第6話 調停

   ⁂


 京子は孝道を見つけて家から連れ出すと言ってきかなかった。彼がそんなことをしてもどうにもならないというのも聞かずに、京子はアパートから出て行ってしまった。

 取り残された彼はしかしながら清々していた。あの陰湿な兄とはもう関係ない。彼の考えるところに孝道の存在はもうなかった。そもそも小さい頃から彼にとって異常者の何者でもない兄の存在は、いなくなったほうがマシだった。あとは親権者に任せて放ってしまえばよかった。そもそも幸助に孝道の面倒など見れるはずもないのだから。

 その後しばらくして彼のところには父が来た。

「何があった」

「あっちに行けば分かるよ」

 白々しく彼がそう言うと父はネクタイだけ抜き取って家へ向かおうとした。彼はせわしない父を引きとめて話した。

「第一志望の大学は諦めるよ」

 父は驚いたような顔をして彼を見て怒鳴った。

「どうするつもりだ」

 彼はどうしてそんなことで父を引き止めたのだろうかと思った。どうせいつもと同じことを言われるだけだ。今さらこの男に自分の人生を話したところで、いつも思う通りにさせないように無茶苦茶にするのはこの家族なのだ。彼は自分自身をバカバカしく思いながら「今から推薦でいける適当なところを探す」と返した。

 父は何か言いたげな顔をしていたが、それ以上は口にせず「そうか」と言っただけで、すぐに家の方へと向かった。

 彼は母親の別居先に留まったまま、鞄につめ込んだものの整理をした。南側にある窓の向こう側には、集合団地が並んで見えた。夕暮れに向かう時刻で、団地の影がコントラストを強めている。そのそびえたつような建物の一棟一棟が、みじめな気分を思わせるのは、何のためだったのか彼にはすでにわからなかった。 大通りを車がいくつも行き来しているのを見ると、彼はこの世界だけ時間が止まってしまったように感じた。実際彼にはこの先のことが何もわからなくなっていた。今まで自分はなんのために生きていたのか、家族などという離そうとしてもいつまでもひっついて来る厄介なものに、生きた半分以上を費やしたバカバカしさにこの先やるべきことをなんの準備もできずにいることが更に彼を厭世的にしているのであった。

 しばらくしてまた京子は戻ってきた。 彼女は黙ったまま夕食を作りはじめた。父はその後すぐに戻って、父母同士二人で話しはじめた。彼はそのくだらない喧嘩の話にはほとんど聞く耳を持たず、畳の上に寝そべりながら、暮れていく窓の向こうの景色を絶望的な感慨の中で眺めていた。

 その晩は三人、同じ床で就寝した。その夜が彼の母を見た最後だった。


 孝道はその日のうちにあの家へ戻った。孝道は祖母には恨みがないから問題はないだろうという話をして、家にいた祖母はそのまま留まることになった。実際に孝道は祖母に危害を加えることはしなかった。そして祖母は父と家の修繕のことで話をした。父は祖母に孝道の見張り役を頼み、やがて家に戻ることを考えているのだと話した。そして、孝道のいない間に父は家から背広やら、家の権利の書類などを全部持ち出して、彼と不自然にも、半年近く母親の別居先に使っていたアパートで暮らした。

 そうした生活は、どんより淀んだ空気の中で過ぎた。カラッとサッパリすることはなく、どことなく湿っぽい長い月日だった。

 家族に対する彼の失望は既に感じられることだった。ただ、事を起こすのに時間がかかるだけで、そのためにひどく陰湿でしつこく、清算は早い時間では間に合わなくなっていた。京子は別居先からも離れたが、居所は簡単に知れた。K家に帰っていたのである。父は母親にアパートの代金を支払うのが嫌で仕方ないらしく、毎晩独り言をぼやいた。そして父は溜息ばかりをついていた。離婚は愈々決定的となった。父が調停に呼ばれて、彼もついて行くことがあった。しかし話し合いに同伴することは拒まれた。彼も母親に言ってやりたいことはあった。しかしあの女が話し合っていたのは財産分与のことだけであった。確かに調停で決められるのは離婚の話だけで、家族間の揉め事の解決などは関係なかった。 父と京子の離婚の調停の間に彼は何かの勘違いのような、押し付けがましい文面の手紙を渡された。彼宛のその手紙は、弁護士を通して父に手に渡された京子からのものだった。 彼は形だけでもその手紙を受け取って、目を通した。


 幸助君

 大学入学おめでとう。 自分の人生への第一歩を、自ら決めたことが、何より良かった、と私は、うれしく思っています。

 また、中学・高校と違ってS大学は、これからの社会、生きているものすべての共生を目指していく上で、深く考えてきた先生方がそろっているとことだと思います。だからS大学を選んだことも良かったと私は、考えています。

 それにしても、私が自分を〝お母さん〟と称さなくなって久しいです。親であることは変わりません。私の性質の半分は、孝道君も、受け継いでいるのですから。 それでも孝道君が中学の時、勉強の面や友だち関係、教師のことで、私が理解することができず、不安感にのみかられ、ヒステリックに追いこんでしまってから、私自身が〝お母さん〟などと生ぬるい言葉では称せなくなってしまいました。親としての自信を失くしたとも言えますが、それよりも逃げの気持ちの方が強いですよね。現実逃避だろうと今では、私自身が、そう思っています。

 孝道が中学生としての生活の見切りをつけ外に出なくなってから、幸助はいろいろなことを考えてきていましたね。私の対応のまずさも、つぶさに見てきました。それを今更、弁解しようとしているのではありません。これは私が、 これからもずっと自分を糾ただしていかなければいけない課題です。人間としての……。

 幸助が高校に入る前後の二年間、ちょうど老人介護施設の相談員をやっていたころのお母さんは本当によくなかったです。そんな時の高校二年の夏に大学受験の具体的な方向性をアドバイスしてくれたのはお父さんではなかったかと思います。 お母さんには何も言えませんでした。言える資格があったかどうか、ということだけでなく、孝道の時のように、何もわからないのに、不安にかられ、ヒステリックになって幸助の将来までも、潰してしまうのではないかと怖かったからです。それから孝道の時は、高校の三者面談で、私が先生の前で話したことで、孝道からものすごく反発されてしまったことでも、自信をなくしてしまいました。幸助の将来に何の関心がないのではなく、もはや私が立ち入っていけないのだと考えていました。幸助がとても辛そうにしているのは分かっていました。今も辛い、ということも……。 それでも幸助が自分で決めていくことを私は見守っていくしかない、待つしかない、と。

 大学で幸助が何をしていくのか私にはよくわかっていませんが、大学での四年間はいろいろなことが吸収できる貴重な四年間になると思います。 去年の暮に、幸助は、私に「半端だ」といっていましたね。 それでも私は中途半端を捨てられず、弱さも克服できず、家を出ても、行ったり来たりの生活を選んでいます。 こうやって少し距離を置いて孝道や幸助が巣立って行くのを親鳥のように見守っているのだと言わせてもらっては、いけませんか? おこがましい言い方ですが。

 ××××年×月××日

 幸助君へ

               母より


 彼は気持ちが悪くて仕方がなかった。今までのことを思えば結局京子はわかったような台詞で言いくるめて、自分の好きにしていたいだけなのだ。彼には京子の言いたいことが、結局何だったのかわからなかったし、手紙に書かれていることに反して調停で話していることがあまりにも勝手な言い分で、非常に怖くて、笑うことしかできなかった。そして彼はこの手紙を受け取ったことで、京子と父との間にはすでに会話の余地はなかったのだと思った。それなのにも関わらず父は離婚を躊躇ためらっていた。

 彼からしてみればこの親の夫婦関係は面倒になっていた。京子がこれからも揉め事を続けていくことを考えると嫌気がさしたし、父親がいつまでも独り言をぼやくのにももう飽きていた。馬鹿らしさをいつまでも引きずって生きる必要などもうない。このくだらない陰湿な関係がさっぱりなくなってしまうならひとつも考える余地はもうなかった。幸助は躊躇ためらわずに父に離婚をすすめた。そして父にとって彼が母親を要らないと言ったことが決め手になった。 それは父が離婚を躊躇ためらっているのは、人のせいにしたいためだからだ。彼にはそれがわかっていた。父は当然のように〝お前のせいで〟と口の端々から漏らした。この男に判断という言葉はないのだと彼は思って笑ってやった。 京子は既にいてもいなくても変わらなかった。彼の中で母親という人はもういなかった。あの人は誰だったのだろうかという記憶だけがあった。しかしそう思いながらも彼の身体に母親の血が混ざっているという事実だけは変えられなかった。

 父はある晩、項垂うなだれた身体を床に付けた時、彼のことをこう言ったのだ。

「お前は間違って生まれてきたんだ」

 彼は驚いた。戸惑いながら、しばらく何も言い返せなかった。どうして父が私を責めることができるのか、訳も分からなかった。 しかしこれもこの親の自分本位の現れにすぎないことであることは確かだった。

 父は床に入って背を向けたまま黙っている。

「もう、死んでもいいか?」

「——バカ」


 京子は父の年金の半分と、これからの生活費の一部として700万を渡すようにとだけ弁護士を介して言った。父もそれで折れて年金の半分は京子の権利になった。彼はそんな権利を京子に与えることすら、もったいないと感じた。家や家族を捨てた人間に生きる意味があるだろうかと思った。そんな人間が生きていることすら恥ずかしく思えた。そして、彼はそんな母親とは二度と会うことはないと思った。


 離婚調停の間に母方の親戚の叔父さんが亡くなった。叔父さんは京子の姉の良人おっとだった。

「叔父さんが死んだって」

「癌だったんだろう。知ってるよ。お前、焼香あげになんか行くつもりなのかよ」

「一応、世話になったから、叔父さんには。行かないと逆に気持ち悪いでしょう」

 幸助と父は京子の姉のその良人と面識があったために、焼香だけあげに行くことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る