5、言葉少な

 中学校は小学校よりも輪をかけてつまらなかった。生ぬるい協調を強いられる小学校は、それはそれで居心地の悪いものだったが、中学校は生徒を抑圧的に統率しようという本音を隠さなかった。放課後の過ごし方、髪の色や長さ、持ち物の色まで、あらゆるものがルールによって定められた。少しでも反抗的な気配を見せれば、恫喝や、時には痛みによって、有無を言わさず抑圧された。

 当時の教師は今よりずっと権威を持っていた。なぜなら教師であり大人だから、というのが彼らの理屈だった。彼らは教育という御旗を掲げながら、動物をしつけるように生徒をしつけた。

 もっとも生徒のほうもほとんど動物のようなものだった。教室の喧騒は聞けたものではなかった。万引き、飲酒、爆竹を使ったいたずら、廊下を走る自転車、割られた窓。やんちゃであることが子どもらしさだ、という価値観にあてられ、やんちゃの域を超えてしまった奴ら。言ってもわからないなら身体に教えるしかない、という理屈で、拳骨を食らわせる大人。何もかも救いようがなかった。

 授業。課題。学級活動。放課後。決められた規範。生活はあらゆる角度から締め上げられ、身動きのできない窒息感だけがあった。

 そんな中、俺は決して真面目ではなかったが、表立って非行に走るほどのエネルギーも、徒党を組んで馬鹿騒ぎをする社会性もなかった。勉強はまるでできなかったから、授業はいつもつまらなかったし眠かった。机につっぷして寝る俺の頭を、教師はよく教科書でばしんと叩いた。

 ある日もいつものように頭を叩かれて、俺は眠気と煩わしさの中で顔を上げた。教師はこちらを険しい顔で睨みつけていた。

「教科書は」

「……忘れた」

「なんだその口の利き方は」

 もう一発頭を叩かれた。

「忘れたんなら、別のクラスから借りなさい。頭使えよ猿じゃないんだから」

 教師は俺の隣の奴に教科書を見せるよう指示し、二度目の溜息のあとに授業が再開された。教科書を見せるよう言われた女子生徒は、露骨に嫌そうな顔をしながら、机の段差から数センチこちらに教科書をはみ出させた。俺はそれを見ることもなく、授業の残りの時間ずっと、頬杖をついて遠くを眺めていた。

 生徒の半分は同じ小学校からの持ち上がりだ。田舎のことだから、俺の噂は周りの人間のほとんどが知っている。中学に上がっても、遠巻きに疎んじられる生活は何も変わらなかった。あいつと関わんない方がいいよ、という声はあちこちで聞いた。弟が死んだことも何か不吉なもののように語られた。目が合っただけで「睨まれた」と被害者面をされ、席替えのたびに外れくじ扱いされる俺に、教科書を貸してくれるような他クラスの友人などいるはずもなかった。



「気持ち悪い絵ばっか描いてんじゃねえよ」

 ある日の放課後、そう言って俺に絡んできた奴がいた。度胸試しだったのだろう、周りからは「やめとけって」という言葉と同時に、くすくすと笑う声もした。

 その日俺は、天気が悪くて頭が痛いせいもあり、いつも以上に虫の居所が悪かった。

 最初はイライラしながらも無視を決め込んだ。耳鳴りを抑えるために、無意識に膝が揺り動く。手を出したらまた面倒なことになる、という程度のことは学習していた。誰かを殴りたくなったら、気持ちにブレーキをかけなさい。施設長は俺に何度も同じように言い聞かせた。

 耳鳴りがする。何が面白いのか、男子生徒はニヤニヤしながら俺を煽る。

「お前の弟死んだんだって?」

 身体にまとわりつく、煙のような影。久方ぶりに目にした。これは悪意だ。長い虫が足元から上がってくるような不快感。金属音のような耳鳴り。頭がぎりぎりと痛む。

「お前みたいな奴も死んだ方がいいんじゃね?」

 その瞬間、耳鳴りが消えた。水を打ったように静かだ。俺は何も言わずに立ちあがる。

 俺はそいつを突き飛ばして、椅子を顔に叩きつけた。

 手に伝わる振動。女子が悲鳴を上げる。周りにいた奴らがざっと俺たちから退いた。鼻血を出しながら転げまわったそいつは、痛い痛いと大袈裟にわめいたので、「うるせえよ」ともう一発椅子で殴った。

 この日の暴力沙汰はそれなりに大きな騒動になった。俺は別に興奮してはいなかったが、駆けつけてきた教師たちに抑えられ、グーで一発ぶん殴られた。それから、例の生徒の親と、施設長と、担任と、学年主任とで面談になった。俺は一言も言葉を発さなかったが、施設長にむりやり頭を掴まれ、下げさせられた。生徒の母親はいつまでもヒステリックに怒鳴り続けていた。髪に割り入った指の感触が、頭から消えなかった。

「最近は落ち着いてたのになあ」

 帰りは施設の車に乗せられた。運転席に座った施設長は、でっぷりとした腹がつかえて邪魔そうだった。細かい雨をワイパーが塗り広げた。自転車は学校に置いて帰るから、明日は歩いていくはめになる。憂鬱だった。

「こういうことがあると、ほかの子も肩身狭くなるからさ。施設の子どもはこれだから、とか言われるんだよ。だから、気を付けて、な。自分で自分の首しめるんだから」

 ハンドルを片手だけで動かしながら、施設長はくどくどと言葉を連ねた。俺は助手席の窓にもたれて、ふてくされながら窓の外を見ていた。

 日はいつのまにかとっぷりと暮れていた。例の生徒の親の都合で、面談が始まったのは下校時刻よりも遅かった。車の時計はもうすぐ九時を指そうとしていた。夕飯の時間は終わっている。忘れかけていた空腹がぎゅっと胃を締めつけた。

「ラーメンでも食って帰るか」

 施設長の口調は妙に優しく聞こえた。別にいい、と俺は彼の提案をつっぱねたが、「もう飯残ってないぞ、みんな食べちゃったから」と言われると、返せる言葉がなかった。

「チビどもにずるいって言われたくなきゃ、内緒にしとけよ」

 俺の返事を待たず、施設長がウィンカーを切った。車の停まった先は小汚いラーメン屋だった。カウンターは油で光っていたし、客席の足元にはゴキブリホイホイが置かれていた。顔をしかめた俺をよそに、施設長が勝手に二人分の注文をする。

 丸くて高い椅子の上で、俺は持て余した足をぶらぶらと振っていた。会話の代わりにつきっぱなしのテレビが隙間を埋めた。施設ではあまりつくことのないチャンネル。油性ペンで書かれた手書きのメニュー。麺をゆでるお湯と、スープのにおい。客は俺たち二人のほかには、幼児を連れた母親しかいなかった。子ども用の椅子に座らされた男の子が、肘でコップの水をひっくり返して、むっちりした太ももを母親に叩かれていた。

 湿度と温度の高い空気は、嗅いだことのないにおいがした。想像していたよりずっと長い時間を置いて、はいよ、と二つどんぶりが置かれる。割りばしは上手く割れなかった。箸をつっこんだら、いただきますは、と施設長につつかれて、口の中で小さくいただきますと唱えた。熱いのが苦手だから、念入りに麺に息を吹きかけていると、いつまで冷ましてるんだよ、と笑われた。いいだろ別に、と麺を啜ったらやっぱり熱かった。口いっぱいに油の味がした。ぼんやりと腫れた口の内側が痛かった。

 お前は言葉が少ないから、いつもそれで損をするな。施設長がこちらを見ないまま言った。

 ラーメンを食べて帰ってきたことは、制服についたにおいのせいですぐにばれた。俺を取り囲んだチビどもからは、案の定ずるいずるいと言われた。

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