第四章

 「ねえねえ、これ見てカズくん!」

「……」

「ねーねーカズくんってば!」

「え、あ、何か言ったか?」

「もう……これっ!」


 満面の笑みで振り返ったハルナリに、俺は顔を上げた。

 これ、と彼が嬉しそうに示す本はなかなかに古く、表紙もページもざらざらと和紙に近いような紙でできている様だ。

 そしてハルナリがこんなにも得意気にしているのは。


「見つけたよっ、村の本!」

「えっ、見つけたのか?」

「うん!」


 確かにその本に長老様の印が押されているからで、この本が俺達が探していたものだと確信したからだった。


「え、ハルすごいよ!」

「ハルナリに先越されちゃうなんて……」

「すごいな、ハルナリ!」

「えへへ」


 よくやったと頭を撫でてやってからその本を受け取る。


 ユキナリたちが加わったことで格段に早くなった作業は、書庫の中にある未確認の書物の量を確実に減らしていた。付き合わせてしまっているのは申し訳ないけれど、本人たちは遊び半分でやっている様で始終楽しそうにしているから大丈夫なのだろう。


 俺は早速本を裏返してみたり開いてみたりと調べ始めた。


 ようやく見つけたその本は他と比べると薄いが、始めから終わりまでびっしりと文字で埋められている。その量に圧倒されていると、トウコが興味津々といった風に尋ねてきた。


「それ何が書いてあるの?」

「あー何かの情報みたいだな。文章というより箇条書きで書かれてるし……」


 漢字の様で少し違うこの文字は昔の文字だ。繋ぎ文字になっているのもあって何が書いてあるのかはわからないが、そのすぐ下に書かれているのは漢数字。年号と日付を合わせたようなもので、それが二つ。


 何かのリストか……?


 ペラペラと捲ってみる。そうすると気づいたのだが、ところどころ丸が記されている欄があった。丸が三ページほど全くないページが続くこともあれば、五つほど連続して出てくることもある。規則性はないようだ。


「うわあ、何これぇ……」

「日付以外読めないね」


 ユキナリとハルナリが本を覗き込んですぐに、顔をしかめて身を引いた。

 気持ちはわかる。全く読む気になれない本だ。

 眺めているだけなのに頭痛が酷くなってくる。


「でもな……」


 何か情報があるかもしれない。ここで読まないという選択肢はないだろう。


 文字をじっと見つめてみる。ほとんどわからないが「朗」や「子」などの幾つかの文字はかろうじて読むことができた。

 とするとこの漢字の部分は人の名前なのだろうか?

 それじゃあこの日付らしきものは?


 ……わからない。


「あー」


 ダメだ、上手く考えがまとまらない。

 湿気の籠った書庫の中は暑くて、パタパタと顔を扇ぐ。


「サクヤがいればなぁ」


 頭脳系はサクヤの役目なのだ。

 俺には全くわからない。


 わかりそうでわからないもどかしさに、ガシガシと髪をかいた時。


「ねえ、日付なら誕生日とかじゃないかしら?」

「え?」


 隣で考え込んでいたトウコがポツリと呟いた。


「ほら、人の名前もあるなら、その人の誕生日とかの可能性が高くない?」

「あー確かにそうだな」


 誕生日。そう考えれば連続する人の日付が順番に並んでいるのも納得できる。


「じゃあ二つ目の日付は……」


 考えたくないけれどそういうことだろう。


「亡くなった日、ってことか」


 トウコがコクリと頷く。その表情はどこか悲しげだ。

 それもそのはず。


 一人の人に記された二つの日付は近い。

 始めの方は十年ほどで亡くなっている人もいた。時代の変化と共に寿命も伸びているようだが、最後のページまで行っても三十代に入れれば良い方。それが今から百年前の日付で、この本の中で最も新しい情報だった。


 嫌でもそこから連想するのは俺達の……


「じゃあ、これは何なのかな」


 ユキナリの声に急いで暗くなりかけた思考を払う。

 彼が示していたのは丸だった。


「あとわかってないのはそれだけだよねぇ」

「何なのかしら」


 不定期に現れる謎の丸。

 人物名に共通点も特にはないし、日付もバラバラだからわからない……


「あ」


 俺は改めて日付を見直した。一つ目ではなく、二つ目の日付。

 丸がついている人の日付と並ぶ人の日付を見比べる。

 別のページでもそれを繰り返す。


「なに、どうしたの?」

「カズ君?」

「もしかしてわかったの!」


 やっぱりそうだ。

 ドクンと心臓が波打つ。


「丸がついてる人たち……」


 日付を指差す。

 この人も、この人も。


「長く生きてるんだ。喰字鬼にはありえないほど、外の人間と同じくらいまで」


 緊張と期待からか、ドクドクと耳元で血が流れるのを近くに感じた。

 ゴクリと唾を飲み込む。


 もし、これが当たっているのなら。

 当たっているのなら……



「運命の文字を、見つけられたのかもしれない」



 三人が揃ってハッと俺を見上げた。

 遠くから聞こえてくる外の喧騒が、大きくなった。





 ◆◆◆


 俺達が外へ出た時にはすでに、村はいつもとは変わった色で溢れていた。

 頑丈そうな黒の隊服を身に纏った、数十人もの外の人間があちこちに配置されている。村と外を繋ぐ唯一の道には大きなトラックが塞ぐようにして停まっていた。そこから出てくるのはスーツ姿の一目でお偉いさんだとわかる様な人達で、鋭い目と感情の無さそうな顔は皆同じに見える。


 俺は小さく息を吐いた。

 何度か見たことがあるとは言っても、この光景には全く慣れることがなかった。

 むしろ成長するにつれて嫌悪感は増した気がする。


「こんなに早く来るんだ……」

「ええっ、夕方からじゃなかったの?」


 ユキナリとハルナリが唖然とする横でトウコも嫌なものでも見たかのように眉を寄せていた。


 夕暮れの鐘が鳴り人が戻ってくる。

 普段は夕餉まで外で談笑したり作業をしたりと自由に過ごしているというのに、今日は皆揃って集会場や各家へそそくさと入っていく。


「あ、あれサクくんじゃん!」


 ハルナリの声に顔を上げれば、丁度今解散したばかりの、狩りから戻ってきたのであろう集団の中によく見知った姿を見つけた。


「ほんとだサク君だ」

「この時間に顔を見るの久しぶりね」


 積極的に大人たちに混ざっているサクヤは、基本俺達とは生活の時間が違う。

 それに加えここ最近夕餉を取りに来ていなかったこともあり、全く会う機会がなかったのだろう。


 嬉しそうに駆け寄っていくハルナリたちの後ろから俺も手を振った。

 今日は寝なかったんだな、と口を開きかけてふと違和感に気づく。


「サクヤ?」


 距離が遠いとはいえ声は届いているはずなのに。


 全くこちらを向かない瞳に、心なしかフラフラと覚束ない足元。

 僅かに窺える表情は遠目でもわかるほど険しくて。


 何だか嫌な予感がした。


「サク……」


 もう一度声を上げようとした瞬間。


 その体がグラッと揺れた。


「サクヤッ!」


 咄嗟に、前にいたハルナリとユキナリの肩を突き飛ばすようにして走り出す。

 傾いていく体。その瞳が固く閉じられているのが見える。


 間に合わない……!


 俺はグッと歯を食いしばり地を蹴った。

 永遠のように感じる距離を出せる限りの全力で詰め、倒れたサクヤの側に駆け寄る。


「サクヤッ、大丈夫か、サクヤ!」


 激しく揺らさないよう気を付けながら体を起こす。

 幸いなことに地面は土だったから怪我はないようだ。

 それでも瞳は閉じられたままで、息苦しいのか呼吸が荒い。


 そしてその体はひどく熱を帯びていた。


「サクくんっ!」

「サク君……」

「ちょっと、大丈夫なの?」


 遅れて駆け付けてきた三人にの問いかけには答えず、サクヤの額に手を置く。

 熱くない。


 服越しに伝わってくる熱は体全体からのようにも思えたが、どうやら違うらしい。

 右腕と左腕、背中……


 まさか、と俺は力の入っていないその手を掴みバッと袖を捲る。


「っ……!」

「あ……」



 燃えているかのように赤く染まった文字。黒かったはずのそれは熱を放ち、その影響で皮膚が痛々しく腫れ上がってしまっている。



 ユキナリたちが隣で息を飲む気配。俺は唇を噛んだ。


「なんっで……!」


 なんでこうなるまで。

 何も言ってくれなかったんだよ。


 今のサクヤの症状は完全に、喰字欲を無理に抑えすぎたことからくるものだった。


「さ、サクくんっ……サクくんっ……!」


 ハルナリがふらふらと地面に膝をつきサクヤに手を伸ばす。


「ウソだよね、っ、起きて、サクくん……」


 肩を掴みそのまま揺らそうとするから、ユキナリが慌てて止めさせた。


「落ち着いてっ、ハル!」

「イヤだ、イヤだぁっ……」


 無意識にこの間のユキナリと重ねてしまっているのだろう、ハルナリは軽くパニックを起こしていた。イヤだ、イヤだと声を上げながら泣いている。それを必死に押さえるユキナリとトウコ。


 俺は。


「サクヤッ、なあサクヤッ!」


 起きろよ、と声をかけることしかできていなかった。


 サクヤは目を開かない。ぐったりと俺に体重を預け、苦しげに顔を歪めていて。


 ……また、何もできない……?

 何も。見ていることしか、できない?


 ……そんなの、嫌だ。


「運、ぼう……サクヤの家に、運ぶ……っ」


 込み上げてくる感情を必死に飲み込み、俺はサクヤに背を向けた。

 腕を自分の首に回させ身長の高いサクヤを何とか背負う。


 背中が熱い。

 こんな熱さを、サクヤはずっと抱えて……


 沈みかけた思考に俺は頭を振った。

 ダメだ、反省は後にしろ。今はそれどころじゃない。


「長老様に、報告……してきてくれ。サクヤは、俺が見てるから」


 頼むとそれだけ伝えて走り出す。

 わかった、という頼もしい声と遠ざかる足音が後ろから聞こえた。


 早くサクヤを家に。


 重さで軽くよろめいたが、それだけを考え足を動かす。


 こんなときに限って村人は誰一人いない。

 辺りは静かで、助けてくれる人は誰もいない。


 早く。


「おい止まれ」


 不意に目の前を、黒の人間がサッと塞いだ。


「少年、背中のソイツはどうした。様子がおかしい様だが」


 無遠慮な、まるで品定めするかのような視線が俺達に突き刺さる。

 俺はサクヤを庇うように身構えた。


「何か答えたらどうだ」


 どうせ、答えても助けてくれないくせに。


「……どいて、くださいっ」

「答えろ」


 早く、早く。


 脇を通り抜けようとした俺の肩を掴み、男は面倒くさげに舌打ちをした。


「チッ……手間かけさせやがって」


“鬼のくせに”


 そんな言葉が空気を震わす。


「気味が悪いんだよ。こんな村さっさと無くなりゃいいのに」


 ボソリと呟かれたそれに、俺の中で随分昔に収まったはずの炎が燃え上がるのがわかった。


 ここにやって来る外の人間は、いつも。

 ……どいつもこいつも、そればっかり。


「おい少年、早く答え……」

「いいからっ、どけよっ!」


 顔を上げキッと睨み付ける。

 苛立ちや焦り、嫌悪、何もかもを詰め込んで声をあらげる。


 そんな俺を見て、突然ヒッと怯えたようにソイツは一歩後ずさった。


「お、お前……」


 何か言いかけていたが構わず走り出す。背中のサクヤは始めよりも熱くなっていた。


「待って、ろよ……もうすぐ、だから……」


 背負ったまま走っているからか息が上がる。サクヤの熱が移ったかのように暑い。


 限界を感じてきたころにようやく見えてきたサクヤの家。

 戸を蹴るようにして開き奥の部屋に駆け込んだ。

 敷かれたままだった布団に崩れ落ちるようにサクヤを下ろす。


「はあ、は……」


 暑い。息が上手く吸えない。


 けほっと堪えきれなかった咳を漏らしながら、俺は水に濡らした布をサクヤの体に巻き付けていった。こんなもので熱が引かないことも、熱を消す唯一の解決法もわかっている。


 サクヤが目を覚ますまで、俺にできることはない。

 それでも何もしないでいることなんてできなかった。


 ふらついた自分の体を傍の壁に預けずるずると座り込む。

 息がしづらいだろうと勝手に布を外してしまったが、どうやら変わらなかった様でサクヤは未だに苦し気な表情を浮かべていた。その姿にズキッと心が痛む。


「っ、なんで……」


 なんで言ってくれなかったんだよ。

 昨日だって会ったんだ。言う機会なんて山ほどあったはずで。


「なんでだよ……」


 重く支えきれなくなった頭を膝につける。

 そんなに、俺は頼りないのかな。


 ……そうだよな。だって。


 気づけなかった。


 サクヤは表に出さない奴だって知ってたのに。俺が一番わかっていたはずなのに。

 こうなるまで気づけなかった。


「ばかだ、俺……」


 何が、気まずいだよ。

 変な意地張んないでさっさと会いに行けば良かったんだ。夕餉を取りに来てないって初めに言われた時に、そのまま理由を問い詰めに行けば良かったんだ。そうしたら無理させることもなかったのに。俺は。


「いっ……!」


 右手にピリッとした痛みが走り俺は思わず呻いた。

 割れるような頭の痛みに耐えきれず体が傾く。


「っ、サクヤ……!」


 ここで気を失うわけにはいかない。

 今のサクヤを一人にはしちゃいけないのに。


 意思とは裏腹に落ちていく体。

 頬に冷たく固い感触が触れて……


 曖昧になっていく意識の中で、誰かの声を聞いたような気がした。

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