にちょっと小川まで行って、流れの中に石の囲いを作っておいてくれないか?」


「ほ? 了解っすけど、それは何に使うんすか?」


「冷蔵庫だ。すぐに使わない魚の身をビニール袋に入れて沈めておけば冷えた状態で保管できるだろ?」


「あ、なるほど! その手があったっすね! じゃあ石囲いは直射日光が当たらない木陰に作った方がよさそうっすね。水浴び場所のもうちょっと川上の方に作ってくるっす」


「おう。任せた」


「おまかせられ~」


 美岬がさっそく空のスポーツバッグにそのへんに転がっている大きめの石を入れていき、スコップも持って小川の方に向かう。小川の辺りはあまり石は無いし、川床が浅いからちょっと掘って浚渫しゅんせつするつもりなんだろう。行き当たりばったりではなく、何が必要か段取りを考えながら動いているのがよく分かって感心する。まったく頼もしい相棒だ。


 美岬にそっちは任せてタケノコメバルの処理を進めていく。

 三枚に卸した身から骨を取り除き、皮を剥いで身だけにして、半身分をビニール袋に入れて空気を抜いて口を縛っておく。これは冷蔵しておいて晩飯に回そう。

 残った半身を串焼き用のぶつ切りと、大きめの薄造りにする。死後硬直前の活きた身は弾力が強すぎて薄造りは難しい。ぶつ切りは木串に刺して塩で下味を付けておく。


 身の付いた骨からは良い出汁が出るのだが、処理に時間がかかるからこれも後回しだ。袋を突き破ってしまうトゲのあるヒレだけは切り落として捨て、それ以外の骨や皮やアラをひとまとめにして、ビニール袋に入れる。

 残った内臓をまな板ごと持って波打ち際に向かう。消化器の中身はけっこう臭いので洗いながら処理するのが一番面倒が少ない。処理の終わった内臓もアラと一緒にビニール袋にしまい、これで魚の方の作業は一旦終わりだ。


 美岬が潮干狩りに使っていた篭を覗いてみれば、あの短時間できっちり大きなハマグリを4個採ってきてくれていた。さっそく中コッヘルにハマグリと水を入れて火に掛けてゆっくり加熱していく。

 しばらく待てばハマグリが次々に口を開き始め、茹で汁が一瞬で白く濁り、ハマグリの上品な出汁の匂いが立ち上る。浮いてきた灰汁アクをお玉で掬って捨てていけば、やがて濁りが薄くなってくる。このタイミングで味を見て、塩を少し足して調整すればハマグリの吸い物の完成だ。仕上げは食べる直前にしよう。


 そして、小コッヘルにハマグリの吸い物の汁を少し取り、そこに実ダイコンとハマボウフウを刻んだペーストを薬味として混ぜ、塩で濃いめに味をつけて浸けダレも作っておく。


 大コッヘルの冷水にビニール袋ごと漬け込んで冷ましていたのりの状態をチェックしてみれば、コンニャクぐらいの固さになっていたので冷却はもう十分だろう。

 袋の口を開け、スプーン1杯分ぐらいの水を入れてちょっと揺すれば張り付いていた糊がペロンと綺麗に剥がれるので、それをまな板の上に出してうどんぐらいの太さに切ってから袋に戻しておく。固めた葛の糊を切るから『くずきり』だ。

 冷却に使っていた大コッヘルに残った水はそのままかまどで沸かしておく。


 とりあえず食事の準備はこれぐらいだな。

 冷蔵する予定の魚の身とアラの入った袋を持って小川の方に向かう。

 普段、水浴びや洗濯をする場所より少し上流で、スコップを片手に川の中に立っている美岬を見つける。水の深さはだいたい足首ぐらいだ。


「よう、どうだ具合は?」


「こんな感じでどうっすかね? 今、中をちょっと掘って深くしたんで濁りがなくなるのを待ってるとこっすけど」


 川縁からカタカナの『コ』の形に石囲いが作られ、石囲いの中には上流側から綺麗な水が流れ込み、濁った水が下流側に流れ出ている。濁りが薄くなりつつある石囲いの中はだいたい30㌢ぐらいの深さまで浚渫しゅんせつされているようだ。


「うん。これだけ深さがあれば十分だ。俺が特に何も言わなかったのにちゃんとスコップを持ってきて石囲いの内側を浚渫してるのはさすがだな。よく段取りを考えて動いているなーとさっきから感心してたんだ」


「むふっ! あたしもダーリンのパートナーとして相応しい存在になれるよう、日進月歩で成長してるんすよ」


 どや顔で胸を張る美岬の頭をわしわしと撫でてやる。


「ふふ、そうだな。どんどん頼もしくなってるよな。でも、そんなに背伸びしなくても、美岬は今でも俺には勿体ないぐらいの最高のパートナーだし、自慢の嫁だけどな。……さて、じゃあさっそく晩飯用の魚はここで冷やさせてもらって、戻って昼飯にしようか」


「もう! もうもうっ! またそうやってダーリンはしれっとそういうセリフであたしを喜ばせるんすからっ!」


 俺が持ってきた魚の入ったビニール袋を石囲いの内側の冷水に沈めて立ち上がれば、美岬が傍に寄ってきて俺の腕に自分の腕を絡めてくる。


「んふっ、腕組んでるカップルって昔からいいなーって憧れてたんすよねー。いかにも仲良しって感じじゃないっすか」


「そうだな。じゃあこのまま戻るか」


「えへへ……っ!」


──ぐうぅぅ……


 美岬の顔が照れ笑いから驚愕、そして羞恥へと一瞬の間にめまぐるしく変わる。そして、空いている方の手で慌ててお腹を押さえ、眉をへんにょりとさせた情けない表情をする。


「……聞こえたっすよね」


「気にするな。俺も腹ペコだ」


「くっ! あたしのお腹にはイチャイチャを感知して警報を鳴らすセンサーでも搭載されてるんすかねぇ。いっつも邪魔してくれるっすね!」


 珍しく美岬がご立腹だがその対象が自分の腹の虫ではどうしようもないな。食事をする以外に解決策は無いし。もうこの話題にはあまり触れない方がいいだろう。

 俺は美岬の頭を軽くぽんぽんして落ち着かせてから、彼女を促して拠点に向かって歩き出したのだった。




【作者コメント】

冷蔵手段って川に浸けるだけかい! と言うなかれ。田舎では昔から行われている実用的な知恵なのです。トトロでも小川の水で野菜を冷やすシーンがあったよね。水を通さないビニール袋のような物があれば肉でも魚でも冷やしておけます。


……むしろここまでお付き合いいただいている読者様ならビニール袋の汎用性の高さにこそ注目されてるかもしれませんね。そうです。無人島というかガチサバイバルだとビニール袋は是非ともある程度まとまった数を持っておきたいアイテムです。特に簡単には破れない食品用の厚手ビニール袋はめちゃくちゃ汎用性が高いので非常用持ち出し袋に入れておくことをお薦めします。13号サイズの100枚入りが個人的には一番いいと思っています。


そしてもうひとつ縁の下の力持ちとして活躍してくれるアイテムが不織布のダスタークロスです。飲食店などでテーブルの拭き上げなどでよく使われてるピンクやブルーのあれです。正直、岳人が持ち込んだアイテムにダスタークロスを含めていなかったことをこれまで何度後悔したことか! ダスターがあればこんなに苦労せずに済んだのにと思えるシーンは何度もありました。これもホームセンターなどで安く買えるのである程度まとまった数を非常用持ち出し袋に入れておくといいですよ。


いざ非常事態が発生したら、ビニール袋とダスタークロスは間違いなく持ってて良かったーと実感するはず。


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